第52話 脱走

文字数 2,682文字





 オーハラの家からの脱走に成功したおれは、ひたすら道を走りつづけていた。



……ハァ……!



……ハァ……ハァ……!




 いつもより息苦しい。



 しばらく室内生活が続いていたせいだろうか。体がなまって体力が落ちている。


 

 しかし速度は緩めても、歩みは止めない。前進あるのみだ。




 ――猫に行き止まりはない――




 細い道、大きい道、T字路、壁……



 よほどの難所にぶつからない限り、移動は可能だ。



……こっちか……




 目的地までの道のりはなんとなくわかる。



 視覚やニオイ、そしておれの中に備わる野性のカンがおのずと答えに導いてくれる。



 だから、道に迷うことはない。



……むしろ厄介なのは、ジロリ組の連中に見つかることだ……




 追放された身でありながらヤツらの縄張り内にいるところを目撃されれば、因縁をつけられる恐れがある。



 最悪、ケンカになりかねない。



 大抵の敵なら返り討ちにできるが、あのボス猫(プルート)に遭遇したら――



そのときは、(おのれ)の運のなさを恨むしかないな……




 おれの心配をよそに、移動中、危険な存在に出くわすことはなかった。




 休みなく移動しつづけ、ようやく廃工場に到着した頃――



 すでに日は傾いて、青空は暮色に変わっていた。



みんなー! どこにいるー!?


いるなら返事をしてくれー!




 呼びかけても、返事もなければ物音もない。



 辺りは憎たらしいほどの静けさにつつまれている。



おかしい……。

何かがいる気配はするのだが……


中に入って確かめてみるか




 それまで乗っていた塀から下り、敷地を歩いて入口へ進んでいく。



 薄暗い工場内に足を踏み入れて、中を探索しようとしたときだった。




 ――獣の息遣いを感じる!




 目を凝らせば、積みあがったガラクタの上に一匹の猫がいるではないか!



にゃは~?

出戻りしてくるとは、意外にゃねぇ



その声は、マウティス!?



久しぶりにゃも。

傷もすっかり癒えて、元気そうにゃね


さてはこのマウティスの導きに従って人を頼り、良い飼い主のもとで惰眠(だみん)(むさぼ)っているのかにゃ~?




 マウティスはニヤニヤしながら、探るようなまなざしを向けてくる。



人の世話になっているのは事実だが、惰眠を貪ってなどおらん!


それに良い飼い主かどうか……おれにはまだわからんのだ



まぁそうにゃよね。

たかが半月にも満たない期間では、人の良し悪しは見分けられにゃいも


ところで、家族はどうしたのにゃ?



家族なら、例の家にいるが



にゅふふ、にゃるほどにゃあ。

つまり、ここへはたったひとりで訪れたというわけにゃね



そうだ。

貴様のほうこそ、なぜここにいる?



なぜも何も、この廃工場はすでにジロリ組の縄張りにゃも


いまはこうして、ジロリ組の偉大なる策士・マウティスが管理しているのにゃ♪



なにっ……!?

貴様がおれの縄張りを――!?





 一瞬、コイツを叩き出してしまおうかと攻撃的な考えが湧く。



 以前、このマウティスとは一戦交えた。



 食えないヤツだが、ケガが治ったいまならば勝てない相手ではない。




にゃはは!

奪おうとしても無駄にゃよ


近々ジロリ組のメンバーが追加でやって来て、ここに永住する予定にゃも



……フンッ、おれの組は抗争に負けたのだ。

好きにするがいい



にゅ~? 

もしかして、いつかはここに戻ってこようにゃんて考えていたにゃ? 


だとしたら、残念にゃねぇ



誤解するな。未練はないっ


それより一つ用件がある



にゅ?



おれが町へ向かう前は、まだここにねこねこファイアー組の者達が残っていた


その行方を知っているなら、教えろ!



さあにゃあ~



トボけるなっ!


大方(おおかた)、貴様が力づくで追い払ったのだろう!?



そう早とちりしないでにゃ。

力づくで追い払うなんて手荒なマネはしてにゃいも



……さては、たぶらかしたな?



ひどい言い草にゃねぇ。

ウチはただ、オイシイ情報を与えた(・・・)だけにゃよ


隣町に野良猫が群れるにちょうどいい場所があって、そこでは何もしなくてもエサがたんまり支給される、ってにゃ



流言を撒いたか。

どうせ事実ではあるまい



にゅふふ!

もちろん嘘にゃも


けれどトウとリャクを筆頭に、み~んなオイシイ情報(エサ)に釣られてここを出ていったにゃ



なぜ、そのようなことを!?



危険因子を放っておくわけにはいかないからにゃ~


ジロリ組に敵対する邪魔者は、ひとりでも少ないほうがいいにゃも


そーゆうワケで、みんなまとめて遠くに行ってもらったにゃ



なんということだ……!

みんな去ってしまうとは……



にゅにゅ? 

ずいぶんと落胆してるにゃねぇ


かつての手下を集めて、どうするつもりだったのにゃ?



おれはただ、共に戦った組の者達を捨て置くに忍びなかっただけだ!


手下とはいえ、多くの者達がねこねこファイアー組に入ってくれた


その者達に、おだやかな環境で心休める日々を味わってほしい……


そう考えただけだっ! 

他意はない!



ふぅん、少し見ないあいだに雰囲気変わったにゃねぇ


まさか、去勢でもしたにゃ?



ふざけるなぁぁぁぁっ!



にゅふふ! 冗談にゃも


とにかくここにはもう誰もいないにゃ。

とっとと諦めて、立ち去るといいにゃ




 マウティスは、さっさと帰れと言わんばかりに、だらんと垂れたシッポを左右に大きく振った。



……っ……!




 おれは言葉もなく、身をひるがえして歩き出す。



 だがハッとして振り返り、したたかな猫を見上げて問いかけた。



マウティスよ、この近くで誰か見かけてはいないか?


もしかすると、うちの組にいた者達が路頭に迷ってウロついているかもしれんのだ



ん~どうだかにゃ~。

見かけてるような、見かけてにゃいような



その口ぶり……!

さては心当たりがあるな!?



まぁにゃ~。

あるにはあるにゃよ。

でも、教える気はないにゃ



なぜだ!?



だってにゃあ……、

手下と結託して、ジロリ組に奇襲をかけるつもりかもしれないしにゃあ



そのようなことはせん!



ふぅん、なら交換条件にゃね。

(くれない)ファミリーがいま拠点にしている場所を教えてにゃ



……マジカル・ニャワンダだが



あ~、あの犬猫ボランティアをしているところにゃね



知っているのか



まあにゃ。

あれはジロリ組の縄張りエリア内から、わりと近い場所にあるにゃ


詳しいことは知らにゃいけれど、悪い評判は聞かにゃいよ



そうか


――で、仲間の居所は?



にゅふふ、仕方ないにゃねぇ。

教えてあげるにゃ


ここを出て、北にある森に行けば、おそらく誰かに会えると思うにゃ



北にある森?



うにゃ。

そこには、猫にはうれしいマタタビの木がいっぱい生えているのにゃ


ウチは勝手に〝マタタビの森〟と名づけたにゃ



ああ、あの森か!




 そこはおれたちが廃工場を拠点にしていたとき、多くのマタタビを収穫していた森だった。


















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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