番外 終わった恋の物語

文字数 4,566文字





 クンクン。



 クンクン。



はぁ……ここもダメか




 窓、壁、天井。家じゅう探せる限り調査した。



 残る部屋はわずかだが、おそらくその空間を虱潰(しらみつぶ)しに探したとしても、求める道は見つからぬであろう。



 拙者は、己の不幸を嘆かずにいられない。



親分様……、

拙者(せっしゃ)も親分様のお子が()しゅうございました


されど、もはやその願い叶わず……


みつきはここを去り、遠くへ行こうと思いまする




 独り言をこぼした直後、激しく後悔の念に駆られた。




 しまった!



 後ろに、誰かいる!




 サッと首を動かし振り返ると、



何してん?



ファーマ殿!?




 ドアの隙間から、ファーマ殿の顔がぬっと出てくる。



なんや、みつき。

焦りすぎやろ。

さては、何か(たくら)んどるな? 



んななななななっ!? 

ご冗談をっ



いやいや、冗談やあらへん。

アタシの部屋まで嗅ぎまわっとるのは、明らかにオカシイ



よ、夜の見回りでござるよ



ハイハイ、嘘猫(うそねこ)にゃんころ~



んなっ!? 



見回りなんて、よくある言い訳や。いままでここへ来た猫たちの中にも、そんなん言うヤツおったし


せやから、隠しても無駄やで。

〝脱走〟を(はか)っとるんやろ?



げぇっ! 

バレたーーーーーッ!




 敵方や現場の調査をして情報取得を務めとする偵察猫(レコねこ)が、相手に実情を見破られるとは……



 なんたる失態っ……!



 しかしながら、かねてより自分自身のこととなると、つい本音を隠しきれず露呈してしまうのが拙者の欠点でもあった。



みつき。

落ちこむ気持ちはわかるけど、ヤケになったらアカンよ



ななな、なぜ拙者の気持ちをっ!?



そんなん見てたらわかるわ。

ってかアンタがウチ来たときから、こうなるんちゃうかなって予想してたし



なんとぉ!?



ま、アンタの親分さんはエエ男やからな。

惚れてまうのもしゃあないわ


せやけど、脱走はやめとき。

ウチで保護したあの野良猫のこと、忘れたわけやないやろ



……忘れは致しませぬ


ですが親分様に振り向いてもらえず、その子種を授かる望みも絶たれてしまった拙者にとって、ここで暮らし続けるのは魂を削られるにも等しいこと


ゆえに遠くへ行こうかと……



失恋はシンドイけど、そう思うのはいまだけやで


アンタはまだ若いし、いつかめっちゃエエ相手にめぐり逢えるかもしれへんやん



そ、そのようなことはあり得ませぬ!

恋をしたことのない方には、わからぬでしょうが



そんなことあらへんよ。

アタシにも昔、好きな相手がおったんや



ファーマ殿も恋を!?



そや。なにせここには色んな猫が来るからな。

いままで生きてきて、出会いの数は山ほどあったわ



山ほど!?



けど、入れ替わりが激しいのも事実やからなぁ。

キュン♡となっても、すぐいなくなってまうこともしばしばや。せつないもんやで



ファーマ殿の恋のお相手は……ど、どのような方だったのでござるか!?



アタシはメンクイやからな。

意中の相手はみんなシュッとしてて、かっこええオス猫ばかりやった



んなぁ!?

何名もいたのでござるか!?



ここは出逢いが多いゆうたやろ。

出会いが多ければ自然と恋の数も多くなるもんや


せやから好きになった相手もそれなりにおった。

けど、あたしが一番好きやったんは〝ノルくん〟やった


もうずっと昔のことやけど、一生を共にしたいとおもった唯一の相手やったんや



一生を……!?

そのノルくんとは何者でござるか?



ノルくんはアタシとちょっと境遇が似ててな、彼も猫カフェ出身者だったんよ


(はなし)盛るわけやないけど、猫カフェの人気者(スター)やったらしい



猫カフェのスター!?



せや。

店の看板猫でな、ブルーグレーの毛が特徴的な目鼻立ちのキリっとしとるイケネコさんやった


もちろん顔もよかったけど、受け答えの感じがええってゆうか優しい雰囲気が魅力的で、アタシはそこが一番好きやったんよ


その頃この家にいたメス猫たちもな


みんなこんな顔で、キャーッってなっとったわ



なにゆえ、猫カフェのスターがここに?



それがひどい話なんよ。

カフェの経営者が変わってから管理が雑になってな、具合の悪いコが度々出るようになったっちゅう話や


それが世間で問題視されるようになって、またたく間に経営破綻に(おちい)ったらしい


そういう人間絡みのトラブルに巻き込まれて、ノルくんはウチに来ることになったんよ



人間社会の事情は複雑でござるなぁ



まぁ、そのへんのことはわからなくても問題ないわ


ノルくんがうちに来てから、先住猫だったアタシはこの家のこととかいろいろ教えたりして、ちょくちょく話すようになった


ノルくんも、アタシのことを気に入ってくれたみたいやった


彼がケージからリビングデビューしてからは、一緒にプレイルームで遊んだり、日向ぼっこしたりして、日を追うごとに仲良うなってったんや








ノルくんは、一緒にいるアタシにこう言うてくれた



ファーマといると、すごく楽しいよ



アタシもめっちゃ楽しい!

なんでも話せてまうわ



お互い、唯一の相手にめぐり逢えたのかな



かもしれへんな!








アタシは話し好きやから、つい長々としゃべりすぎるんやけど、ノルくんは優しくてな


「ファーマが話したければ、一晩中でも聞くよ」って言うてくれたんや


生まれて初めて理解者を得たと思った



(ふところ)のひろい殿方でござるな!



せやろ?

ノルくんと過ごした日々は、ホンマ夢のようやった……


めっちゃ仲良うなってからは、いろんな話をしていくうちに、駆け落ちする話も出た



駆け落ちぃ!?



じつはノルくんは、カフェにいたときから、ずっと窓から見える外の世界のことを気にしとったんや……




外の世界はすぐそばにあるのに


風景だけが広くて、おれたちはあの世界へとび出すことなく一生を終えていく


それは幸せか、それとも不幸か……




アタシはそれを聞いて、

「思いきって一緒に外へ行かへん?」って誘ったんや


ノルくんはめっちゃ驚いた顔してた。

まさか病気持ちのアタシが、そんなこと言いだすとは思ってなかったんかもしれへん


けど、うれしそうやった。

彼は外へ踏み出すキッカケが、ずっと欲しかったのかもしれんな……



ファーマ。

おれと一緒に、外で暮らそう



ノルくん……!




 それからアタシたちは脱走を(くわだ)てた。



 オーハラさんらの目を盗んで、逃げようって決意した。



に、逃げるとは……一体どのように!?



単純に、玄関からダッシュするだけや


あの頃は保護犬の数が多かったから散歩の数も多くてな、ドアを開け閉めすることが度々あった


もちろん脱走防護柵はついとったけど、手伝いに来るボランティアの人がウッカリ閉め忘れることもあったんや



なるほど



さほど月日の立たへんうちに、チャンスは到来した


玄関ドアがひらいて、走れば外に出られる。

ボランティアは気づいてへんし、隙は充分にあった


アタシとノルくんが柵から跳び出て、ドアの隙間をくぐる。

数秒もあれば、余裕で外へ逃げられる――



せやけど……アタシは()めた。

彼にやめようって訴えたんや



……なぜでござるか?



外の世界はたしかに刺激的で夢がある。その厳しさを知らん(モン)からすれば、空想上の世界みたいなもんや


けど、危険に満ちとることもよう知っとる。

現実的な目で見れば、彼が興味持ってたからって、まともに暮らしていけるとは思えへん


安易にそんなとこへ誘ったことに、アタシは責任感じてもうた


それになにより、彼が困窮してドロドロになるところを見たくなかったんや


彼には、そのままでいてほしかった……



アタシのように病気になることもなく、ずっとずっと元気なままでいてほしかったんや……!



ファーマ殿……


愛する殿方に(すこ)やかでいてほしいと願うその気持ち、拙者にもわかりまする……



ノルくんはアタシが引き留めて残念そうやったけど、納得してくれた



ファーマを危険な目に遭わせるわけにいかないよな


ごめん……



アタシを責めずに優しい言葉をかけてくれたのがうれしかった


彼もアタシのこと、気にかけてくれてたんやって思えたから……



お相手の殿方も、きっとファーマ殿のことがなによりも大事だったのでござろう



せやったら、うれしいなぁ……



それからお二方はどうなったのでござるか?



結局、ノルくんには里親が見つかってな、別の家に引き取られることになった



お別れでござるか……



そうや。

別れの日にな、ふと思ったんよ


アタシの恋愛は、たぶんここでおしまいやなって



それは、なにゆえ?



たぶん、運命の相手に出逢ってしまったからや


なんちゅうか、世の中って悲しいもんでな


自分の求める理想の相手とめぐり逢えたからって、その相手と結ばれるとは限らへんのや


むしろ好きなのにどんどん遠くなって……

ちいさくちいさく(かす)んでいって……


終わった恋の物語を、ずーっと思い出として心の中にしまっておくことしかできなくなる



……悲しいでござるな



けど、唯一の相手にめぐり逢えただけでもよかったわ


お別れのとき交わした言葉も、ハッキリと憶えてる



それじゃ、元気でな



まかしとき! 

あと5年は生きたる!



ファーマなら、もっと生きられるよ。

おれより長生きするかもな



ほな、どっちが長生きできるか競争やな



競争より、キミが長く生きられるよう祈ってたいな



それじゃ勝負にならへんやん



勝負なんてしなくていいよ。

好きなコとの戦いには、負けるくらいがちょうどいいんだ



ノルくん……



離れ離れになるのは残念だけど、ファーマに出逢えてよかったよ


キミが長く生きられることを祈ってる。

5年先も、10年先も……


おれの祈りが遠くからでも伝わることを、必ず証明してみせるから――!








それで、終わってもうた……


ノルくんの祈りのおかげか、アタシは彼が最初に宣言した5年が過ぎても、こうして健やかに生きとるけどな



その方は、まだ生きておられるので?



わからへん。

猫が自分から手紙でも出せたらえんやけどなぁ


もし生きてたら、今頃きっと渋いオジサンになってるはずや



あのとき外の世界へ行っていれば……と、後悔しておらぬのでござるか?



後悔か。難しいなぁ……。

いまでも無性に会いたくなるときがあるし、考え出すと止まらなくなることもある


けど、あのとき出て行かなくて正解だったと思う気持ちに変わりはあらへん


彼と一生を添い遂げることはできひんかったけど、今頃元気にしてるんかなぁって、想像をめぐらせるだけでもう充分や



ううう……!



なんや、どないしたん?



拙者、せつなさに耐えがたくなり申した……っっっ!


フオォォォォォン!



にゃっは!

若いコはすぐ泣けてええなぁ!


涙は別の機会に取っときや。

健気に生きてれば、嬉し泣きできるときが必ずやって来るで!



ふにゅう~~~! 

拙者には、もう別の機会など……!


親分様との思い出に生きるしかないでござるよぉぉぉぉぉ!



ハァ~、ある意味元気やなぁ


とにかく、失恋したからって泣いてばかりいたらアカンよ。

まずは食べて発散や!



拙者、あまり食欲がないでござる……



そう言わずに食べとき!

健康第一やで!


クヨクヨしてたら、次の出逢いのチャンス逃してまうよ!




 ファーマ殿はそう言って、拙者を励ましてくれた。



 いままで秘かに、飼い猫は楽な生き方をしていると思っていたけれど、それは拙者の早合点だったようだ。




 ――飼い猫にもそれなりの苦労がある。




 そう考えを改める機会を得られたのはむろんのこと、彼女との語らいは失恋の痛手をやさしく包みこんでくれたのだった。


















ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色