第144話 動かぬ心

文字数 2,833文字





 〝アンチクンは人間嫌い〟――



 という事情を知らない猫オタは、この状況を理解できなかったようだ。



あれ?

興奮してたのに、急におとなしくなったぞ




 口をポカ~ンと開けたまま、カメラ代わりのスマホをポケットにしまい込む。



 再度アンチクンに向けて、ネコじゃらしを振った。




 だが――



……ッ




 アンチクンは、ムッとしたまま動かない。



 警戒心の強い猫なら、唸って威嚇する行動に出てもおかしくない場面だ。



 猫オタは手を止めて考え込む。



ん~……、なんだろうなぁ


興奮して爪研ぎしていただけなら問題はないだろうけど……。

一応オーハラさんに報告しておくか




 ドアを開け放つと、部屋を出てリビングのほうへ向かっていった。



 入れ替わりで、ファーマとエンドレアが入ってくる。



こんにちにゃんころ~!


アタシはファーマや。

よろ――



わたくしの名はエンドレア


高貴なる深淵の令嬢、エンドレアですわ~!



主張がうっさいねんっ! 

こっちの自己紹介が終わってへんのに、割り込んでくんなや!



オッホホホホホ!

庶民な猫は、部屋の隅にでもひれ伏していればいいのですわ




 エンドレアは気取った素振りでアゴをツンと上げると、目線をスッと動かしアンチクンに目を留めた。



ハッ――!




 丸みのある顔を凝視するその表情が、パッと輝きだす。



ハァァァァァァア!




あららららら! 

なんてかわいらしいのでしょう~!


この高貴なるエンドレアが、アナタを養子にしてあげてもよくってよ~



えっ、なんで養子に……ッ?



いや、まったく聞く価値のない発言だ。

無視してくれ



この猫、だいぶ頭がイカレてんねん。

気にせんといてや



はぁ……



失礼ですわねっ。

ふたりとも(しかばね)になるまで呪いますわよ



鬱陶(うっとう)しいから呪いはやめろ



それより事情を聞いたで。

アンタはこれからどうしたいん?



どうしたいって……ッ?



ファーマがたずねているのは、家に帰りたいのか、そうではないのか――ということだ



わかりません……ッ



アンタの身元が仮に判明せえへんかったとしてや


このままやと、どのみち別の人間のところに引き取られるようになるんやで?



また人間に……ッ!?



そや。飼い主のいない保護猫は、里親募集されるからな。

もちろん首輪しとるし、一定期間は里子に出さずに様子見やろうけどな


嫌なら野良暮らしするしかあらへんわ。

せやけど、その道はもっと厳しいで~



外の世界なら、もう体験しました……ッ



そんなん一日か、二日か、ちょっとだけやろ?


アンタは温室育ちみたいやし、野良猫暮らしは向いてへんと思うけどな



……ッ



なぁ、アンチクンよ


人間嫌いなのはわかるが、どうにかしてその考えを改めないと、今後ますます(つら)くなるぞ



ですよね……


でも僕は、率直に言って、人間と仲良くなりたいとは思ってないんです……ッ



本心でそう思うのか?



はい……ッ



まぁ、しゃあないわ。

相手のことが嫌いやと、なかなか感情がついてこなくなるもんやし



よほどのキッカケでもない限り仲良くしたい気持ちは湧かない、というわけか



はい……ッ。

でも、そんな気持ちが湧くこと自体、ないと思います……ッ




 アンチクンは頭をブルブルと振った。



 ヒト絡みの話に対する(わずら)わしさがそうさせたのかもしれない。



 彼の動作に合わせて、ケージの中に散った小さな爪の研ぎカスがわずかに舞った。



きっとウチの飼い主は、僕に人形でいてほしいって思っているんです


いや、ウチの飼い主だけじゃなく、人間はみんなそう思っているのかも……ッ



そんなことあらへんて



いや、ファーマ。

頭ごなしに否定してもなんにもならん


なぜそう思うのか、まずは理由を聞いてみなくては



ほんなら、(くれない)さんが頼むわ



わけを教えてくれ、アンチクン



なぜって聞かれても、理由はわからないですけど……


なんか扱いが一方的で、自分たちに都合のいいことばかり求めてるっていうか……ッ



ふぅむ……



けど食事とかトイレとか、一定の状態はキープされとるんやろ?



はい……ッ




 やはり、そう悪い扱いを受けてはいないようだ。しかし人間嫌いの視点で物を見ると、かなり違ったふうに感じられるのだろう。



 なんにせよ、白黒つけるには判断材料が乏しすぎる。



オッホホホホホ!

そう頭を悩ませずとも、わたくしが(なぐさ)めてあげますわよ


さぁ、わたくしのそばへいらっしゃ~い!



い、いえ……ッ




 ケージのそばに寄っていくエンドレア。



 あきらかに引き気味の様子でアンチクンはじりじりと後退していく。



 そこへオーハラと猫オタが戻ってきた。



大丈夫!?

具合の悪いところはない?



別にないです……ッ




 オーハラはアンチクンに話しかけながら、ケージ越しに小柄な体をまじまじと観察する。



 一方アンチクンは、見るからに不快げな目をしてオーハラの問いかけに応じている。



 おれはそれとはまったく別のところで、アンチクンに感心した。



おまえも人の言っていることがわかるのか



はい……。少しだけなら。

これでも半年近くは人間と暮らしてますから……ッ




 おれも人間と半年も過ごせば言葉の理解力が高まるのだろうか……



 と、あらぬ想像を広げているうちに人々はテキパキと動きはじめた。



そろそろ午後の診療時間だから、病院に行きましょうね



病院!?


びょっ、病院は人に触られるから、嫌いです……ッ




 嫌がるアンチクン。



 オーハラと猫オタがケージから出そうとする。



 アンチクンはその端に寄って、例の爪研ぎに指先を引っかけた。



……い、嫌ですーーーーーッ!




 けれども、根がおとなしいアンチクンは、それ以外に抵抗らしい抵抗をすることもなく、すんなりとキャリーバッグの中に収まった。



 その中でジタバタもがくこともない。



 日頃から人の都合に合わせて我慢しているというだけあって、鳴きもせずおとなしいものだ。



急な事態となったが、早く帰って来られるといいな



うぅ~、行きたくないです~……ッ




 しょんぼりうつむき、玄関へ運ばれていくアンチクンを見送る。



はたして、彼の身元は判明するのだろうか



同じ町の屋敷に住んどるって教えられたら、話は早いんやけどなぁ



オッホホホホホ!


このまま飼い主が見つからなければ、わたくしの子として迎え入れてあげますわよ



ウハァ……



一番最悪なパターンだな……




 エンドレアは悪ノリして妄想めいたことをほざき始める。





 それからおれは、家族のいる猫部屋に戻った。



あ、パパー!



パパ、おかえりー!



おかえりミャアー!



パパー! 帰ってきたニィ!



フフッ、ただいま




 子どもたちに出迎えられると、ついうれしくて笑みがこぼれる。



ん……? 

イザベラの姿が見当たらんが?



ママ、どこかへ行っちゃったニィ



トイレか?



わからない、ミィー



しばらく帰ってきてないミャ




 イザベラは部屋の外に設置してあるトイレを使用することもある。



 だが子どもたちが心配するほど時間を空けているのは、あきらかに変だ……



ねぇねぇ、パパ~


これって、ユクエフメイってやつミャア?



そんなバカなっ!?




 おれは回れ右をして廊下へ跳び移る。



 イザベラの気配を探るため、耳を澄ませた。























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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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