第47話  異界  樹と由瑞 12

文字数 1,850文字

 由瑞ははっと目覚めた。
何かに呼ばれた気がしたのだ。

こんな危険な場所で熟睡など出来はしない。そう思っていたのに、一瞬、深い眠りに落ちてしまったらしい。
そして自分の胸の中で眠る女はくうくう寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。
凄い神経だ。由瑞は感心する。

何に呼ばれたのかと思いながら薬師如来を見上げた。
「あれ?」
何かがおかしい。何かが・・・
由瑞は目を見張った。


菩薩がいない。
薬師如来の両脇に控える日光、月光菩薩の姿が無い。
由瑞は半身を起こした。
青に包まれた暗い堂内をきょろきょろと見渡す。
どこにもいない・・・。

その動きで樹が目を覚ます。
薬師如来の目が動いた。由瑞は不意に冷水を浴びた様に感じた。


今、確かに俺を見た。
仏像の視線は由瑞の目から動かない。まるで何かを伝える様に。
全身の毛がぶわりと逆立った。
彼は徐に立ち上がった。樹の手を引く。

「樹さん!樹さん!早く起きて!」
由瑞は半分眠っている樹の腕を引いて、急いで寺の外に出た。
寺から走って逃げる。樹は足を縺れさせて付いて行く。

走りながら後ろを振り返る。
寺はゆらりと揺れた。まるで蜃気楼の様に。
由瑞は樹を抱えて森に跳んだ。大木の影に隠れ、頭を抱えて地面に伏せる。
寺は忽然と消えた。

「どん!!」
地面を揺るがす振動と大きな波動が来た。森を揺るがし、木々が千切れた。大きな岩が転がる。頭の上を何かが飛んで行く。

 一瞬の嵐が通り過ぎ、辺りは静まった。
由瑞はそっと頭を上げて辺りを伺う。周りの木々はゆらゆらと揺れて、そして次第に動きを止めて行った。


「ぎゃー」
森の奥から悲鳴が聞こえた。
二人はびくりとする。
それに呼応するようにあちらこちらから「ギャー」「ギャー」と声が起こった。
由瑞は立ち上がった。
「早く!早く!俺の背中に乗って。何か、いる」
樹は訳が分からないまま由瑞の背中にしがみ付く。
樹の体を支える左手がずきりと痛んだ。
「くっ・・」由瑞は痛みを堪える。
「由瑞さん。私、走れるよ。腕が」
樹は慌てて言った。

由瑞は走り出した。
「そんな事を言っている場合じゃない。君なんかと走っていたら、奴らの餌になってしまう。全速力で走る。落ちたら置いて行くから。よく掴まっているんだ」

由瑞は言葉通り全速力で走り出した。腕から血が流れ落ちる。
樹は由瑞の背中に必死でしがみ付く。目を閉じてしがみ付く。
由瑞は夢中で走る。
何かが追ってくる。森の中から、あちらから、こちらから。
由瑞はふっとそれを避けながら走る。すっ・・すっと除ける。樹は振り落とされそうになる。
その度に由瑞の強い腕が支える。

何だ?これは何だ?
姿がはっきりとしない。だが自分達を狙っている。
殺気を感じる。
由瑞は立ち止まった。
樹は目を開ける。

「囲まれた」
「えっ?」
樹は周囲を見渡して「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。

自分達の周りを何かがぐるりと取り囲んでいた。目だけが青く光る。
猿?大きな猿?
どれもこれも痩せている。骨と皮ばかり。耳が尖っている。黒い肌。毛皮ではない。つるりとした皮膚。・・・ヒトの様な・・・みんな四つん這いになっている。背伸びしてこちらを伺っている者も数匹・・。

飛び掛ろうとしている!
唐突にそう思った。
私達に飛び掛かろうと。

これは餓鬼だ。きっと餓鬼だ。
樹はがくがくと体が震えた。由瑞の背中により強くしがみ付く。
餓鬼はじりじりと間合いを詰めて来る。

「君はしっかり掴まっているんだ。いいか。落ちるなよ。ここを跳ぶ」
そう言うと、由瑞は樹を背負い直す。
「君を支えるのは片手だけだ。首にしっかり掴まっているんだ。いいか、1,2,の3で出来るだけ大きな声で叫ぶんだ。」
樹は頷く。
「行くぞ!」
「1, 2の3!」
「うわー!!」「ぎゃー!!!」
樹は声の限りに叫んだ。
餓鬼共は慌てて退く。
由瑞は餓鬼に向かって走り出した。
「叫び続けろ!!・・どけっ!」
餓鬼は逃げる。道が開く。
その真ん中を貫いて由瑞は足を踏み込んだ。


由瑞の体は大きく弧を描いて餓鬼の群れの向こうに着地した。
バランスを崩してぐらりと揺れる。
膝を付いた。
痛みが走る。

立ち上がると、樹を背負ったまま走り出す。痛みなど構っていられなかった。
「どこへ行くの!」
「川だ。あの川しかない。橋から跳ぶ」

後ろから「ぎゃあー」「ぎゃあー」と叫び声が聞こえる。声はどんどん近くなる。
どっ、どっと四つ足が地面を走る音がする。
目の前に途切れた橋が見える。湖の様な川。
神社は相変わらず遠くに浮かんでいる。
「跳ぶよ!離れないで!絶対に。絶対だ!」
由瑞は勢いを付けたまま、宙に向かって大きく橋を跳んだ。



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