第104話 考える猫

文字数 3,707文字





 もとをただせば、子どもがさらわれた原因はおれにある。 



 イザベラが怒るのも当然だ。



 ふたりのあいだにかかる重い沈黙……。



 しばらくそれに耐えた後、おれは改めてイザベラに謝罪した。



すまない、イザベラ。

おまえの怒りはもっともだと思う


おれが悪かった……



わかってくれたならいいの。

わたしのほうこそ、強く言ってごめんなさい


でも……



でも?



やっぱりわたしとあなたとでは、子どもに対する責任の受け止め方が違うと感じたわ



いや、今回はウッカリしていただけだ


おれは決して、我が子やその世話を軽んじているつもりはないぞ



そうは言っても……、

はぁ……


母猫には、そのうっかりミスすらも許されないのよ! 



むぅ……




 再び沈黙のカーテンが降りる……。



 すると、同じ部屋にいるメデアとイソルダが不満気味にこぼしはじめた。



ねぇお母さん、もーいいじゃん


ここは野外じゃないんだし、そんなに神経尖らせなくても平気だよ~


ふわぁ……もう眠い、ニャ~ウ



そんな無責任に、悠長なこと言わないでちょうだい!

たしかに屋内は野外に比べれば安全だけれど、今日みたいなことだってあるでしょ!


それを未然に防ぐため、わたしは常に見張ってなくちゃならないんだから!



ウニャ……


ウニャウ……



おまえたちにはわからんかもしれんが、イザベラの言うとおりだぞ


突発的な事故はおろか、ツートンみたいなおかしなヤツもいることだしな。

屋内とて油断はできんのだ



 

 まぁヤツの存在に限っては、子猫の命を脅かされるとまではいかずとも、いろいろな意味で有害であることに変わりはないだろう。



それがわかっているのなら、あなたも気をつけてよ!



あ、ああ……




 イザベラは言うだけ言って、さっさと子猫たちのいるケージの中へ入っていった。



 何か気を静める言葉でも……



 と思ったが、声をかけるタイミングを逸したまま、彼女はプイと背を向けて丸くなってしまった。



お母さん、相当ピリピリしてるね


機嫌が悪くなると長い、ニャウ



仕方がない。

すべておれが至らなかったせいだ




 翌日になっても、イザベラは不機嫌なままだった。



 やや陽が高く昇りはじめた頃。



 廊下へ出ると、ファーマと鉢合わせた。



どや? 

まだイザベラちゃんの機嫌、直らへんか?



うむ……。

ケージに閉じこもって子猫の世話は熱心にしてくれているが、おれが話しかけても反応は薄い



まぁしゃあないな。

子育て中は何かとイライラしやすいし、気ぃ悪くなりがちや



そのようだな



あー、そういえば話わかるけど、みつきが呼んでたで



みつきが?



せや。

なんか最近あのコ、思いつめた感じやな



ツートン・ゼロにしつこく迫られているからだろうか



にゃっは!

乙女ゴコロは複雑やからなぁ~




 ファーマは意味ありげに微笑むと、猫部屋に入っていった。



 おれはみつきの待つ小部屋へ向かう。



 その小部屋は本来具合のよくない猫が出入りする空間だが、人目につきにくいという理由から、みつきはそこに潜伏するようになった。



みつき、来たぞ




 おれが部屋を訪れると、みつきは高い棚の上からサッと跳び下りた。



 おれのほぼ真向かいに着地し、白い足をキレイにそろえる。



親分様。

お忙しいところご足労くださり、かたじけのうござりまする



どうしたのだ?

何か問題でも発生したか?



いえ、問題事が起こったわけではござらぬのですが




 みつきは、またしても言いづらそうにモジモジしはじめた。



そういえば、先日も何か言いかけていたな



いえ、その、あの……




 あのとき、あの場に乱入したツートン・ゼロは、


 「告白なんてさせないよぉ~!」


 と息巻いて、みつきの発言を妨げた。



 なぜ告白を阻止したかったのだろう?



 よほど()らされては困る秘密があったのだろうか……?



――まさか!?



はいっ?


いや……なんでもない




 まさか、みつきは――



 ツートンとふたりして、夜な夜な贅沢なおやつの盗み食いでもしたのではないか!?



 ゴマ団子が消えたとはいえ、まだツートンの心の中には食に対する関心の強いマメ大福もいる。



 ヤツにそそのかれたみつきが結託して、盗み食いに及ばぬとも限らない……。







 疑いのまなざしを向けると、みつきは顔を上げ、思いもよらぬことを主張しだした。



親分様!

拙者は、親分様が不憫でなりませぬ!



不憫?


おまえたちの食べていた焼きカツオを食い損ねたからか?



はっ!?

何の話でございまするか!?



い、いや、違うならいいのだ



拙者が不憫と申すのは、奥方様の態度があまりにつれないからでございまする!



つれない……?

イザベラの態度が不服だというのか?



さようです!


親分様はお子様のお世話なども含めて、たいへん奥方様に尽くされておいでなのに、奥方様はひどくご立腹の様子


もし拙者ならば、そのようにヘソを曲げることなどいたしませぬ!



では、そなたならどうするというのだ?

子育てを一貫して引き受ける、とでもいうつもりか?



当然でございまする!



しかし、それでは何も変わらんではないか



はっ?

変わらない……とは、どういうことでござりまするか!?



母猫が子猫に関わる育児を一手に引き受け育てあげる。

なるほど、たしかに立派な心がけだろう


だが負担が大きく、リスクも大きい



しかし、それが(いにしえ)からの風習でござりますれば



古くから続いているものを守りつづけなければならない理由がどこにある?


手助けが必要なら手を貸す。それが当たり前の道理だろう。

何事も無理をせず、負担が大きければ協力し合えばよいのだ


それをしないから、不幸な子どもは減らない。

おまえが昔、母とはぐれたのも、おそらく育児の負担があったからに相違あるまい



たしかに



現におれの母は、ある日突然消えた。

有無を言わさず、強制的に縁が切れたのだ


残された子どもたちは、食べ物を求めて散り散りになるしかなかった



拙者も同じ苦労を味わったゆえ、そのお気持ちはよくわかります!



それが野良猫に訪れる試練ゆえ、やむを得ぬと受け入れたとしても、だ


せめて父猫が協力していれば、突然の離散という苦渋を味わわずに済んだかもしれない――


おれは幾度となくそう思って生きてきた


もし我が子が生まれたら、オスだろうが関係なく、おれも手を尽くそうと思い続けてきたのだ



ゆえに、奥方様に協力的なのですね?



そうだ。

決意した以上、協力を惜しむつもりはない


むしろ良い家族に恵まれ、長年抱えていた鬱憤を晴らせる機会が得られたことに、おれはとても満足している



さすがは親分様!

みつきは……心から感激いたしました!



今回のことで、おれは身にしみて感じた。

母猫の負担はとてつもなく大きいのだと


おれがこうしてみつきや他の者と話しているあいだも、イザベラは母として絶えず周囲を窺い、子猫たちを気にかけている


授乳や毛の手入れ、食後の糞尿の始末に至るまで、抜かりなく世話を続けている


さぞ神経が張りつめ、心休める時間は少ないだろう


だからみつきよ、おまえも暇があればイザベラに手を貸してくれ



はっ!


ですが、親分様。

みつきの気持ちは……



ん?




 口ごもったみつきに聞き返すと、彼女は覚悟を決めたように顔を上げた。



拙者は、親分様のことが――!




 ところが――



 みつきの発言は、訪問者たちによって遮られた。



 突然、オーハラと娘の桃寧(もね)が半開きのドアを押し開けて小部屋に入ってきた。



あら~、こんな所にいたのね



トイレまで捜しちゃったよ~



ムムッ?


オーハラが手に持っているのは、猫を病院へ連れて行くナントカバッグではないか?



あっ!

拙者も見覚えがありまする!




 それはケージよりも小さく、硬すぎない素材でつくられた、箱のような入れ物だった。



前回アレに入れられたとき、病院へ連行されたぞ!



もしや、また病院に連行されるのでは!?




 たしかにオーハラたちの動きはおかしかった。



 おれたちをこの部屋に閉じ込めるかのようにドアを閉め、床に置いたバッグの扉をひらく。



 まるでその中に誘い込むつもりのようだ。



ほ~ら、おいで~



ニャオ☆チュールもあるよ~



チュール!?



よせっ、みつき!

食い気に釣られると、相手の思う壺だぞ!



親分様の仰せはごもっともでございまする。

(しか)れども……!


拙者はやはり、おいしいモノへの欲求には抗えぬでござるぅ~~~!




 チュールの魔力に吸い寄せられるように、みつきはオーハラたちのもとへ駆け出していく。



 が……!



みつきは違うのよね~。

来てほしいのは神猫様なのよ~




 オーハラは片手を上にあげて、チュールの袋に食いつこうとするみつきから離した。



今日の予約はね、神猫様なの



予約……?



今日はとうとう神猫様の去勢手術の日なんだよ


去勢なら日帰りで済むから、苦しいだろうけど頑張ろうね



去勢!?



怖がらないでこっちに来てちょうだい。

術前だから、食べさせるわけにはいかないけど



親分様! 

どうかお逃げくだされっ!



フフフフフフ!


そうか!

ついにこの時が来たか!








神猫様、興奮してるみたい。

やっぱり怖いのかな



かもしれないわねぇ。

病院を怖がる猫はたくさんいるし



フッ、侮るなよ!

決意はとっくに固まっていたのだ


チュールなどで誘われずとも、自らの足で進んでやる!




 迷うことなく、おれは一歩を踏み出す。



 恐れ知らずの虎のような気分で、病院へと誘うバッグのもとへ闊歩(かっぽ)しはじめたのだった。


















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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