第148話 大嫌いな飼い主さんへ

文字数 3,950文字





 翌日の朝、内田(うちだ)と名乗る者達がアンチクンを迎えに来た。



 声のしゃがれた爺さんと、防虫剤のニオイが漂う中年女性だ。



このたびはお騒がせして、申し訳ございませんでした



大変ご迷惑をおかけしました




 二人は玄関に立ったまま、向かいにいるオーハラに頭を下げる。



いえいえ、お気になさらず




 オーハラが温和な笑みで返すと、二人は両目を玄関マットに置かれたキャリーバッグへと向けた。



 四角いカゴの中には、アンチクンがいる。



……



アンチクン、無事でよかった……っ!



ホントよかった……!

心配したのよ




 おれはいつものように階段に立ち、その様子をイザベラとファーマと共に観察していた。



あの二人、ひどい飼い主には見えないが



そうねぇ、裏表がありそうな感じもしないわ



わりとマトモなんちゃう?



こんなに早く迎えに来てくれなくてもよかったんですけどね……ッ




 早口に不服を述べるアンチクン。



 おれのいる場所からは見えないが、むっつりした表情が目に浮かぶ。



 ちなみに、アカリ婆とヒカリ爺はこの場にはいない。子猫たちのいる猫部屋を守ってくれている。



 ツートンは相変わらず気まぐれで、みつきに至っては近頃引きこもりがちのため、めったなことでは顔を見せなくなっている。



アンチクンや~、もっと近くでかわいい顔を見せておくれ~




 やや強引にバッグから引っ張り出されるアンチクン。



 飼い主が仏頂面(ぶっちょうづら)の猫を抱き寄せようとすると、



抱っこは嫌いです……ッ!




 彼は嫌そうにプイッと顔をそむけ、脱出防止柵のほうへ走った。



飼い主たちに触られるのが嫌で、距離をとったようだな




 気まずい場面を静観していたオーハラが質問を投げかける。



アンチクンて、変わったお名前ですね?



変ですよね



え? 

いえ……変ではないですけど



私はもっとかわいい名前にしようって言ったんですけど、人間嫌いの夫は〝アンチ〟って響きがいいって譲らなかったんです



人間嫌い?



にゃっは!

アンチクンと同じやないかいっ



飼い主も人間嫌いだったなんて!



とんだ奇遇だな




 爺さんはヘソを曲げたように不満げな顔になる。



余計なことは言わなくていいのに



だって、あなたの人間嫌いは近所じゃ有名でしょ



ふん、わしが地主(じぬし)だからって、(いや)しい人間どもは金儲けのために利用しようとする。

人が嫌になるのは当然だろう



まぁそれが影響しているのかわかりませんけど、夫は普通の人が好むようなものを毛嫌いしているんですよ



ハハハ、アンチヒーローは最高だぞ!


でも、アンチクンはもっと最高だな!




 爺さんはアンチクンにニコリと笑いかけた。



 彼は冷めた目で受け流す。



……ッ



ハハハ……




 オーハラは苦笑いを浮かべつつ、二人にさらなる問いかけをする。



どうして、このコは迷子に?



うちの息子が、アンチクンを入れていたキャリーバッグを地面に落としたらしくて……


そのとき留め具が外れて、アンチクンが外へとび出し、走って逃げてしまったそうなんです



落として留め具が外れた?



落下したくらいで外れるなんて、変ですよね。

息子に問いただそうとしても、電話に出なくて……



どうせわしへの当てつけに、アイツがワザとやったに決まっている!


あんなバカ息子は、勘当(かんどう)されて当然だっ!



えっ、勘当したんですか!?



ええ、夫が親子の(えん)を切ると言って……


しばらく様子をみたんですけど、お金が援助されなくなったのを機に、息子は家を出ていきました



うちの息子は物心ついたときから素行(そこう)が悪くて、手に余ることが多かったんです


念願叶ってようやく子に恵まれたと思ったのに、運がないというか、なんというか……



そうでしたか。

悲しいでしょうけれど、いつかご両親のお気持ちを息子さんがわかってくれるときがきますよ



だといいんですけどねぇ



いや、来ないと思うぞ



見込みは薄そうね



同感や。

あれは死んで転生してもアホのままのタイプやで



まぁ息子に関しては自立してもらうしかありません


それより被害に遭った、このコのほうが心配です


大丈夫かい、アンチクン?




 爺さんは、再びアンチクンに微笑みかける。



 アンチクンは床をシッポで叩きながら、爪を噛んでいる。



わしはこのコをペットショップで初めて目にしたとき、運命的なものを感じたんです



運命ですか



ええ、なぜだかわかりませんけどね。

元々うちは犬派でしたが、その出逢いがキッカケで、あのコを迎え入れることに決めました


当時からあのコは、おびえた様子で……。

そのせいか売れ残っていて、不憫(ふびん)というか、なんだか同情してしまいまして


うちでのびのび暮らしてもらおうと思ったんですが、しばらく経っても懐く気配はないし、正直何が気に食わないのかよくわからんのです



う~ん。

繊細なコは、なつくまでに時間がかかりますから



時間をかけて、距離を縮めようとはしたんですけどねぇ


自分が望んだほどには仲良くならないから、近頃は諦めていたんですよ



そうでしたか



でも先日、このコと離れてわかったんです


猫との絆は、かけがえのないものだと――


わしらはこのコがそばにいてくれるだけで、癒されていたんだと――


むろんもっと親睦を深めたいとは思っていますが、無理強いはできません。

長い目で見守るのが一番だと思いまして



そう思うなら、僕の話を聞いてください……ッ




 唐突にアンチクンが身を乗り出した。



 爺さんのほうへ数歩寄っていくと、顔をグイッと上げ人間と対峙する。



 その表情はいつになく凛々(りり)しく、(たたず)まいも堂々としている。



あら、珍しい。

普段はすぐ目を逸らすのに、あなたのことじっと見てるわ



おぉ?



僕はずっと、あなた方に言いたかった……ッ



僕は……飼い主さんのことが、嫌いです……ッ!



あなた以外の人間のことも、嫌いです……ッ!



よく言ったな。

偉いぞ……!




 おれは彼の声を聞くことができる。



 だが、飼い主たちに伝わっているかはわからない。



 人間たちは声をあげて鳴く猫を真顔で見つめている。



僕は元々、猫とあまりにもかけ離れた『人』という存在に、隔たりを感じていました……ッ


僕の目から見た人間は、とても野蛮な生き物です……ッ


勝手に僕たちを隔離し、生き死にを意のままに操り、自己満足のための道具にする……ッ


業者のもとで〝生産〟されて、この世に生を受けた僕にしてみれば……


人間は非道で、残虐極まりないと感じる場面が多すぎたのです……ッ!



なんだろう……? 

アンチクンが一生懸命わしに語りかけてくれている気がする



だけど……こんな気の強い表情は、初めてね



そういう〝人間〟であるあなた方は、僕を買って、家に連れていきました……ッ


僕に触れ、写真を撮って喜び、猫との生活に、それなりに満足したかもしれません……ッ


けれどその満足は、僕の我慢と引き換えに得られたものだということを自覚してくださいッ


幻想じみた考えを持つのは結構ですが、僕の置かれた状況や、そのほか不遇を味わった猫たちがどんな気持ちでいるのか、よく考えてみてください……ッ



僕たちはいつも、地獄と隣り合わせで生きているんです……ッ




うっ……!

アンチクン……ッ!



あなた、どうしたの?



わからん。

わからんが、このコを見ていたら、涙を(もよお)さずにいられなくなったのだ……っ!



僕はもう、こんなふうに育ってしまったから、人に養われる以外の生き方はできません……ッ!


だからこれからも、人の世話になるつもりです……ッ!


くれぐれも言っておきますが、一緒にいたくて生活するわけじゃありません。勘違いしないでください……ッ


だけど……あなた方が僕に尽くしてくれたとき……、

僕は初めて人間の愛を感じられるんじゃないかって思っています……ッ


でも、それはいまじゃない。

遠い未来まで、おあずけになるでしょう……ッ



ううう……っ



だから――

どうか飼い主さん……ッ!


その長い道のりを覚悟して、ぜひとも都合の悪い僕を受け入れてください……ッ!




なっ……なんということだ…………!


このコは初めてわしらに心をひらいて、訴えかけてくれている気がする……っ!



ようやく、本当の気持ちを打ち明けてくれたのかしらね……



……アンチクン!


ひどい目に遭わせてすまなかった……!


こんな爺でよければ、これからも一緒にいておくれ……!



……ッ!




 撫でようとすると、アンチクンはすばやく頭を動かしてよけた。



 爺さんは涙を拭って、軽く首をひねる。



おや? 触られたくないのか



当面、おさわりは禁止です……ッ



そうかそうか。

一丁前(いっちょうまえ)に反抗期なのじゃな



あなた、いつもなら不貞腐(ふてくさ)れるのに、今日は我慢強いのね



アンチクンのいないあいだに、猫を失う辛さに気づいたのだ


たとえつれない態度をとられても、大事なものを失う悲しみに比べればなんてことはない



嫌われてもめげないなんて、内田さんもかなりの猫好きなんですね



ははは、すっかり猫の魅力にほだされてしまいましたよ



見た目の可愛さだけじゃなく、なかなか思いどおりにならないところも魅力なのかもしれませんね




 アンチクンを囲んで、微笑みを浮かべる人間たち。



どうやら、もうおれの出る幕はなさそうだな



飼い主が悪い人じゃなくてよかったわね



息子は難ありまくりやったけど、親のほうはあのコをちゃんとかわいがってくれそうやな




 キャリーバッグに入れられる前に、アンチクンはおれのほうを見て言った。




(くれない)さん、お世話になりました


僕はひどい目に遭ったけど、この出逢いは一生分の貴重な出来事でした……ッ!


紅さんが僕にかけてくれた言葉は、死ぬまで忘れません……!



おれもおまえのことは忘れないぞ!


元気でな……ッ!




 胸に固く誓って、二度と会うことのないその姿を記憶に焼きつける。




 彼のように不幸な体験をした猫が幸せになるよう、心から祈って――。





















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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