第147話 呪縛のコトバ
文字数 3,907文字
さぁ~て、ひとまずあちらの部屋へ戻りましょうかね~
猫オタが割り込んできた。
話を遮っていることにも気づかず、アンチクンの入ったキャリーバッグを抱きかかえて行ってしまう。
止めてはみたものの、猫オタはこちらを振り返りつつ、
まるで見当違いなことを言って、廊下の奥へと消えた。
ほな、アタシらはゴハン食べてくる。
めっちゃ空腹やし
ああ、好きにしてくれ。
おれはあのコのところへ行ってくる
本来ならば、保護されたコの相談は年長者であるわしらの務め
じゃが、そなたにまかせておけば万事問題なくいきそうじゃ
振り返って答えると、アカリ婆もヒカリ爺の発言に快く応じる。
ホッホッホッ。
わしらは年を重ね、相手を見る目は養ってきたつもりじゃ
初めてそなたと出逢ったときから、面倒見がよく、懐のひろい猫じゃと思っていた
まぁそう思うならそれでもよい。
では、健闘を祈るぞぃ
挨拶を済ませ、おれは廊下を歩いて猫部屋へ向かった。
ちょうど猫オタが、アンチクンをバッグからケージの中へ移し終えたところだった。
あ、神猫様!
もしかして、またマンチさまとお話になるのですか?
いいなぁ、おれも交ざりたいな~。
猫みたいに伏せてれば、それっぽい気分を味わえるかな~
おもむろに猫オタは姿勢を低くし、香箱座りのように手足を折りたたんで床に座りだす。
ギロリと睨みつけると、猫オタはおれの心情を察したらしく、
アセり顔に涙を交えつつ、そそくさと部屋から出ていった。
ケージの格子に隔てられた状態で、おれとアンチクンはおすわり体勢のまま向かい合う。
おまえは人が嫌いだ。
いまでも、その気持ちに変わりはないな?
おれはおまえのその人間嫌いという考えを、どうにかして改めなければならないと思っていた
嫌いなら、嫌いのままでいい。
無理をして、考えを改める必要はない
じゃあ、僕は……、
人間嫌いなままでもいいんですね……ッ?
そう、無理だ。
無理をして我慢を続けることは、苦痛を生む
おまえは自分に負担をかけるとわかっていながら、己の感情に逆らい、無理を通してきたのだろう?
感情に逆らって、無理を積み重ねてばかりだった……ッ
おれは野良猫だったから、己の体に鞭を打ち、身体を無理な状況に投げだして生きてきた。
だから、少しはおまえの苦しみを理解できる
それだけではない。
心身に異常をきたし、倒れてゆく者達をこの目で幾度も見てきた
自分の気持ちを偽り、ひたすら忍耐しつづけることが、どれほど悪影響を及ぼすことか――
その負担は想像以上に大きい。
やがては精神を蝕み、心を腐らせるほどにな
人間の言うことを聞かないと、捨てられるわよ……ッ〟
それはおそらく、お母さんに厳しくしつけられたから――……ッ
お母さんもストレスのかかる環境にいて、僕を生かすために必死だったんだろうから……ッ
アンチクンは目を閉じた。
自分自身の過去に目を向けはじめたようだ。
僕は生まれて間もない頃から、
「人間の言うことを聞かないと捨てられる」と母に言われて育ってきました……ッ
外の世界へ捨てられれば惨い死に方をする、そう母に教わっていたんです……ッ
母の教えは強迫観念となり、
〝捨てられる〟というコトバは、それこそ呪いのように僕の心に残りました……ッ
はい……ッ。
呪いのコトバを抱え込んだ僕は、絶えず人間に恐怖し、相手の顔色ばかり窺うようになりました
せめて落ち着ける場所で過ごせたら、そんなコトバの魔力に脅えずに済んだかもしれません……ッ
でも、まわりは怖そうな人ばかりだったし……、
店でひと目に晒されるようになってからは、ますます人を意識するようになってしまって……ッ
人間がちょっとでも気分を害せば、例の〝捨てられる〟というコトバが僕の恐怖心を煽るようになったんです……ッ
呪いのコトバに追いつめられた僕は、自分の感情を押し殺しました……ッ
毎日やりたいこともやらず、ただじっとして不快感を堪えているだけ……ッ
気づけばおとなしいだけが取り柄のつまらない猫になっていたんです……ッ
そうして僕は、自分自身も人間も大嫌いになりました……ッ
人間さえいなければ、僕はもっと楽にできるのに……ッ
だから飼い主のことも、嫌で嫌でどうしようもなくて……ッ
だが、案ずるな。
おまえの飼い主は、きっとおまえを捨てたりはしない
実際、僕は……あの家の息子に置き去りにされました……ッ
ヤツはおまえの本当の飼い主ではないからだろう。
臨時で世話を請け負っただけの下郎にすぎん
おまえの飼い主がどの程度おまえを大事にしてたのかはわからんが、半年近く共に過ごしてひどいことをしてこなかったのは事実だ
もし相手が偽りでなはなく真の猫好きなら、これからも面倒をみてくれるはず
今後おまえが無理をしなくても、きっと受け入れてくれるだろう
ああ。だから、もう無理はしなくていい。
相手のことばかり気にするな
自分の心にかかる負担を減らせば、いずれ呪縛から解放されるときが必ずやって来るぞ!
いままで張りつめていたアンチクンの顔が少しゆるんで、穏やかになる。
はい……ッ。
最初はどうせ辛抱したって捨てられるッて、ふてくされた気持ちでいたけれど、紅さんと話していたら、気づいたんです
僕はいままでただ運が悪かっただけで、僕自身は悪くなかったのかもって……ッ
アンチクンのつぶらな瞳に薄っすらと涙が浮かぶ。
彼は雫の滲んだ目のまわりを、顔を洗うようにコシコシと拭った。
そして、もう泣かないと言わんばかりに瞳をキュッと閉じ、話をつづける。
ぼ、僕は……ッ、
ずっと捨てられることばかり気にしていたから……
自分の行動が良かったのか悪かったのか、小さなことでくよくよ悩んだりしていました……ッ
そのストレスのせいで人間嫌いになりましたが……、
じつを言うと、心のどこかで自分に否があるんじゃないかと責めていたんです……ッ
はい……ッ、
日頃人間の世話になっているのに、相手を嫌いになるのはおかしいって……ッ
正直、猫らしからぬというか、おれにはない感覚だ。
だが猫社会も色々ある。
物の感じ方も猫によってまるで異なるから、不思議というか、猫とはとても個性に溢れた生き物なのだろう。
でも……、
ようやく自分なりに納得することができました……ッ
嫌いになっちゃったんだから、仕方ないですよね。
結局無理に好きになろうとしても、余計に苦しくなるだけだし……ッ
嫌いなら、嫌いなままでいい。
無理をして、考えを改める必要はない――
そう言ってもらえて、やっと呪縛から解放されるって思えたんです……ッ
ありがとうございます、紅さん!
ようやく心の負担が軽くなりました……!
これから先、飼い主のもとでうまくやっていけそうか?
うまくいくかはわかりませんが、以前よりはだいぶ良くなると思います……ッ
あとはこれを機に、ずっと飼い主に言ってやりたかったことを伝えられたらいいなって……ッ
人間相手に無駄かもしれないけど、飼い主の顔を見て、何かを訴えることなんてほとんどなかったので……ッ
所詮猫に言っても無駄、と人間に侮られるのが不快なように、人も所詮人間ごときに通じるわけがないと猫に決めつけられるのは不愉快だろう
明日飼い主が迎えに来たら、ハッキリ言ってやるといい
ここに来て初めてアンチクンは元気な声で返事をしてくれた。
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