第91話 出逢い

文字数 3,016文字





 翌日になると、オーハラの家に次々人がやって来た。



おはようございます~


おはようございます~




 おれは窓辺からじっと目を凝らし、玄関先にいる人間たちを観察する。



 どれも見覚えのある顔だ。



 訪問者はすべて、この『マジカル・ニャワンダ』でボランティアをしている人間たちなのだ。



 彼女たちの挨拶にオーハラが応える。



おはよう。今日もいい天気ね~



そうですね~


お散歩日和ですね



ちょうどいま、トラヒコさんがアカリとヒカリを連れて散歩中なのよ




 〝散歩〟と〝アカリとヒカリ〟というキーワードで、彼女たちが日常会話をしていることくらいはおれにも理解できるようになった。



 ほどなくして、その輪の中に別の人間が飛び込んできた。



うおおおおおおおおおはようぅぅぅぅございぃまぁぁぁぁぁぁぁぁすっっっ!



うるさいヤツめ




 おれは騒々しさにイラ立ちながら、遠巻きに苦情を()らす。



あらあら、井伏(いぶせ)くん。

今日は一段と(たぎ)ってるわね



そりゃあもう!

子猫様がついに生まれたと聞いて、昨晩から魂が飛びっぱなしですよ!



え……?

魂が飛んじゃったら、ヤバいんじゃないの?



ははははは! 

問題ありませんよ!

魂が飛んでも、心は不滅ですから!



……


……




 妙な()ができるが、それはもう猫オタのくり出す技のようなものと割り切って会話を進めるしかない。



えっーと、それじゃ子猫さんたちを見ていってね~



はい! 

しっかりと子猫様のお姿を網膜に焼きつけます!



ふふ、子猫のかわいさは目の保養になるわよ。

記憶に(とど)めて、貴重な思い出にしてね~



はい!

目にクッキリと焼きつけて、転写できるようになるまで帰りません!



ハハ……。

実際に網膜に焼きつけたら、転写どころか大ケガだからね~



そうですね!



意味のわからんことばかり言いおって


おまえはバカなのか




 猫オタの発言を聞きながら、おれは呆れ口調でツッコんだ。



 それからすぐに子猫の鑑賞会になった。



 人々は和室に集まると、押し入れの中にいる子猫たちに熱視線を注ぐ。



かわいいわぁ~


癒されるわぁ~



うおおおおおおおおおおおおおおっ!

これが伝説の生まれたての子猫かっっっ!


なんというかわいさの破壊力!

両目がまばたきすらも拒んで、目がカピカピに乾いてくるぞぉぉぉぉぉ!



普通に目薬を差しなさい



病ではないので、薬など不要です!

それにしても、見れば見るほど惹きつけられるなぁ


これは天使か? 

いや、きっと神――まさしく神の化身に違いないっ!


やはり猫とは、神が姿を変え世に具現した神聖なる存在なのだ!




 猫オタが舌をふるって熱弁するが、耳を傾ける者は誰もいない。



 その猫オタから一歩分距離を置きつつ、ボランティアの女性たちは感想を述べ合っている。



すごくかわいいねぇ


ずっと見ていたくなるねぇ



……猫オタは相変わらず他の者達に相手にされてないな



そのようね




 だが彼は、自分が周囲に相手にされないことを気にする素振りもない。



 そんなことより、子猫たちが大事!



 と言わんばかりに、彼は幼い猫たちを見つめながら拳をギュッと握った。



愛らしい子猫様方(こねこさまがた)……!

まだこの世に生を受けて間もないというのに、なんという完璧な造形美!


あのような貴重なお姿を生で見られるなんて……!

うっほぉぉぉ、なんて素晴らしい体験だ!


ボランティアをやっていて、本当によかったぁぁぁぁぁ!


このレアすぎる体験をエネルギーにして、宇宙まで飛んでいけそうな気がするぞぉぉぉぉぉ!




 暑苦しいくらいに情熱を表現した直後だった。



 猫オタは、突然クタクタと畳の上に座り込んだ。



あらら、どうしたの?



あ、いえ……



え、なに? ビックリした~


興奮しすぎたんじゃない?




 隣にいる猫オタに話しかける女性たち。



 その口調や表情は、心配しているというより、状況を軽んじているような印象を受けなくもない。



大丈夫? 井伏くん



はい……



それならいいんだけど……


ちょうどこれから予定していた上映会だし、リビングで飲み物でも飲む?


神猫様と奥方様のラブラブ出産を観たら元気になるかもよ



ハァハァ……そうですね




 オーハラを先頭に、ボランティアたちも部屋から出ていく。



 去り際に、猫オタはこちらを振り向いて言った。



神猫様、奥方様。

ステキな子猫様を見る機会を与えてくれてありがとうございます!


お、俺はもう感激で……!


目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~っっっ!




 涙を振りまきながら猫オタは走り去っていった。



あの人がいなくなると、部屋が急に静かになるね



まぁ、そうだな。

他の者達も去って、より静けさが増したな



みんな子猫に夢中、ニャウ



それにしても猫オタの様子が変だったわね



元々ヤツは変だぞ



そうだけど、具合が悪そうだったわ


あなた、ちょっと様子を見てきたら?



おれはおまえたちのそばを離れるつもりはないが



わたしたちのことなら大丈夫よ。

メデアとイソルダもいるし、何かあったら大声で呼ぶから



そうか。

では、少しのあいだだけ行ってくる




 おれは閉められた戸を開けて廊下へ出ると、階段を下りた。



 リビングには、さきほど和室に集まっていた面々が集まっている。



 人間たちは、大きなテーブルを囲んで座るという定番のスタイルを保ちつつ、それぞれ飲み物を手に語り合っている。



具合が悪いのは、平気?



はい



顔色も悪いし、貧血っぽいわね



まさか大きな病気とか?


井伏くんていつもハイだから、血圧高そうだよね



ただの貧血だと思います。

一人暮らしだと食事が偏るので、鉄分などの摂取量も不足しがちですし



あらあら、しっかり食べてしっかり休まないとねぇ



そうしたいのはヤマヤマですが、じつは最近それどころじゃなくて……




 猫オタは言い淀んでコップの中のストローをグルグルとかき回す。



学校が忙しいの?



いえ……。

原因は、アレです



アレって?



連日の〝張り込み〟です



え?



俺は正直、ボランティア活動を(あなど)っていました!


猫の張り込みが、あんなにもキツイものだったとはぁぁぁぁぁぁ!



猫の張り込み……?




 〝猫〟はわかるが、〝張り込み〟とは何だ?



 張り込み……



 張り込み……



 張り込み……。



もしや張り込みとは、アレのことか……!?








むぅ……やはり違う気がする。

猫語と人語の壁を感じるばかりでサッパリわからんな


それにしてもヤツは、いったい何をしているというのだろう?




 おれは(いぶか)しげな眼差しを猫オタに据えたまま、成り行きを見守った。



 そのときだった。




 ピンコーン!




 突如、真横を車が通過するかのように空気がふるえた。



 インターフォンが鳴ったらしい。



 耳を澄ませば、建物の外に誰かがいる気配がする。




あ、うちの子が帰ってきたのかしら




 オーハラは席を立って玄関へ向かった。



 その後ろ姿を見ながら、猫オタは不思議そうにまばたきをパチパチと繰り返す。



うちの子?



大原さんの娘さんよ


自立して家を出てるけど、こうしてイベント事があると呼ばれて帰ってくるのよ



あ~、そうだったんですか




 オーハラが玄関のドアを開けると、明るい声と共に一人の女性が入ってきた。



ただいまぁ



何者だ?




 声からして若そうだった。

 (はた)から見ても体に張りがあるのが(うかが)い知れる。



 人間の中でも、若年層に分類される年頃に違いない。



おかえり。元気そうね



うん、おかあさんもね



……!




 そのやり取りを見ていた猫オタが、口にくわえていたストローをポロッと落とした。



 おもいがけない不意打ちを喰らったように、間の抜けた顔をして固まっている。





















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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