第52話  融と由瑞 病室 

文字数 1,556文字

融は病室にいた。
樹はまだ意識が戻らなかった。
医者は体温も脈拍も正常範囲に戻ったから、もう目が覚めるだろうと言った。
だが、覚めなかった。

朝になって融は小夜子に連絡を入れた。
小夜子はまた夜刀を異界に送った。
「怜に樹さんの『識』を探して貰うように頼んで。夜刀も一緒に探して。見つかるまで探すんだ」
そう命じた。

融は樹の横でぼんやりと座る。

「滝に落ちる寸前で危なかったらしい」
伊刀は言っていた。
その言葉を思い出す度、融は体中が冷えてぞっとした。
もう少しで死んでしまう所だった。二人とも。
冷たい水の底に沈んで・・・。

樹はどんなに怖かった事だろう。
「御免な。樹。御免。怖かっただろう」
融は樹の手を取って自分の額に当てる。


命が助かって本当に良かった。
温かい手を握り、白い頬に触れる。
それが出来る事だけでも有難かった。
後は怜と夜刀が『識」を見付けてくれればいい。
まさか小夜子の時みたいに6年も掛かる筈はない。場所は分かっているのだから。


融は樹のリュックから封筒を取り出した。
保険証を取り出そうとして、リュックの中の封筒に気が付いたのだ。
封筒には「赤津融様」という鉛筆書きがある。


封を切って読んだ。二度読んだ。
それを持って考える。
樹の顔を眺めた。
手紙を封筒に仕舞い、リュックに入れた。


ドアが静かにノックされた。
「はい」
融は立ち上がった。
蘇芳が顔を出した。

「樹さんはどう?」
そう言って部屋に入って来た。
「まだ意識は戻らない。バイタルは安定しているそうだよ。小夜子は怜の所に夜刀を送った。樹の『識』を探してくれとね。だから大丈夫だ」
融はそう言った。

蘇芳の後ろから由瑞が入って来た。
腕に包帯を巻いていた。

融は深く腰を追って頭を下げた。
「申し訳が無かった。俺の不手際であなたに大変な思いをさせてしまった。樹を連れ戻してくれて本当に有難う御座います。いくら礼を言っても言い足りない位です」
由瑞は何と言っていいか分からなかった。
しばらく頭を下げた融を見ていた。

「川の水が酷く冷たかったから・・・。流れが早くて行く先は大きな滝になっていた。
猿みたいな化け物に襲われて、それも沢山の。喰われそうになって、川に跳ぶしか無かったんです。川は湖みたいに広くて、神社は遥か遠くにあって、とても泳いで行ける場所では無かった。
橋が半分で途切れていた。それでも跳ぶしかなかった」
由瑞は言った。
蘇芳はどきりとする。驚いて由瑞を見る。
融の悔恨は一層深くなる。

「赤津さん。樹さんの意識が早く戻ると良いです。体がここに在るから。だから大丈夫です」
由瑞は言った。

融は頭を下げたままだった。
「赤津さん。頭を上げてください。俺達は今日はもう大阪に帰ります。俺はあなたに話があるのだけれど・・・それはまた樹さんの意識が戻ってからでいいです」
由瑞は言った。
融は頭を上げると由瑞を見て頷いた。

「佐伯さん。本当にお世話になりました。この御恩は一生忘れません。有難う御座いました。ゆっくり休んでください。腕の方、お大事にしてください。樹が目を覚ましたらすぐに連絡を入れますから」
融はまた頭を下げた。

2人は部屋を出て行った。

車に戻りながら蘇芳は言った。
「御免なさい。由瑞・・・あの、私」
「橋を壊したのは君だろう」
由瑞は言った。

「こんな事になるなんて考えもしなかったの。あの橋を渡って邪悪な奴らがこちらに来てしまうって、だから壊さなくては。そう思って・・・・」
蘇芳は涙ぐんでそう言った。


由瑞は蘇芳を見た。
「あんな場所に何度も行くなんて想定がそもそも無いからな。仕方が無い。もう二度とあの場所には行きたく無いと思っていたが・・・彼女の『識』が戻らない様なら、俺は呼び戻しに行かなくちゃならない」
蘇芳は驚いた。
「何で?」
「彼女にどうしても聞きたいがあるから」
そう言った由瑞の顔を蘇芳は見詰めた。

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