第51話 紅の決断

文字数 3,321文字





 さらさら……



 さらさら……





 窓の外で、しなだれた木が風に揺られている。



 広がる青空に、気まぐれな雲が流れていた。



今日はとても天気がいいな



この陽気なら、寒がりの大地もあたたかく過ごせるわね



そうだな。

いまごろ大地はアミと仲良く日光浴でもしているのかもな




 春の日差しは裏切らない。



 荒れることなく、穏やかな光を与えてくれる。



ねみゅくなる


ウトウト、ニャウ




 猫部屋の窓辺に家族そろって寝そべっていると、





 キッキッ……キコッ!


 キッキッ……キコッ!





 妙な音が聴こえてきた。



 音がするのは家の外の坂道からだ。



 誰かが自転車で駆けあがっているに違いない。



……さてはアイツか




 予想は的中した。



 数分後、猫オタが部屋のドアを開けて入ってきた。



お猫様方~!

ごきげんいかがですかぁぁぁ~~~!?



やはりおまえだったか



おおおおおぅう! 神猫様! 

傷もすっかり治って、一段とお美しい!


ますます神々しさに磨きがかかりましたね!




 相変わらず、何を言っているのかわからんヤツだ。



 おれたちに言葉を伝えたいのなら、もっと端的に話せ。



猫オタよ、おまえと会うのは久しぶりだな



彼はダイガクとバイトで忙しいらしいわよ



ふむ




 人間と一緒に暮らしてわかってきたことだが、彼らは狩りをしない代わりに働いて対価を得て、それを日々の糧に充てているらしい。



 じつに複雑なシステムではあるが、人が狩りをせず、ましてや捕食対象が被らないのは幸いだったかもしれない。



 もしも人間がネズミやスズメを食う生き物だったら、おれたち野良猫は獲物を奪われて、とうの昔に絶滅していたことだろう。



今日は、新たなオモチャを持ってまいりました!




 猫オタは、手提げ袋から棒状のオモチャを取り出した。



あっ! 

鳥がついてる!


本物、ニャウ!?




 メデアとイソルダは、棒の先端についているモノに目が釘づけだ。



 しかしどう見てもそれは羽のついた飾りであって、本物の鳥ではない。



そうそう、お猫様方に朗報ですよ!


この家に来てからかなり時間も経ったので、もうリビングデビューしていいそうです!



リビ……?

なんだそれは?



せっかくなので、広いお部屋で遊びましょうかね?



早く早くー♪


早く遊びたい、ニャウ~♪



では、こちらへ~!




 あまり事情はわかってなかったが、おれたちは猫オタの誘導に従ってリビングへと移動した。



このあいだ階段からのぞき見したけど、あたしたちのいる猫部屋より広いね



広さなら、廃工場のほうが上回っているぞ



ウニャウ。廃工場にはネズミもいた、ニャウ。

こっちには何もいない、ニャウ


ネズミより、キャットフードのほうがいいもん!




 備えつけの爪とぎを引っかきながら、メデアが反論する。



 すると、ご長寿犬のふたりが会話にまざってきた。



ネズミか。

食べたことないのう


年寄りのわしらには、ちときつい。

おなかを壊してしまいそうじゃ




 アカリ婆とヒカリ爺は、部屋のほぼ中央にある、ソファーというものに座ってくつろいでいる。



 そして、その奥の窓際には……



 イソルダが変猫(へんねこ)と呼ぶツートンもいた。



……




 彼は出窓を陣取って、日光浴をしているようだ。

 


 こちらに背を向け丸くなっているが、近くの鏡に反射したツートンの表情を見る限り、先日の一件などまるでなかったことのように涼しげだ。



 いくら猫が忘れっぽい生き物とはいえ、極端すぎるだろうと内心ツッコまずにはいられない。


 

ファーマの姿が見当たらんが



彼女には専用のお部屋があるの。

いまはそこでのんびりしているんじゃないかしら?



なるほど




 おれは改めてまわりを観察する。



 猫オタのオモチャにじゃれる子どもたち。



 外敵の侵入を気にすることなく、我が子をおだやかに見守る母猫。




 ――ここは平和だ。

 争いもなければ、略奪もない。命を懸けて殺し合うバトルもない。




 おれはボスとして縄張りを統治していたが、ここまで徹底された安息の地を築くことはできなかった。



……………………




 しばらく黙考していると、ふと頭にある考えが浮かんだ。







イザベラ。

話があるのだが、聞いてくれるか?



え? ええ……




 ふいに視線を感じて、そちらに目をやる。



……




 背を向けていたはずのツートンが、おれのほうをじっと見ている……。



ここではまわりに聞かれるかもしれんから、別の場所へ移ろう




 イザベラを伴っておれはリビングを出ると、階段を上がって和室に入った。



 ここの天袋にはよく大地が隠れていたが、いまはもう誰もいない。



 盗み聞きされないよう声量を落としてイザベラに話しかける。



イザベラ。

急な話ですまないが、頼みを聞いてくれ



頼み? なにかしら?



おれはここを出ようと思う



えっ……!?

そんないきなり……どうしてなの!?



じつは、廃工場に残した者達のことが気になっているのだ



廃工場の者達って、ねこねこファイアー組の猫たちのことよね?



そうだ。

ジロリ組との戦いで傷ついた者達だ


あの場にまだ残っている者がいれば、ここへ連れてきたらどうかと思ってな



なるほど……、

そういうことだったのね


わたしはてっきり、あなたひとりでこの家を出て行ってしまうのかと思ったわ



おれがおまえや子どもたちを置いて出ていくわけがないだろう



そうよね、ごめんなさい。

あなたはそんな薄情ではないものね



いや、おれにも至らんところはある


そういう悪い部分を出さずにいられるのも、こうしておまえと共にいるおかげだ


おまえの優しさが、おれを良い方向へと導いてくれるから……



紅様……




 イザベラ……。



 イザベラの熱いまなざしを受けると、頭の芯が痺れてしまいそうになる。



まだ迎えにも行っていないのだから、感動するのは早いぞ


意を決して行動したところで、おれが目的を遂げられるか、わからんのだからな



そうだけど……、

ボス猫だったあなたが、あの場へ赴くことに意義があるわ


決して仲間を見捨てはしないっていう気持ちが、ちゃんと心の中にあるってことだもの



だが、ここへ連れてくることが本当によいのかどうか、正直なところわからんのだ


ケガをした猫ならば、おれのように処置してもらえるとは思うが……




 オーハラたちはおれたち家族を受け入れてくれた。



 だがあの者達が真に良き人間かどうか、おれはまだ見極めきれずにいる。



迷うのも当然よね……。

ここの人たちは親切だけど、やっぱり人間だし、理解しきれていないところもたくさんあるわ


安易に大丈夫とは言えないけれど、やってみる価値はあると思うの



うむ。

おまえの言葉で、より決意が固まったぞ



ふふ、よかった。

道中、くれぐれも気をつけてね



傷は癒えた。心配はいらない



それで、いつ行くの?



早ければ早いほどいい



では、あなたはいますぐここを出て、廃工場へ向かって


ここにいる人達は、わたしが引きつけておくから



わかった。

できるだけ早く戻る


それまでメデアとイソルダを頼んだぞ



ええ、まかせてちょうだい





 イザベラはさっそく準備にとりかかった。



 下へおりて用事(・・)を済ませると、家じゅうに響き渡るような大声で鳴きだす。




アオ~~~~~~ッ!


アオォォォォォ~~~~~~ッ!




 その鳴き声は、まさに発情中のメス猫そのものだった。



 発情経験者のイザベラは、当時の自分の状況を巧みに再現している。



ありゃりゃ、奥方様ぁ~!?


突然、どうなさったんですか~~~!?




 動揺し、おたおたする猫オタ。



 イザベラ並みにデカイ声を張りあげて室内を行ったり来たりする足音も耳に入ってくる。



フッ。

以前人目を盗んで猫部屋を出たとき、この家の中は探索済みだ


脱走するならどこが最適か、あらかたの目星はつけてある


狙い目は、〝網戸〟だ!




 しかしその網戸にも、脱走防止用のストッパーがついている。



 ところが幸いなことに、トイレの小窓の網戸ならばストッパーはかけられていない。



 すでにトイレのドアは、イザベラが先回りして開けてくれている。



 おれはトイレに駆け込むと、便座を跳び越えて窓辺に立った。



やはり換気のためか窓は()いたままだ




 窓がひらいていれば、外界を隔てるものは薄く小さな網戸のみ。



 片手を伸ばし、網戸をこじ開けようと力を込める。



本気を出せば、こじ開けられるはず――!





 おもいきり引っ張ると、手ごたえがあった。


 



 おれの力に押されて、網戸はじりじりとひらいていく……。
























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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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