第155話 みんなが幸せになる道

文字数 3,462文字





 おれは決意した。



 猫オタにヒスイを譲ろうと思う。



 しかし、その気持ちはまだ猫オタには伝わっていない。



 遊びに(きょう)じる子どもたちと、その輪を操る猫オタを見守っていると、下の階からオーハラとトラヒコがやって来た。



井伏(いぶせ)くん、子猫たちと遊んでいたのね。急に神猫様たちと2階へ上がっていったから、何事かと思ったわ



すみません



いやいや、いいんだよ。

ヒスイをお迎えしたいのなら、いまのうちに仲良くなっておかないとだよね



けど、ホントにいいんでしょうかね?


神猫様は俺が里親になることに反対で、ご立腹だったんじゃ……?



ん~……たしかにご機嫌ナナメだったねぇ


けど、井伏くんが子どもの里親になるから嫌がっていたわけじゃないと思うけどなぁ



わたしもそう思うわ。

ただのカンでしかないけれど、神猫様はもっと心の広い持ち主な気がする……



まったく「里親」だの「嫌」だのと……、

単語しかわからんが、猫オタはまだグズっているのか?



そうねぇ、彼なりに気にしているみたいよ。

あなたが怒っているんじゃないかって



バカなヤツだ。

おれは反対などしていないのに



……?




 おれたちの話を耳にして、ヒスイが事情を察したのか、神妙(しんみょう)な顔で歩み寄ってくる。



ミャアミャア、

猫オタはあたしの里親になるのミャア?



まだ仮の話だ。

おまえが嫌なら、やめてもいいのだぞ



フミャア~。

パパとママとお別れになるのは、嫌ミャア……



それはおれとて同じだ




 もしかすると子より親のほうが、永遠に我が子と一緒にいたいと思うものなのかもしれない……。



ところでヒスイは、猫オタのことが嫌いか?



嫌い……じゃないミャア



アイツといるのは、つまらんか?



つまらなくは、にゃいけど……



ふむ。

猫オタなら毎日構ってくれて、しっかり遊んでくれると思うぞ


まぁ少々バカなところもあるがな、根は純粋でいいヤツだ


おまえが猫オタの頭をかじったときも、アイツは怒らなかっただろう?



ミャア



ただ猫の見た目だけをかわいいと言うなら誰でもできるが、自分に害が及んだときに優しく受け止められる人間はそう多くはない


ヒスイのようなヤンチャな子には、寛容な人間が最もふさわしいとおれは思う



わたしもそう思うわ


彼は裕福ではないけれど、あなたに良い思いをさせようと、日々努力してくれるんじゃないかしら?



そうかミャア



おれたちがアレコレ言うより、おまえ自身が猫オタと親しくなったほうが実感も深まるだろう


まぁ、いまは好きなように遊びなさい。

少しくらいなら、暴れまわってもいいから



わあい!




 ヒスイは身をひるがえして、猫オタのもとへ突進していく。



とっつげき~!




 トラ柄の小さな体がかわいらしくぴょんぴょん跳ねて、ネコじゃらしに跳びこんだ。



おぉ、ナイスタックル!

さすがヒスイ様、大胆不敵ですね!




 言いながら猫オタは、ヒスイに奪われそうになったネコじゃらしをヒョイと振り上げる。



スキありミャア!




 突如ヒスイは獲物から狙いを変えた。



 ネコじゃらしの持ち主である猫オタの手の甲に、噛みつき攻撃を放つ。



アギャッ!




 反動でのけぞる猫オタ。



 その悲鳴に驚き、他の子どもたちはビクリとし、人々は目を見開く。



ダメよ、ヒスイ!

やりすぎたら――!




 イザベラが注意しても、ヒスイは牙を立てたままだった。



 元来子どもは自由奔放なので、ダメと言われても自重(じちょう)しない。だからすぐやめるようにしつけなくてはならない。



 そのしつけがうまくいかず、飼い主との関係に亀裂が生じることさえあるという。



はたして猫オタに、猫の持つ攻撃性を巧みにいなせるかどうか――








ヒスイ様っ……!


 


 ヒスイに噛みつかれた猫オタ。

 彼は攻撃を受けたままの状態でありながら、冷静に対処した。



 決して強引に首根を掴み上げたり、大声でギャンギャン叱りつけたりはしない。



ほら、ヒスイ様。

噛むのはこっちですよ~




 ヒスイの口にネコじゃらしの穂先をあてがう。



 手よりも好ましい獲物を与えられ、ヒスイは猫オタを攻撃対象から外した。



ミャアー!




 ヒスイの興味が再びネコじゃらしへと移る。



 その様子を確認すると、猫オタは立ち上がり、スッとその場から離れていく。



……?




 遊びが中断された――!



 それに気づくとヒスイはネコじゃらしを噛むのをやめ、キョトンとした表情を浮かべた。



 ミヌ、カンタ、まれは、ヒスイに向かって不満をこぼす。



猫オタが遊んでくれなくなったミィー



ヒスイが噛んだからミャー



人の手を噛むと、遊んでもらえなくなるニィー



フミャア~……。

まさかこんなことになるとは思わなかったミャア


次回から、気をつけるミャア








あら、噛んでくる子猫に適切に対処できるなんて……


エライわね、井伏くん



たいしたことじゃないですよ



いやぁ、頭ではわかっていても、ついカッとなってしまうこともあるからね~



そうならないように気をつけます!



動物を育てることは、忍耐力を鍛えるといっても過言じゃないわ


ねぇ、井伏くん。

井伏くんならきっと大丈夫だろうけど、猫を引き取る際の注意点について、念のため伝えておくわね



はい?



猫を引き取ったら、毎日必ず世話をするって、約束して



もちろんです!



人生は長いわ。だからこそ、安請け合いは禁物よ


あなたには学生生活もあって、やがては社会人生活に突入する。

けれど、どれだけ忙しくても、猫の世話にお休みの日はない


たとえ体調が悪かろうと、猫の面倒は見る。

それが無理なら、代わりに世話を頼める人を見つける


とくにエサやり、トイレ清掃の2つは、何があっても必ず毎日やり通すこと。

以上のことを、ちゃんと聞いてもらえるかしら?



はいっ! 任せてください!




 猫オタは威勢よく返事をして、床に落ちたままのネコじゃらしを拾いに戻った。



 その場にしゃがみ込み、遠巻きに彼を見ているヒスイに微笑みかける。



ヒスイ様。

俺は飼い主として未熟ですが、ヒスイ様のために精一杯やれることはやっていきます


だから、いつかその日が来たら――


俺と一緒に暮らしてください!



……ミジュク……暮らす……?


ねぇ、パパ。この人、なんて言ってるのミャア?



おまえのために頑張るから、いつか一緒に暮らしてくれと言っているのだろう


という解釈で合っているか? イザベラ



ええ



ふぅん、怒ってないんだ。

……ちょっと、安心したミャア



安心?



さっき、つい猫オタの手を噛んじゃったあと、怒られるかと思ったミャア


だけど、猫オタは怒らなかった……


いままでは、図体がデカイだけの最弱の人って思ってたけど、違ったみたいミャア



つまり、ただのザコではなかったというわけか



うみゃあ。

猫オタは、いい人だミャア!



そうか。

おまえのその気持ちを知ったら、猫オタはさぞ喜ぶだろう


言葉を交わすことができない代わりに、猫オタの近くに行って、噛んだ手を舐めてやりなさい



はーい




 ヒスイは猫オタのそばに行くと、彼の手の甲に舌を当て、そっと舐めた。



うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!


ヒスイ様が俺の手を~~~っっっ!



バカめ、興奮して騒ぎすぎだ



ふふっ、うれしくて仕方がないのね



猫オタよ、喜ぶにはまだ早いぞ


ヒスイとの仲が深まれば、

抱っこ・鼻チュー・スリスリ・猫吸い・添い寝

あらゆる触れ合いを堪能できるようになるのだ!


だが、いまのおまえでは相思相愛には程遠い! 

せいぜいヒスイとの親密度を上げることだな!



神猫様……っ!


なんだかわからないけど、神猫様に励まされている気がする……っ!



そうだ! 

実際に励ましてやっているのだ!


だからヒスイのために、もっともっと一生懸命になれ!



でないと、おれの腹の虫がおさまらんからな!




わたしの腹の虫もおさまらないわよ!



イザベラ……



なにせ、かわいい子どもを手放さなきゃならないんだから


あなたと同じように、突然火がついたように怒りが沸くこともあるわ



そうか……!

おれたちの気持ちは、同じだったのだな!



ええ。

いつだって、我が子を愛するふたりの気持ちは、ひとつよ!



イザベラ!




 おれはイザベラと微笑み合った。



 いつかおれのもとから、子どもたち全員がいなくなる日が来るのだろう。



 メデアとイソルダのときのように、寂しくて辛い日々を送ることになるかもしれない。




 けれども、家族が離れても、みんなが幸せになれるのなら――




 たとえ辛くとも――




 前向きに受け入れられる気がする。




 一番大事なのは、おれだけの幸せじゃない。



 猫も、人も、みんなが幸福になれることだ。




 愛しい子どもたち。




 そして人間たち。




 どちらも幸福につつまれる最良の道を歩んでほしい。




 そのときになって初めて、この選択が間違いではなかったと心から安堵できるだろうから――。


























ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色