第97話 一瞬の運命

文字数 2,540文字





 耳を澄ませば、外に猫の気配を感じた。



 だが、その正体まではわからない。



このニオイ、どこかで嗅いだ憶えがあるぞ……




 疑問を浮かべるおれの視線の先では、オーハラが涙を流す猫オタに微笑みかけている。



よかったわね。捕獲がうまくいって



捕まえられたのは、トラヒコさんや桃寧(もね)さんが手伝ってくれたおかげです


でも、捕獲はできたけど……、

もうひとりの猫は死んでしまって……



えっ!?

死んでしまったって、どうして……!?




 オーハラは動揺のあまり声を詰まらせ軽く咳込んだ。



 それを心配そうに見つめながら桃寧が答える。



井伏さんに案内されて、あたしもお父さんも猫さんたちのいる空き地にいくつかの捕獲器を仕掛けたの


猫さんたちが来るのを車の中で待って、しばらくしたら猫さんたちがやって来てね、ひとりは捕獲器にかかってくれた


そこまではよかったんだけど、もうひとりの猫さんは車にはねられちゃったの



車にはねられた!?



うん……。

捕獲器の周りに置いたエサを猫さんが食べてたんだけどね……


そばの木にいたカラスが突然大きな声で鳴きだして、翼をバッと広げて猫さんのところへ近づこうとしたの


驚いた猫さんは、ものすごい勢いで空き地を駆け出して行っちゃった



その流れって……、

もしかして、ひき逃げ!?



……うん。

猫さんが道路に跳び出すと、通りがかりの車がその猫さんを跳ね飛ばして……



あぁ、なんてことを……!



ホントあっという間だった。

猫さん、一瞬で遠くへ行っちゃった……



憎き車め!

お猫様をはねやがってっ!


猫が道路に現れたのに減速もしなかったし、ひいたあと悪びれもせず走り去っていきやがった!


クソッ! 許せねぇ!




 激高する猫オタの言葉に頷きながら、オーハラは深い溜息をはき出す。



 人間同士の会話から詳細を把握するのは難しいが、〝車〟と〝猫〟というキーワードが出てくる時点でおおよその察しはつく。



不運が重なったとはいえ、ひどいわね。

人間がもっと気を配ってくれていたら、そのコは死なずに済んだかもしれないのに……



ひかれて死んじゃったコもうちに連れてきたよ。

庭に埋めてあげてもいいでしょ?



ええ、私もあとで穴を掘るのを手伝うわ


もうひとりのコは大丈夫なのよね?



それが……

ううっ……ううぅぅぅ……


まだ車にいるんですけど、あまり大丈夫とは言えなくて……



というと?




 話の途中で、トラヒコがドアを開けて玄関へ入ってきた。



保護した野良猫さん、すっかり弱ってて、もう自力で歩くほどの体力もなさそうなんだよ



ええっ、そんなに衰弱してるの!?



うん。

帰る途中病院に寄って診察を受けてきたんだけど、あれは重症だね


お医者さんいわく、猫伝染性腹膜炎(F I P)らしい



エフ……アイピー?



FIPは、ウイルス性の感染症らしいで


めっちゃ死にやすくて、症状の進行速度もヤバいくらいに早いのが特徴や


ちなみにアタシのかかってるFIVと似てるけど、間違ったらアカンよ



治療できないのか?



症状が軽ければその可能性もあったやろうけど……重症じゃキビシイな




 ファーマに続き、オーハラも無念そうに目を伏せる。



残念だけど、それじゃ長くはもたないわね……



ひとまずここに連れてきてあげようよ。

暗い車内にひとりきりじゃ寂しいだろうしさ



俺もそう思います!



そうね。

奇跡的に回復するかもしれないしね




 言いながらオーハラはその猫のことが気がかりで仕方ないらしく、靴を履くと慌ただしく外へ出ていった。



 ほどなくして、捕獲器が運ばれてきた。



 タオルのかかった大きな箱のようなものが、慎重に玄関マットの上に置かれる。



 金属の囲いの内から聞こえてくる、苦しげな息づかい。




 ゼェゼェ……ゼェゼェ……




お父さん、あれ誰かな?


タオルが邪魔で見えない、ニャウ



このニオイは間違いなく猫じゃのう


うむうむ。

おそらくオスに相違あるまい




 心配そうに捕獲器のほうを見ながら、アカリ婆とヒカリ爺も廊下へ出てきた。



 珍しくツートンまで様子を見に来ている。



……




 しかし玄関の手前には脱走防止用の柵が張り巡らされているので、一定以上近づくことはできない。



 おれはその柵のそばに寄ると、鼻をクンクン働かせた。



ム……!?




 やはりこのニオイ、知っている気がする……。



猫さん、大丈夫?




 捕獲器を覆っていたタオルが外されると、野良猫の姿が明らかになった。



 おれは数メートル先にいるその猫を、目を凝らして観察する。



ゼェゼェ……ゼェゼェ……



おまえはたしか……


ヤミミンの8番目の彼氏だった猫か!



ち……ちげえよ。

5番目だって!



そうか……。

5番目だったか



これでも、ヤミミンとのつき合いは、長いんだゼ……



ほぉ~。

その猫、紅さんと知り合いだったんか



以前ここを抜け出したとき、偶然出会ったのだ


一緒にいたヤミミンはどうした?



アイツなら、置きエサだけ食ってソッコー逃げちまったよ……。

ゼェゼェ……


ヤミミンはオレなんかよりカンがいいからな。

捕獲器なんざ、そう簡単にはひっかからねぇよ



人間たちの話によると猫が車にひかれたらしいが、被害に遭ったのはおまえの仲間なのか?



ああ、そーだよ。

アンタも少しは話をしただろ


ヤミミンの6番目の彼氏、オレと一緒にいた……、

ゼェゼェ……黒柄の猫だ……



アイツか……



オレたちゃ野良生活が一番なんだ~




 いかにも野良猫らしい発言をしていた場面が、ふと頭に浮かんで……消えていく。







アイツのほうが俺よりも元気だったのによ……。

車にひかれて、一瞬で逝っちまった


皮肉なもんだゼ……。

ゼェゼェ……



一瞬……。

たった一瞬で……!




 それまで一年、二年と生きてきたにもかかわらず、一瞬で消える、命……。



 ついこのあいだまで彼らは元気そうな姿を見せていた。



 それなのに、わずかな期間のうちにこうも劇的に変わってしまうとは……。







 ――いや、そうではない。状況は何も変わってはいない。



 外の世界は厳しいのだ。



 どれだけもがいても、風に吹かれれば木の葉が木から振り落とされていくように、あるべき場所から脱落させられてしまう。



 それがおれたち野良猫の生きてきた場所であり、誰しも平等に降りかかる運命なのだ。




おまえも、死ぬのか……?



ゼェゼェ……ゼェゼェ……。

もう長くは……ねぇな


明日の今頃は、きっともう……




 名前も知らない野良猫は疲れたのか、しゃべるのをやめて格子にもたれかかった。


















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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