第136話 保護犬の過去

文字数 3,620文字





 柴犬パンフーが飼い主と共にマジカル・ニャワンダへやって来た。



 訪問の理由は、おれの子猫を引き取りたいからだという。



そんな要望、聞いてられるか~~~っ!




 湧きあがる怒り。血管がプツンと切れてしまいそうだ。



 先日メデアとイソルダがおれのもとを去ったばかりだというのに、どいつもこいつもおれに忍耐を強いるようなことばかり言ってくる。



 パンフーは困ったような顔をしながらも、階段の踊り場に佇み、おれの行く手を塞ぐ姿勢を崩す様子はない。



ねぇ、(くれない)くん。

どうして子どもたちを渡したくないって思うんだい?



どうしてって、そんなの親だからに決まっているだろう!


愛しい我が子と共にいたいと思うのが当然ではないかっ!



なるほど。

かわいい子どもがいたら、ひとり占めしたい。

誰にも渡したくない


そう思うのは自然なことだね。

何も悪いことじゃない



当たり前だ! 

それが親心というものだからな



親心、か……


一概に親だからといって、一括りにはできないかな。

世間には、いい親もいればそうではない親もいるからね



わかったようなことをっ



だけど、キミの子どもを想う気持ちは本物だと思うよ



本物か偽物かなどと、おまえに何がわかる!?

おまえに子はいないのだろう!?



うん、いないよ



では、親はどうなのだ!?



ほとんど交流なかったな


うちのお母さんは子ども産むのが仕事のような立場にあったから、僕を構っているゆとりなどなかったんだと思う


そのせいか、いつも機嫌が悪くて怖かった印象しかないよ



そうか、(つら)い思いをしたのだな……


ところで、おまえは以前この『マジカル・ニャワンダ』に保護されたと聞いたが、どういう経緯でそうなったのだ?



複雑な話だよ。

事の発端は、トラブルに巻き込まれたからなんだけど……



トラブル?



教えるのは構わないけど、僕が事情を話している隙に飼い主さんに跳びかかったりしない?



しない。約束する



わかった。じゃあ教えるよ


じつをいうと、僕は日本生まれじゃないんだ



えっ、そうだったん!?




 おれが驚くより先に、ファーマが両目を見開いて感情を露わにする。



うん。

僕が生まれたのは、こことはまったく別の、中国というところなんだ



中国かぁ~~~! 

めっちゃデカイ国やんか~!



ほぉ




 おれには国の名前などわからん。



 だが同じ大陸の者ではないというだけで、そのさして大きくもないパンフーの総身の背後に、果てしなく壮大な世界観をまざまざと見せつけられたような気もする。







驚くのも無理はないよね。

昔ここにいた頃は、自分のことをほとんど話さなかったから



せやなぁ、ビックリやわぁ


ほな、向こうで生まれて、誰かに飼われてたん?



ううん。

僕は、売り物だったんだ。

だから飼ってくれる人を求める側だった



売り物だと……!?



そうだよ。

人に買ってもらうために、お店に並んでいたんだ



……!



僕以外にもたくさんの犬や猫がいてね、みんなお店に来る人間に気に入られたら買われていくんだよ


そこを出たいなら、人間に買ってもらうしかないんだ



過酷だな



いまはそう思うけれど、当時の僕にはそれが日常っていうか、当たり前の状況だったんだ


物心ついたときから周りには親兄弟じゃない犬がたくさんいて、狭いケージの中で身を丸めて過ごしてきたからね


お店の子犬たちの中には、元の場所に返してほしいって、ひっきりなしに鳴いてるコもいたけれど……


僕には帰りたいと願う場所もなかった。

ただ狭い檻の中でぽつんとしていた



……



それからしばらくして――

僕はお店の常連だった夫妻に気に入られて、買ってもらえることになったんだ


外の空気を吸ったのは、それが初めてだった。

これから新しい生活が始まるんだって、心が躍ったよ


だけど――


運のない僕は、トラブルに巻き込まれた



トラブル?



犬泥棒に盗まれたんだ



なっ……!?



怪しい男が自転車に乗って接近してきて、主人が目を離した隙に僕を盗んだんだ


僕の入ったキャリーバッグを掴み取って、前カゴにポイッとほうり込んでね



うはっ、ホンマに!?



うん。

あっちの国では、ペットがさらわれることがあるんだよ


とくに犬は盗まれやすくてね、さらわれた犬が食用にされて、人間に食べられてしまう事件が実際に起こっている



食べる!?



そんなのあり得ないって思うかもしれないけれど、国によってはそういう文化が残っているんだ


犬だけじゃなく、猫も食べられたりする



なんと……!



けど一番よくないのは、悪い人たちが利益を得るために、大事なペットを盗んで食用にしているってことだよね


実際、僕も被害に遭ったわけだし。

突然見知らぬ人に拉致されて、加工場へ連れて行かれるところだったから



めっちゃ危険な状況やったんやな



でも、通りがかりの男の人が、怪しい男を問いただしてくれたおかげで助かったんだ


怪しい男は、僕を置いて走って逃げていった


けど残念なことに、それで救われたわけじゃなかった……




救われないだと!?

そんなバカなっ!



僕を買ってくれた人たちと離れ離れになってしまったら、身元を証明できるものはなにもなくなる


マイクロチップはまだ装着されていなかったし、購入直後だったから、他に必要な手続きなどもまだ済んでいない状態だった


そうなると、僕の扱いは野良犬と変わらなくなるんだ



そんな……!?



僕を購入したご主人は、僕を買ってはくれたけど、熱心に捜し出そうとはしてくれなかった


有無を言わせず、僕は行政に処分されることとなった



不運が重なったとはいえ……、

ひどいな



ひどい話だよね。

連れて行かれた処分場のことは、いま思い出しても辛いよ……


あの地獄のような場所では、数えきれないほどの命が処理されていた


諦めているコもいたけれど、懸命に飼い主の迎えを待つ捨て犬もいた。

喜んで死にたがる動物は、誰ひとりとしていなかった


みんなの希望も命も……人間の身勝手さのために踏みにじられたんだ


それに気づくと、絶望を感じることにも疲れて、自分の殻に閉じこもるようになった


処分されるまであとわずか――

というところで、僕に救世主が現れた



それは、一体……?



怪しい犬泥棒を退けてくれたあの通りがかりの人が、僕のもとに駆けつけてくれたんだ


偶然にもその人は、トラヒコさんの甥っ子さんだったんだよ



ほう!

トラヒコの甥がなぜそんなところに?



当時、甥っ子さんは、仕事の関係で中国に住んでいたんだ


動物好きの親切な人で、処分場へ連行された僕のことがずっと気がかりだったらしい。

処分をやめるよう掛け合ってくれた


それに、日本にいるオーハラさんとトラヒコさんに事情を伝えてくれてね……


おかげで僕は大陸を越えて、『マジカル・ニャワンダ』に引き取られることになったんだよ



知らんかった……。

アンタが死ぬほど苦労してたなんて……



よく耐えたな……



うん……



アンタがここに来たばかりの頃、ちゃんと話聞いてあげなくてゴメンな



いいよ、気にしないで。

昔はいろんなことに疑心暗鬼だったから、こんなふうに語ることなんてできなかっただろうし



それにしても、突然環境が変わったのによく対応できたな



ハハ……、

もちろん初めは苦労したよ


だけど、元々僕の母親は日本育ちだったから、意思の疎通にそれほど苦労させられることはなかったよ



それはなによりや。

でも、なんで子どもの頃、あっちの大陸に行くことになったん?



なんでだろうね。

お母さんは、引き取り主に騙されて、売り飛ばされたって言ってたけど……



ひどいな



ホンマやな。

悪いヤツらのせいで、人生メチャクチャにされとるやんか



ホント最悪だけど、僕たちじゃ世の中にはびこる悪をどうすることもできないからね


誰かに翻弄されても、強く生きていくしかないんじゃないかな



強く生きていくしかない、か……


まったくそのとおりだな



ひどい思いはしたけれど、僕はよい飼い主さんに引き取られて、ようやく安住の地を得ることができた


引き取られたばかりの頃は、すっかり怖がりになっていて、散歩もできなかったくらいだった


外に出て、また誰かにさらわれたらどうしようって、不安で不安でたまらなくてさ……



辛いな……



けど、そんな僕に飼い主さんは辛抱強くつき合ってくれた。

やさしくいたわるように、愛情をかけてくれた……


おかげでいまはすごく幸せだよ。

外の空気を感じながら散歩もできるし、フカフカなベッドで手足いっぱい伸ばして寝られる


怖い夢を見てストレスを感じたら飼い主さんは撫でてくれるし、僕の好みを把握しておいしいゴハンを与えてもくれる


思いつめて悩むこともなく、人の顔色ばかり気にすることもない


大好きな飼い主さんたちと一緒にいられて、ときに甘えて、自分のしたいようにのびのびと生きていけるんだ


僕は犬に生まれてよかった。

これ以上の幸せはないよ



さよかぁ。

ホンマよかったなぁ



おまえが満足しているなら、あの飼い主たちもうれしいだろう


母犬や、短いつき合いで終わった主人たちも、きっと喜んでくれるはずだ



うん、そうだといいな




 パンフーはスッと目を細めて、うれしそうな顔をした。



 見ているこちらが幸せにつつまれるような、いい笑顔だった。
















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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