第128話 エンプティネスト・シンドローム

文字数 1,850文字





 時が過ぎ、春が終わろうとしていた。



 華やかに漂う初夏の兆し。



 窓から見える風景は、緑がいちだんと濃くなっている。



 草木を揺らす風のニオイは、若い生命力を感じさせるほどに青々しい。



日々穏やかだと、時の流れを早く感じるものだな




 メデアとイソルダと別れてから4日が過ぎていた――。



 一方、他の子どもたちは、生後1か月を迎え、歩き回れるようになった。



 顔立ちにも個性があらわれてきている。



パパー!




 窓辺にいるおれのもとへ、子猫が小走りで寄ってきた。



 次男のカンタだ。



 生まれてしばらくはミャーとしか鳴けなかったが、もう立派に意思を伝えられるようになっている。



どうした?

みんなで猫部屋の外へ探索に行ったのではなかったか?



パパとあそびたい~



ははは




 カンタは兄妹(きょうだい)の中でも甘えん坊な性格だ。



 おれにくっつくのが好きで、顔や頭をスリスリとこすりつけてくる。



カンタ。

みんなのところへ戻らないと、イザベラが心配するぞ




 言った直後、廊下にいるイザベラが顔をのぞかせた。



カンタ、こっちへいらっしゃい



は~い




 カンタは反抗せずに従って、母猫のもとへと戻っていく。



それじゃ、行ってくるわね



ああ。

問題ないとは思うが、気をつけてな




 と、落ち着き払って見送ったものの――



 部屋に誰もいなくなると、心の穴が隙間を広げるように寂しさが募っていく。



メデア……イソルダ……


ふたりとも、元気にしているだろうか……




 離れ離れになった子どもたちのことが気がかりで、そればかり考えてしまう。



 人間社会では、成長した子どもが親元を巣立って、孤独や寂しさを感じることを『空の巣症候群(エンプティネスト・シンドローム)』というらしい。



とはいえ、おれにはまだ共に暮らす子猫たちがいる。

(から)っぽの巣ではない……




 けれでも、孤独を感じない日はない。



 悲しみは別腹だ。



 愛しい者達がいなくなれば、心が死んだように動かないときもある。



 思い出にしがみついてでも、面影を追いたくなるときもある。



心に空いた穴は、埋めようにも埋められない……




 おのずと脳裏に、子どもたちとの別れの場面が思い起こされてきた。









 メデアとイソルダと別れる前日のこと。




 『マジカル・ニャワンダ』では、恒例の〝お別れ会〟がひらかれた。




 場所はプレイルームでおこなうのが通例だったが、幼い子猫から目が離せないため、2階の猫部屋での催しとなった。



 参加者はおれ以外に、イザベラ、ファーマ、ツートン、そしてメデアとイソルダ。



 アカリ婆とヒカリ爺は散歩中なので、途中から参加する予定になっている。



まさかアミと大地のときに参加したお別れ会に、今度は自分たちが主役で招かれるなんてね~



あの頃は思ってもみなかった、ニャウ



その「ニャウ」を聞くのも、これで最後か



最後言うな。

これっきり会えないわけではないのだ



そうなん?



里親は、こまめに連絡をくれると言っていたではないか。

住んでいる場所も遠くないから、子どもたちをここへ連れてきてくれるともな



至れり尽くせりで、ありがたいわね



せやけど、再会して忘れられてたら、めっちゃ虚しいで~



簡単に忘れられるものかっ



そーだよ。

お父さんとお母さんのことは、死んでも忘れないもん!



ぼくが入ってないんだけど……?



あ……うん。

イソルダも、忘れないよ……たぶんね



たぶんなんかい



いや、忘れん!

家族の記憶は永遠不滅なのだ!


仮に相手のことを憶えているか第三者にはわかりづらくても、当事者たちにはわかっている!



オレは家族のこと、憶えてないけど



まぁ、ツートンはしゃあないな……



う、うむ。

そうだな……



ふと思ったんだけれど



ん?



もし自分の子どもにとてもよく似た外見の猫を連れて来られたら、どうすればいいのかしら?


そのとき運悪く鼻炎を患っていたら、匂っても鼻が利かないだろうし、どう判断したらいいのか困ってしまうわ



ウーム……



せやったら、合言葉でも決めとけばエエんちゃう?



名案だな! そうするか!



ええ



うん


ウニャウ



それじゃ合言葉は……




 家族でひとかたまりになってヒソヒソと密談する。



 合言葉が決まると、みんなで頷き合った。



何にしたん?



それは家族だけの秘密だ



秘密って言われると、余計に知りたくなるわぁ



秘密には関わらないほうがいい


知らないほうがいいこともある



ツートンが言うと、めっちゃ重いわっ!



フッ、それだけオレの発言に深みがあるということか



……なんか勘違いしてるっぽいけど



……そっとしといてやれ




 おれはボソリと呟くと、入り口のほうへ目を向けた。



 まだこの場に、みつきの来る気配はない……。

















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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