第152話 ファーマの遺言 

文字数 3,462文字




 昨日の一件から一夜明けて、朝になった。



大変! 

ファーマの様子が……!




 オーハラが血相を変えて廊下を走っていく。



 急ぎ足で階段を下ると、慌ただしく支度にとりかかった。どこかへ出かけるつもりのようだ。



いま、彼女のつぶやきが聞こえたわ。

動物病院へ行くようね



動物病院?

それほどファーマの具合は悪いのか?



たぶん……。

様子を見に行ってあげたほうがいいかも



では、拙者(せっしゃ)はここでお子様方(こさまがた)をお守りいたしまする!



任せたぞ



はっ!




 おれはイザベラと共にファーマの部屋に向かった。



 ファーマの部屋は同じ階だから近い。



 開いたドアから、人間用のベッドが見える。



 その中央にこんもりとした膨らみがあった。ファーマは横臥(おうが)の姿勢で寝そべって、小刻みな呼吸を繰り返している。



ファーマ。

一体どうしたというのだ?




 室内に入って声をかけると、ファーマはまぶたを重そうに開けて答えた。



ちょっと、具合が悪ぅなっただけや……




 かすかに微笑んで答えるが……



 声や表情に張りがなく弱々しい。







昨日もずっと寝ていたのは、具合が悪かったからなのか?



おかげでウッカリ寝過ごして、ゴハン食べそびれたわ



おまえが食事を忘れるとはめずらしい



やっぱり具合がよくないのかも



別にたいしたことあらへん。

オーハラさんはエライ慌てとったけど、心配しすぎやし




 ファーマは体勢を変え、カタツムリの殻のように丸くなる。



オーハラが心配するのは、おまえが猫エイズキャリアだからだろう


それだけ気にかけているということではないか



そうかもしれへんな



まさか――!

猫エイズが発症したとか!?



どーやろ。

発症したからって、すぐ死ぬわけやないし



では、長く生きられるのか?



猫にもよるけど、何年も生きられることもあるそうや


せやけどアタシは、結構なトシやからなぁ



そんなこと言わないでくれ。

おれはおまえが今以上に長生きするところをぜひ見届けたいと思っているのだ



老けてくところを見たいんか?

変わった趣味やなぁ



何を言うか。

おまえはおれにとって良き友なのだぞ


情が芽生えれば相手のことを気にかけるのは、当然のことではないか



ファーマさんは、良き先輩でもあるわね



友、先輩。

アンタのそーゆう猫らしからぬところ、エエと思うで


てか、めっちゃエエ……


これで安心して、この家のこと、託せるわ……



それは、どういう意味だ……?



もしものときのために、アンタに言うとかなアカンことがある


アタシの遺言(ゆいごん)やと思って、心して聞いてや



遺言だと?

よせ、縁起でもないっ



どうせいつかは縁起でもないことが現実になるんや


そんときになってテンテコ舞いにならへんよう、元気あるうちに伝えておかんと――



ゲホゲホッ!




 突然ファーマが体を起こして咳込む。



ファーマさんっ!?



大丈夫かっ!? 



……ハァ……大丈夫や。

ただの毛玉やから


それより、これからアタシが話すこと、よく聞いてや



わかった。

だが無理はするなよ




 ファーマは軽くうなずくと、おれたちのほうへ向き直った。



初めてこの家に来た頃……、

アタシはいまより年が若かった


オーハラさんとトラヒコさんは、それよりもっと年上やった


せやけど、飼い主さんらと一緒に暮らしてると、猫の寿命の壁を実感せずにいられんようになる


最初はめっちゃ年上やったのに、気ぃついたら年下になっとるからや



なるほど。

そういうものなのか



変な感じやで。

まるで自分だけが早送りされてるみたいや


なぁ、(くれない)さん。

アタシの言いたいこと、わかるか?



わかるような、わからんような



要は、命は短いってことや


いずれアタシも死ぬ。

アカリ婆やヒカリ爺もそう長くはない


あと何年かすれば、みんな死んでしまうんや



……っ!



幸いなことに先日、紅さんもイザベラちゃんも、ウチの一員になってくれた


前々からそうしてほしいと思っとったけど、オーハラさんが決断してくれてホンマよかった


せやからこうして、後のコトを任せられる



後のコト?



せや。

まずはオーハラさんとトラヒコさんのコトや


もしもアタシやアカリ婆やヒカリ爺が死んだら、あの人たちの心の()(どころ)がなくなってまう



拠り所が、なくなる……?



そやで。人って案外(もろ)いねん


人間はアタシらよりもでっかくて、手先も器用で、力もあるけどな


結構繊細で、打たれ弱くて、すぐ気力を消耗してまう生き物やねん


そんな飼い主さんらを、アタシらに代わって紅さんたちが癒したってや



癒しとは、つまり触れ合いか?



せや。

触れ合いの時間は、かけがえのないもんや


どんなに傷ついた心も、ぬくもりのある癒しには勝てへん



ああ、おまえの言うことはよくわかるぞ




 おれにとって家族との触れ合いは至上の癒しだ。



 たとえどれほど深い心の傷を負ったとしても、やわらかであたたかな感触が痛みを鎮めてくれる。



 近頃、人間も例外ではない。



 先日オーハラに触れられたとき、心に小さな炎が灯ったようだった。



 おれの中で、人に対する親愛の念が生まれたからだろう。



 これからも人と暮らしていく限り、その親愛の炎は絶えることなく続いていくはずだ。




飼い主さんらはアタシら動物といるとき、いつもニコニコしとる。

めっちゃ幸せそうで、アタシはその顔を見るのが好きやった


飼い主さんが幸せやと、アタシらも幸せな気持ちになれるんや


いまのアンタになら、この気持ちがわかるやろ?



ああ



せやけど……死が訪れると、みんな台無しや。

幸福の時間にたちまち亀裂が入って、不幸の瓦礫が積み上がってまう


いままでそれに似た場面を仰山(ぎょうさん)見てきたし、そのたびにオーハラさんらは打ちひしがれてた


アタシが死んだら、あの人たちはきっと悲しむ。

最後の最後で、泣きどおしになってまう


もし立ち直れへんほどショックやったとしても、それを引きずってほしくはない


せやから、紅さんたちの力で支えてやってほしいねん



おれが、人を支える?



紅さんと、イザベラちゃんなら、きっとできる……!



うぅむ……



そんな大役、わたしに務まるかしら……?



大丈夫やって。

なんも心配いらへんよ


ふたりともアタシが見込んだ相手やし、困ったときはふたりで協力して解決できるやろ



たしかにおれたちは、ふたりで協力できる!



そうね!




それともう一つ、頼みがあんねん



なんだ?



ここにはいろんな犬猫が来る。

みんな保護されたばかりの頃は不安でいっぱいや。

誰かが面倒みてあげなアカン


アンタは面倒見がエエ。

猫のために親身になって、その気持ちに寄り添えるはずや



自分では相手の気持ちに寄り添えているか、わからんが……



いや、アンタにならできる!


(つら)い思いをしたコ、苦しい思いをかかえとるコ、みんなの壊れかけた心をうまくケアしてほしいんや


そうすればきっと、里親のもとへいくコたちも、心穏やかに旅立てるはずやから……



わたしが初めてここに来たときも、状況を説明してくれるファーマさんたちがいてくれたおかげで不安が軽減したわ


人にはできない猫同士の交流を請け負ってくれる猫がいると、新入りのコが打ち解けるのも早いかもしれないわね



わかった。

自信はないが、そのときが来たらやり遂げてみせよう!








だがいまは、おれが出しゃばるべきじゃないだろう


ファーマよ……、

先輩猫として、おまえが仕切ってくれ



せやけど、アタシはもう……



大丈夫だ、ファーマ。

おまえの命はまだ(つい)えはしない


これからもずっと、生き続けられる



せやな、こんなところで死んでられへんな


もっとしぶとく生きて、オーハラさんやトラヒコさんに安心してもらわんと



それに――


離れ離れになった彼も、アタシが長生きすることをどこかで祈ってくれているはずや









 翌朝、ファーマは動物病院へ連れて行かれた。



 体調不良の原因は、ネギの葉先を噛みちぎって食したことによる一時的な食中毒だった。




大事に至らなくてよかったわね



よりによって、猫にとって中毒となるネギを食べるとはな



にゃっは!

やってもうたわ!



まぁ、尖ったものについ興味を惹かれてしまう気持ちもわからなくはないけど



一番問題なのは、ネギを食べたことをまったく憶えてなかったってことやな



おまえにもとうとう痴呆の(きざ)しが現れはじめたか



ちょっ――

ただの物忘れや! 

痴呆やないで!



ははは!

ボケてくると、大概(たいがい)そう言って否定するのだ



ちゃーーーーーーう!


アタシはまだ、ボケてへんからな~~~!




 それまでの体調不良が嘘のような元気いっぱいの声がリビングに広がっていく。



あらあら、ファーマったら急に活発なのねぇ




 オーハラはうれしそうに笑って、おれたちにおやつをふるまった。










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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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