第156話 気まぐれな使者のメッセージ
文字数 3,662文字
真夜中の光を感じながら、静かな時間に身を委ね、朝が来るのを待つ。
夜型だったおれは、まだ昼型の生活習慣にうまく溶け込むことができずにいた。
イザベラも同じだ。ふたりで窓辺に腰を下ろし、夜空をぼんやり眺めるのが習慣のようになっている。
正体はわからんが、異常に〝気〟が鋭い。
ただならぬ存在に違いない
細く隙間の空いた窓から周囲に目を配ると、おれのほぼ真正面にひとりの猫が降り立った。
さすがボスを引退しても、感覚は衰えていないようにゃねぇ
闇にまぎれて現れたのは、おれのライバルだったジロリ組のメンバーだ。
組でナンバー2のポジションにいる食えない猫で、その名をマウティスという。
窓の外側には、細い柵に囲われた小さなバルコニーがある。広くはないが、猫がくつろげるくらいのスペースは充分にある。
マウティスは、ガラスによっておれとのあいだが遮られているのをいいことに、
大口を開けてあくびをかました。
まるで挑発されている気分だ。
さらに悠々とシッポを振りはじめる。
以前、紅ファミリーの居場所を聞いたからにゃ
せっかくだから様子でも見ておこうと思って、挨拶に来たのにゃよ
嘘だろう。
貴様のようなヤツが、用もないのにわざわざ挨拶しに来るわけがない!
かつてはお互い敵同士だったけど、もう戦いは済んだにゃも。
そっちは今じゃタダの飼い猫にゃよ
それとも家を捨てて、また野良猫に逆戻りする予定でもあるのにゃ?
野良猫に戻るよりここで暮らしたほうが、悠々自適な猫ライフを送れると思うにゃよ
うにゃも。
じつはにゃ、今日は紅夫婦のために〝ある情報〟を持ってきたのにゃ
そうにゃ。
里親のもとへ旅立った、ふたりの子どもたちのことにゃよ
にゅふふ、いい反応にゃ。
そんなに驚かれると、焦らしたくなってくるにゃねぇ
メデアとイソルダが脱走して、ジロリ組に捕まったんじゃ!?
捕まったから事の成り行きを知っている、というわけにゃね。
にゃるほどにゃ~
イザベラは面食らって、目をパチパチさせる。
ジロリ組の策士としての手腕は認めるが、いちいちイライラさせるヤツだ。
まぁ正解を教えると、うちの組のメンバーの住む家の隣にあの子たちがやって来たからにゃんだけどにゃ~
うちの子たちが、ジロリ組のメンバーの住む家の隣に!?
そうにゃも。
ウチも先日知ったばかりなんだけどにゃあ
だとすると――
メデアとイソルダは、そのジロリ組のヤツに虐げられているのではないか!?
マウティスはおれを冷ややかに見つめながら、二度目のあくびを洩らす。
完全にナメきった態度だが、そんなことはもうどうでもいい。
いま頭の中を埋め尽くしているのは、メデアとイソルダだ。
自然と子どもたちのことが思い出されてくる。
あの子たちもそうやって、気まぐれにあくびをしていたな……。
するとおれの中に沸騰していた感情は冷たい波にさらわれて、怒りなど跡形もなく呑みこんでしまった。
……言い方が悪かった。
マウティスよ、子どもたちのことを教えてくれ
だが、それによる影響ではない。根底に子を想う気持ちがあればこそだ
にゃるほどにゃ~。
『子に過ぎたる宝なし』というからにゃあ~
まぁ親子愛に共感はできなくても、このマウティスは偉大だからにゃ~。
特別に教えてあげるにゃあ
何を恩着せがましいことをっ。
元々そのつもりで来たのではないのかっ?
おれが指摘すると、それまでゆるやかなリズムを刻んでいたシッポの動きがピタリと止まった。
図星らしい。
ならば、もう余計なことは言わん。
子どもたちのことについてだけ教えてくれ!
わかったにゃ。
あの子たちから預かった伝言をつたえてあげるにゃ
――そう、以前おれたちは、子どもたちの状態を確認できるよう、合言葉を決めた。
ちなみに合言葉は二つある。
現状に満足した場合と、そうでないときのために、言葉を別々に用意した。
「幸せをありがとう」は、現状に満足したことを伝えるための合言葉だ。
里親のもとへ行ってから連絡がなかったから、ずっと心配だったのだ
子どもたちが充実した日々を送れているなら、もうそれ以上望むことはない
うにゃ。
なんとなくわかるにゃ。
今度の子どもは、紅にゃんに似てるにゃね
にゃるる。
あのときおなかの中にいた子がもうあんなに大きくなるにゃんて、子どもの成長は早いものにゃねぇ
きっと逞しくて美々しい猫に育つんだろうにゃあ
だって……、
わたしはあまり……キレイじゃないし……
おれにとって一番愛しくてかわいいのは、おまえなのだから
おれはイザベラと視線を絡めて、頬を寄せ合った。
すると窓の外では温度差が著しいというか、マウティスがひどく退屈そうな態度に出る。
恩ある猫を差し置いて、愛の劇場を披露してる場合じゃないと思うけどにゃあ
バカにしたような物言いにおれは鼻白んだが、イザベラはきちんとマウティスに向き直り、礼を述べた。
わたしがこうして無事出産できたのも、マウティスさんの導きのおかげです
というか、こっちとしても素直に従ってくれたおかげで助かったにゃよ
組解散命令に逆らってヘタに暴れられたら、面倒だったからにゃあ
あのプルートが痛手を被るとは思えんが、あまり派手なことはするなよ
まぁもしトラブルが起こったら、ここで脱落者を引き取ってもらうとするかにゃ~
待ってくれ。
おれたちから子どもたちへ、メッセージを伝えたいんだが
「生まれてきてくれてありがとう。おまえたちの幸せを、これからもずっと祈っているよ」
マウティスは前足をグッと伸ばすと、バルコニーの手すりにジャンプした。
鳥しか乗らないような細い足場に、軽々と身をのせる。
マウティスは後ろを振り返らずに挨拶すると、バルコニーから跳び下りた。
おれたちの見ていた猫の姿が、まるで幻のように一瞬で闇の中へと消えていく。
そして、メデアとイソルダが無事で本当によかった……
安堵するおれに囁きかけるように、風がサラサラと木の葉を揺らした。
はるか頭上では闇に光をもたらす星たちが、チカチカと気まぐれにも見える輝きを放っていた。
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