第141話 丸短のアンチクン②

文字数 2,458文字





「丸短のアンチクン」と名乗るこの小柄な猫が、近所のゴミ捨て場にいたのには理由があった。



 彼は引き続き、自身にまつわるエピソードを語る。



僕は子どもの頃――

親から引き離されて、あの家に連れて来られました……ッ



なぜ引き離されたのだ?



よく憶えてません……ッ


でも、いつの間にか知らない場所に連れて行かれ、ガラス越しに人間たちにジロジロ見られる生活が続き、やがてあの家に運ばれました……ッ



つまり、ペットショップで買われた、ということか?



たぶん、そうだと思いますッ。

それからよくわからないままに、あの家で暮らすことになりました


半年近くが過ぎましたが、未だに僕は飼い主たちから〝愛〟を感じることがありません……ッ



愛を感じることがない、か……


よほどひどい仕打ちを受けているのか?



一番のひどい仕打ちは、先日あの息子に置き去りにされたことです……ッ


だけど一般的にひどいと言われるような、殴られたり餓死させられそうになったり、という出来事は一つもないです……ッ



それはなによりだ



でも僕は毎日、我慢させられてばかりなんです……ッ



我慢させられている?

たとえば、どんなことをだ?



日常に関わること、ほとんど全部です……ッ


出されるゴハンは全然好みじゃないし、抱っこも嫌いだし、触られるのも好きじゃないし、話しかけられたり、その相手をするのも面倒で面倒で面倒で……


正直なところ、毎日が不愉快すぎますッ!

全身から生気が奪われていくようです……ッ!



だからイライラしているのか



そうです……ッ


飼い主とイイ関係を築ける猫もいるみたいだけれど、僕には遠い話っていうか、人から愛も感じないし……


正直不満ばかりが募っています……ッ



ムゥ……



だけど飼われている以上は、ある程度お行儀よくしてなくちゃいけない……ッ


食べたくもないゴハンを食べ、抱っこもさせて、お触りも受け入れて、話しかけられればきちんと「ニャン」と鳴いて返事をして……ッ


はぁ~~~~~~!

思い出すだけで疲れてくる~~~~~ッッッ!



ある意味、悲惨だな




 と、そこで――



お待たせ~。ゴハンよ~




 話の途中だったが、オーハラが戻ってきて、アンチクンに食事を与えた。



 器に入っているのは、香りの高いウェットフードだ。



 アンチクンは、汁気の多い魚のペーストをクンクンと匂って、無言のまま舌先で少量ずつ(すく)いながら食べている。



 空腹だったというわりにがっつくわけでもなく、喜びで満たされている素振りなど微塵もない。



それはおれでも滅多に食うことのない、ウェットフードだぞ。

うまくないのか?



味は悪くないんですが……


人にゴハンを出されると、気分が萎えちゃうんです……ッ



そうか……。

よほど人間嫌いなのだな




 おそらくこのコが飼い主から愛を感じないのは、人間のことを好んでいないからだろう――。



 口には出さないが、おれはそう思った。



 アンチクンがゴハンを食べているあいだに、そっと廊下へ出る。



 西日を受けた床板がテラテラとまばゆく照り輝いている。



 自室へ戻ろうと歩き出した矢先、通路に佇むファーマに話しかけられた。



事情は盗み聞いたで~。

あのコ、めっちゃ人が嫌いなんやな



そのようだ



たまーに人間嫌いのコもおるけど、飼われてしばらく経っても改善されないのは、なかなかのモンやで



絶望的にヒト嫌いか……


まさに〝人間アンチ〟だな




 出窓で日向ぼっこをしていたツートンも、起き上がって会話に交ざってくる。



 冷静な物腰に能面顔。

 たまにシャドーと間違えそうになるが、やたらと影がさしてないからツートンと断定できる。



あのコ、しばらくうちにおるんかな?



どうだろう。わからんな



首輪をしているし、オーハラたちは情報を集めに近々病院へ行くはずだ


身元が判明し、飼い主に連絡がいけば、案外早く回収されるんじゃないか?



回収などと、モノみたいに言うな



表現が悪かったのは認める。

だけど、オレは気に食わない


人を嫌い嫌いと言うばかりで、ちょっとワガママにすら感じるぞ



そう言うな。

あの子はあの子なりに不満をかかえて、苦しんでいるのだ



ほぉ~


自分の子だけやなく他のコまで心配するなんて、紅さんはホンマ優しいんやなぁ




 感心半分からかい半分という感じでファーマが言う。



 おれは真に受けず、さらりと返す。



そうでもない。

ただ去勢してから、以前より攻撃的ではなくなった気はするが



にゃっは!

組のボスやったアンタでも、タマがなくなれば少しは落ち着くんやなぁ


ほんなら一段と面倒見の良さに火がついたんちゃう?



ハハ。

たしかにあのコの問題を解決できたらいいとは思っている


だが、それ以上におれは考えさせられたのだ



というと?



もし自分が絶望的に人を嫌悪していたら、いまのこの暮らしもストレスまみれに違いない――とな



あぁ、なるほどなぁ



オーハラやトラヒコ、猫オタやその他の人間たち。

みんなよくしてくれる


幸いなことに、おれも含めて、普通の猫はその善意を好意的に受け取ることができるだろう?



せやな。

言葉にして伝えることはでけへんけど、人に対し、感謝の念をいだくことはできるわ



その感謝の念は、やがて好意へと変わる


相手が人間という異なる種族であっても、良好な関係を築けるようになってゆく




 いまのおれが、そうであるように。



ところが。

それがまったくできないとしたら――


不幸の始まり、といっても過言ではない気がする……



つまりあの猫の陥っている状況が、まさにそれというわけか



ああ、そうだ。

あのまま人嫌いが進行すれば、ストレスで(おのれ)の身が(むしば)まれてしまうだろう


どうにかしてやれたらよいのだが……




 いらぬ世話と思いつつ、考えずにはいられない……。






 黙考すると、あの猫が保護される前にゴミ捨て場で発していた、苦しげな声が思い出されてきた。




 苦しい……。



 もうヤダ……。



 しんどい……。




 それらはすべて、感情によってはき出されたものだ。



 当たり前だが、猫にも感情はある。




 感情が死んでしまっていない限り、想いはきっと届くはず……。




 あのコの状態がよくなることを信じて、おれはその対応策を考えはじめたのだった。




















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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