第74話 波乱の影

文字数 2,894文字





 早く去勢をしたい!




 そう希望しているにもかかわらず、意思の疎通がうまくいかない人間たちに要望を伝えるのは困難だった。



 どうすべきか考えていると、



ニャッハ!

アンタのニャンタマ、デカイな!




 ファーマが廊下からリビングにひょっこり顔をのぞかせてきた。



見ていたのかっ!?



ちょっとだけな。

アンタがトラヒコさんに尻見せて猛アピールしとる()に、こっそり近づいたんや




 そう答えつつ、彼女は部屋の中へトコトコ入ってくる。



おれとしたことが迂闊(うかつ)だった。

()の者の気配にも気づかんとは……




 不安に駆られ、メデアとイソルダもここに来ているのではないかと周囲に目を配るが……



子どもらなら、まだプレイルームにおるはずやで


めっちゃ集中して遊んどったから、たぶん去勢の話は聞かれてへんとちゃうかな


ついでに言うと、いまは外がドシャ降りでうるさいねん



だったらいいのだが



まぁなんと言うか、アタシは別に隠す必要ないと思うけどな。

去勢のことくらい知っとかんと、飼い猫にはなれへんで?



そうかもしれんが、親としては話しづらい



さよか~。

ほんなら、まぁ頃合い見計らって教えたればええと思うけど



そのつもりだ



せやけどなぁ……、

去勢のことなら、そうイキリ立ってせがまんでもええんとちゃう?



だが、このまま放置はよくない。

状況を解決に導くための手段は、去勢しかないのだ



そやけど、アンタの場合、ケガしてたやろ


それで大事をとって予定より施術が遅れただけやろうから、焦らんでもそのうち去勢されると思うで



去勢される!?

それは本当か!?



ホンマや。

放置は絶対にあらへん



そうだったか。

ならばこれ以上オーハラたちに訴える必要はなさそうだな




 この場を去ろうと歩き出すと――



 すれ違いざまにファーマが振り返って告げてきた。



ところで、聞いた? 



何をだ?




 いつになくファーマの口ぶりは慎重だ。



 なにやら、不穏な予感がする……。



知らなさそうやから教えとくわ


じつはさっき、オーハラさんとトラヒコさんが話してるのを聞いたんやけどな



ああ



ツートンに里親候補者が現れたらしいで



なにっ!? 

里親候補者が現れただと!?


では、ヤツはここを去るのか!?



まだ正式譲渡になってへんから、なんとも言えへんよ



だが譲渡が決まれば、ここを出るのだろう?



もちろん決まったら出ていく。

流れはアミと大地のときと一緒やからな




 すらすらと受け答える割に、ファーマは重苦しい溜息をつく。



なんや……ビミョーやわぁ



ビミョー?

もしや里親に問題があるとでも言うのか?



いや~、それについてはアタシにもわからへんなぁ


たまにヤバいヤツも来るし、逆に羨ましくなるようなエエ人も来るからなぁ


心配事は、ツートン自身のことやねん



というと?



この里親の件がうまくまとまるか、そもそも疑問でしゃーないんや。

ツートンはあのとおり多重猫格やし


オーハラさんたちはそのことを知らへんけど、薄々アイツのキャラがオカシイってことは気づいてると思うねん



ふむ



さっきもアレやで。

ツートンのやつ、キャラ変してブチキレよった



ブチキレただと?

いったい何があったのだ?



理由はわからへん。

突然、アカリ婆とヒカリ爺に当たりはじめたもんやから、アタシは止めたんやけど



アカリ(ばあ)とヒカリ(じい)に?

あの温厚なふたりに、なぜ……?



さあ……理由は謎やけど、だいぶ荒れてたことは事実や




 それからファーマは、プレイルームで起こった出来事について語りはじめた。







 空はゴロゴロと不機嫌そうな雲につつまれて、暮れゆく大地に大粒の雫を降らしてる。



 荒れそうな感じやなぁ……。



雨じゃのう


今夜は、散歩は無理そうじゃのう




 雨粒の滴る窓を見つめながら、アカリ婆とヒカリ爺は残念そうにこぼす。



 すると――



何が散歩だ!

忠義(づら)して、ワガママばかり言うな!



ほえ?


ワガママ?



猫は散歩に行きたくても連れて行ってもらえないんだ!


それなのに、犬はズルい!



ズルいって言われてものぅ


わしらは外でトイレを済ませるから、その分我慢も必要なのじゃぞ?



そう言う割に、ペットシーツだって使ってるじゃないか!



まぁ、たまにはそういう日もある



このとおり天候に左右される日もあれば、体調が(かんば)しくない日もあるからのぅ


けれども、わしらはどんなときもお世話してくれる飼い主さんへの感謝の気持ちを忘れはせんよ



なっ……!?

オレがオーハラさんたちに感謝してないとでも言いたいのか!?



そうカッカするでない


自分の胸に聞いてみればわかることじゃ



コラッ、ツートン! 

もうやめや!


これ以上、アカリ婆とヒカリ爺に絡むんやないよ!



絡んでない!

図に乗ってるから注意しただけだっ



何言うとんねや!

調子こいてつけあがっとるのは、アンタのほうやろ!



つけあがってるだと? 

言いがかりはよせ!


オレはいつだって冷静沈着で、不測の事態にも対応できるパーフェクトキャットなんだよ!



ハア!? どこがや!



全然冷静じゃないくせに


大法螺(おおぼら)吹き、ニャウ




 ヒモのオモチャにじゃれてたメデアとイソルダも、口をそろえて批判する側にまわる。



イラッ!


イライライラッ!




 ツートンの顔つきがみるみる一変した。



 まさか、キャラが変わったんやろか……?



 ツートンは怒り顔のままゆっくり窓のほうへ歩み、目の前にあるハンモックに恨み深いまなざしを据える。



この壁際のハンモックは、アカリ婆とヒカリ爺のお気に入りの場所だ


だが本音を語れば、オレも気に入っている!


もっと実情を打ち明ければ、老犬たちのいないあいだ、ファーマはこのハンモックをひとり占めして、腹丸出しで眠っていることもある



うっ……!

それをバラすなや!



つまり、だ。

高齢者どもがその場を独占できるのは、みんなが先住者を尊び、遠慮してやってるからだ!


もちろん、その中にオレも含まれている


そのような恩恵を受けておきながら、このオレに向かって感謝の念がないなどとよく言えるな!



むろん配慮はありがたいがのぅ


じゃがそれはわしらに対しての礼であって、人間が対象の話ではないではないか



黙れ! 

オレを批判するなら、思い知らせてやるっ!




 ツートンはハンモックの上に跳び乗ると、やや尻を上げた。



ゲッ!

激しく嫌な予感しかせえへん……!




 案の定、ツートンはハンモックに尿をぶちまけた。



ああああああ!

コイツ、やりやがった!


よりによって、お気に入りの場所にションベン引っかけるやなんてっ!



やだ、クッサ!


激臭、ニャウ!




 一瞬で部屋は汚臭まみれや。



 それを悪質な行為と意識してるからか、余計に不快に感じる。



ああ、なんということを……!


いくらなんでも、おふざけがすぎるぞい!



これは天罰だ!

オレは天の代わりに、ワガママなヤツらを裁いてやったんだ!








 なにが天罰やっ! 



 アホかーーーーーーーーっ!







ツートンは言うだけ言って、そそくさとプレイルームを出ていってもうた


それきりどこへ隠れたかわからへん



ひどい話だな……!


ツートンは去ったというが、メデアとイソルダはまだプレイルームにいるのか?



たぶんおるはずやで



子どもたちのことが心配だ。

様子を見てくる!




 言い終えるより早く足が動いて、おれは子どもたちのもとに駆け出していた。



















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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