第1話  4月 遠千根宮

文字数 1,570文字

今朝は家の周りでは深い霧が出ていた。低い所に雲が落ちているみたいだ。

 4月に入ったのに、雪がちらつく日もある。

史有は神社の庭の梅の囲いを直していた。
桜のつぼみはまだ固い。散り遅れた梅の花がちらほらと見える。

ここに来てから2度目の正月が過ぎた。
昨年の11月末に生まれた女の子の名前は『阿子(あこ)』。
阿子はすくすくと育っている。


この神社を訪れる人は少ない。
殆どいないと言っても過言ではない。
冬の間は下の鳥居から神社への階段は通行止めにしてある。
今まではそうだった。小夜子が眠っていたから。

史有が珠衣に来てからは、鳥居から神社までの石段を除雪している。
村人の初もうで位はと、お爺、お婆と作業をした。
池の方までは手が回らないから、そちらは雪に閉ざされたままだ。冬の間は通行止めになる。


 史有は空を見上げる。
 と、その時、階段を上がって来る足音が聞こえた。
史有は手を止めて階段を見詰める。こんなに霧深い、それも午前中に?と思う。

客人は乳白色の霧の中から出て来た。オレンジと若草色のウインドブレーカー。
白っぽい景色の中でそれはやけに鮮やかに見えた。

 女性が二人。
どちらも背が高い。
一人は特に高い。
二人とも小さなリュックを背負って、すっぽりとフードを被っていた。

史有を見ると、軽く頭を下げた。
史有も頭を下げる。
そして作業に戻る。

フードを外して柏手を打った。
史有はそれを横目で見ながら作業を続ける。

2人は神社を眺め、扁額や彫り物についてあれやこれやと話をしていた。
史有は仕事を終えて道具の片付けに入った。
「あの・・・」
声を掛けられた。

「こちらの神社の方ですか?」
「そうです」
史有は答えた。
声を掛けた女性は20代後半か30代前半。もう一人はもう少し年上らしい。

若い女性の目尻に黒子がある。それも3つ。
珍しい黒子だ。
星の様に打たれた3つの黒い点。
白い肌にくっきりと彫り込んだような二重の目。
長い睫毛と弧を描いた、これまたくっきりとした眉。


女性の口が動いた。
「ここから直接池には行けないのですか?」
「はい。・・・石段を下りて、橋を渡った場所に立て札があったと思います。池はそこまで戻って、右側の道を行ってください。今年は雪が多かったから、まだ残っています。滑らない様に気を付けてください。日陰は凍っていますから。・・でも今日はこんなに霧が出ているから、行っても何も見えませんよ」
史有は言った。
「そうですか・・」

史有は視線を手元に戻す。
「あの・・」
「はい?」
「あの『神橋』って渡れないのですよね?」
史有は『神橋』を見る。
「あれは神様がお渡りになる橋なので人は渡れません」
「じゃあ、あの川は渡れないのですね?向こう側に道があるのに」
「あの道は神社の裏側の岩壁で終わっています。岩壁をぐるりと取り巻いて川が流れているのです」

「でも、あの柵の向こう側に鳥居がありますよ?あれはどうやって行くのですか?」
「あそこは私有地なので行けません」
「そうなのですね。だから柵があるのね」
女性は言った。
「ここの神社の社務所って、あの鳥居の横にあったお宅ですよね?石門のあるお宅」
「そうです」

2人は目を見合わせて何かを思案していたが、
「分かりました。有難う御座います」と言って二人で頭を下げた。

「お参り有難う御座いました」
史有も頭を下げた。

「じゃあ、一度降りて向こう側から池に行ってみましょう。霧で階段が濡れているから、気を付けてね。麗」 
若い方の女性が言った。

「そうね。トレッキングシューズを履いてきて良かったわ。どう?理沙。この場所で合っていそうかしら」
「どうかしら?池を見ないと何とも・・」
石段を下って行く二人の会話が史有の耳に届いた。

二人が去って、暫くすると、史有は荷物を持って神社を降りた。
鳥居の横を見ると黒いBMが一台。ナンバーは品川。
史有はスマホを出してナンバーの写真を撮った。
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