第147話 呪縛のコトバ

文字数 3,907文字





 アンチクンに伝えておきたいこと。



 それは――



おれは妻と話していて、あることに気がついたのだ



あること?



ああ。それはだな――




 と言いかけたところで、



さぁ~て、ひとまずあちらの部屋へ戻りましょうかね~




 猫オタが割り込んできた。



 話を(さえぎ)っていることにも気づかず、アンチクンの入ったキャリーバッグを抱きかかえて行ってしまう。



こらっ! 猫オタ!

まだ話の途中だぞっ!




 止めてはみたものの、猫オタはこちらを振り返りつつ、



神猫様(かみねこさま)は元気ですね~




 まるで見当違いなことを言って、廊下の奥へと消えた。



あ~ぁ、行ってもうたわ



やむを得ん。追いかけるか



ほな、アタシらはゴハン食べてくる。

めっちゃ空腹やし



ああ、好きにしてくれ。

おれはあのコのところへ行ってくる




 方向転換して歩みかけると、



そなたは面倒見がよいのぅ




 ヒカリ(じい)が感心したように言った。



本来ならば、保護されたコの相談は年長者であるわしらの務め


じゃが、そなたにまかせておけば万事問題なくいきそうじゃ



よせ。

猫をおだてても木には登らんぞ




 振り返って答えると、アカリ(ばあ)もヒカリ爺の発言に快く応じる。



ホッホッホッ。

わしらは年を重ね、相手を見る目は養ってきたつもりじゃ


初めてそなたと出逢ったときから、面倒見がよく、(ふところ)のひろい猫じゃと思っていた



買い被りすぎだ



まぁそう思うならそれでもよい。

では、健闘を祈るぞぃ



ああ




 挨拶を済ませ、おれは廊下を歩いて猫部屋へ向かった。



 ちょうど猫オタが、アンチクンをバッグからケージの中へ移し終えたところだった。



あ、神猫様!

もしかして、またマンチさまとお話になるのですか?



うむ、そうだ。

〝話〟をするのだ



いいなぁ、おれも交ざりたいな~。

猫みたいに伏せてれば、それっぽい気分を味わえるかな~




 おもむろに猫オタは姿勢を低くし、香箱座(こうばこずわ)りのように手足を折りたたんで床に座りだす。



……邪魔だ!




 ギロリと睨みつけると、猫オタはおれの心情を察したらしく、



邪魔になるといけないので、出ていきますね……っ!




 アセり顔に涙を交えつつ、そそくさと部屋から出ていった。



では、さきほどの話の続きをしよう



あ、はい……ッ




 ケージの格子に隔てられた状態で、おれとアンチクンはおすわり体勢のまま向かい合う。



おまえは人が嫌いだ。

いまでも、その気持ちに変わりはないな?



ありません……ッ



おれはおまえのその人間嫌いという考えを、どうにかして改めなければならないと思っていた


だが、無用なことだと気がついたのだ



え? 無用ですか?



ああ、まったくもって不必要だ


嫌いなら、嫌いのままでいい。

無理をして、考えを改める必要はない



じゃあ、僕は……、

人間嫌いなままでもいいんですね……ッ?



そうだ。

無理をするからストレスになる



無理……?



そう、無理だ。

無理をして我慢を続けることは、苦痛を生む


おまえは自分に負担をかけるとわかっていながら、(おのれ)の感情に逆らい、無理を通してきたのだろう? 



そうです、僕はずっと我慢していた……ッ


感情に逆らって、無理を積み重ねてばかりだった……ッ



度重なる我慢の日々……。

さぞ苦しかったことだろう


おれは野良猫だったから、己の体に鞭を打ち、身体を無理な状況に投げだして生きてきた。

だから、少しはおまえの苦しみを理解できる


それだけではない。

心身に異常をきたし、倒れてゆく者達をこの目で幾度も見てきた


自分の気持ちを偽り、ひたすら忍耐しつづけることが、どれほど悪影響を及ぼすことか――


その負担は想像以上に大きい。

やがては精神を(むしば)み、心を腐らせるほどにな



僕は――


僕は、ずっと追いつめられていました……ッ



追いつめられていたのは、なぜだ?



なぜ……? 

なぜだろう……ッ?



人に飼われる以上は、お行儀よくしてなさい……ッ


人間の言うことを聞かないと、捨てられるわよ……ッ〟



それはおそらく、お母さんに厳しくしつけられたから――……ッ



母の教えか



お母さんを責めるつもりはありません……ッ


お母さんもストレスのかかる環境にいて、僕を生かすために必死だったんだろうから……ッ


でも母は、とても厳しかった――……ッ




 アンチクンは目を閉じた。



 自分自身の過去に目を向けはじめたようだ。



僕は生まれて間もない頃から、

「人間の言うことを聞かないと捨てられる」と母に言われて育ってきました……ッ


外の世界へ捨てられれば(むご)い死に方をする、そう母に教わっていたんです……ッ


母の教えは強迫観念となり、

〝捨てられる〟というコトバは、それこそ呪いのように僕の心に残りました……ッ



子を想ってのことであったにせよ、(つら)いな



はい……ッ。

呪いのコトバを抱え込んだ僕は、絶えず人間に恐怖し、相手の顔色ばかり(うかが)うようになりました


せめて落ち着ける場所で過ごせたら、そんなコトバの魔力に脅えずに済んだかもしれません……ッ


でも、まわりは怖そうな人ばかりだったし……、

店でひと目に晒されるようになってからは、ますます人を意識するようになってしまって……ッ


人間がちょっとでも気分を害せば、例の〝捨てられる〟というコトバが僕の恐怖心を煽るようになったんです……ッ




なんだか愛想のないコねぇ……






あまり鳴かないで、うるさいのは嫌だから……






せっかく用意したエサを食べないなんて…… 







呪いのコトバに追いつめられた僕は、自分の感情を押し殺しました……ッ


毎日やりたいこともやらず、ただじっとして不快感を(こら)えているだけ……ッ


一体なんのために猫として生まれたのか――


気づけばおとなしいだけが取り柄のつまらない猫になっていたんです……ッ



不憫だな……



そうして僕は、自分自身も人間も大嫌いになりました……ッ



人間さえいなければ、僕はもっと楽にできるのに……ッ



人間さえいなければ……ッ! 



人間さえいなければ……ッ!



毎日そんなことばかり思うようになりました……ッ


だから飼い主のことも、嫌で嫌でどうしようもなくて……ッ



たしかに人間には色々なヤツがいる


だが、案ずるな。

おまえの飼い主は、きっとおまえを捨てたりはしない



……それはどうだかわかりません……ッ


実際、僕は……あの家の息子に置き去りにされました……ッ



ヤツはおまえの本当の飼い主ではないからだろう。

臨時で世話を請け負っただけの下郎(げろう)にすぎん



それは、そうですが……ッ



おまえの飼い主がどの程度おまえを大事にしてたのかはわからんが、半年近く共に過ごしてひどいことをしてこなかったのは事実だ


もし相手が偽りでなはなく真の猫好きなら、これからも面倒をみてくれるはず


今後おまえが無理をしなくても、きっと受け入れてくれるだろう



受け入れて、くれる……ッ?



ああ。だから、もう無理はしなくていい。

相手のことばかり気にするな


自分の心にかかる負担を減らせば、いずれ呪縛から解放されるときが必ずやって来るぞ!



必ず……?



そう、必ずだ!




 いままで張りつめていたアンチクンの顔が少しゆるんで、穏やかになる。



紅さん……ッ!


おかげで僕は……今回のことで学びました……ッ



そうか。学んだか



はい……ッ。

最初はどうせ辛抱したって捨てられるッて、ふてくされた気持ちでいたけれど、(くれない)さんと話していたら、気づいたんです


僕はいままでただ運が悪かっただけで、僕自身は悪くなかったのかもって……ッ



そのとおりだ。

おまえは何も悪くない



……ッ!




 アンチクンのつぶらな瞳に薄っすらと涙が浮かぶ。


 

 彼は(しずく)(にじ)んだ目のまわりを、顔を洗うようにコシコシと拭った。



 そして、もう泣かないと言わんばかりに瞳をキュッと閉じ、話をつづける。



ぼ、僕は……ッ、

ずっと捨てられることばかり気にしていたから……


自分の行動が良かったのか悪かったのか、小さなことでくよくよ悩んだりしていました……ッ


そのストレスのせいで人間嫌いになりましたが……、

じつを言うと、心のどこかで自分に否があるんじゃないかと責めていたんです……ッ



自分を責める?



はい……ッ、

日頃人間の世話になっているのに、相手を嫌いになるのはおかしいって……ッ




 正直、猫らしからぬというか、おれにはない感覚だ。



 だが猫社会も色々ある。



 物の感じ方も猫によってまるで異なるから、不思議というか、猫とはとても個性に溢れた生き物なのだろう。



でも……、

ようやく自分なりに納得することができました……ッ


嫌いになっちゃったんだから、仕方ないですよね。

結局無理に好きになろうとしても、余計に苦しくなるだけだし……ッ



ああ



嫌いなら、嫌いなままでいい。

無理をして、考えを改める必要はない――



そう言ってもらえて、やっと呪縛から解放されるって思えたんです……ッ


ありがとうございます、紅さん!

ようやく心の負担が軽くなりました……!



これから先、飼い主のもとでうまくやっていけそうか?



うまくいくかはわかりませんが、以前よりはだいぶ良くなると思います……ッ



そうか



あとはこれを機に、ずっと飼い主に言ってやりたかったことを伝えられたらいいなって……ッ



言ってやりたかったこと?



はい、僕の気持ちです……ッ


人間相手に無駄かもしれないけど、飼い主の顔を見て、何かを訴えることなんてほとんどなかったので……ッ



所詮猫に言っても無駄、と人間に(あなど)られるのが不快なように、人も所詮人間ごときに通じるわけがないと猫に決めつけられるのは不愉快だろう


明日(あす)飼い主が迎えに来たら、ハッキリ言ってやるといい



はい!




 ここに来て初めてアンチクンは元気な声で返事をしてくれた。






















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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