第107話 理不尽

文字数 3,358文字





 廊下に立ちつくすおれの耳に、ドアの向こう側でやり取りする声が入ってきた。



どうしたの、お母さん!?

顔色悪いよ



ちょっとね……あまりにも衝撃的で……



衝撃的って、廊下にいるの、お父さんじゃないの?


お父さーん!



やめなさい、メデア!



どうして?

せっかくお父さんが帰ってきたのに



あれはお父さんというか、なんというか……。

とにかく、近寄っちゃダメよ!



意味わかんない、ニャウ 



いまの(くれない)様は……普通じゃないのよ



ナニソレ!? 

どーゆうこと!?


さっきからワケがわからない、ニャウ




 (こら)えきれなくなった子どもたちは、ドアへ駆け寄ると、空いた隙間に無理やり顔を突っ込んだ。



 もれなくドアがひらかれる。



 対面にいる子どもたちと、バッチリ目が合った。



――!



お父さ――


って、誰ェ!?


お父さんとニオイが違う、ニャウ!








 メデアとイソルダは、おれを凝視したまま条件反射的に鼻をヒクヒクさせる。



うっわ、このニオイやばい! 

強烈臭い! 苦手なやつだ!


くっさ! マジ、くっさ!

激臭、ニャウ!


こんなの、いつものお父さんのニオイじゃないっ!


不逞(ふてい)(やから)め、覚悟ニャウ!




 子どもたちの毛がたちまちブワッと膨れ上がる。



フゥゥゥゥ~~~ッ!


ウナァァァ~~~ッ!



……おまえたち。

おれは父親だぞ


ニオイが異なるからといって、むやみに威嚇しないでくれ



あっ、声はお父さんだ


見た目も同じ、ニャウ



当たり前だ。

ホンモノのおれなのだからな



でも、ニオイが全然違う……



いやいや、ニオイに惑わされるな



てか、これ誰なの? 

お父さんじゃないの~!?


おとうさんのニセモノがいる、ニャ~~~ウ!?



ニセモノなわけあるか! 

どう見ても、おれだろう!



……!


……!




 怒り口調で叱ると、子どもたちはギョッと怯んだ。



 たちまち興奮は沈静化され、逆立っていた毛がボリュームダウンし、ほぼいつも通りの状態へと戻る。



メデア、イソルダ。

おれは悲しいぞ。

たかがニオイが違っているだけで、このような理不尽な扱いを受けるとは……


たしかに猫はニオイを気にする生き物だ。

おれとて相手のニオイが違えば、ウッと一歩引きたくなる


だが、その情報ばかりに振り回されすぎだとは思わんのか?



フニャ……


フニャウ……



だからよしなさいて言ったのに



お母さん、どーゆうこと!?

なんでこんなに臭くなったの?


臭すぎてストレス、ニャウ



あまり臭い臭いと言われると、地味に傷つくんだが



そうよ。

そういう遠慮のない言い方はよしなさい



って、くっさ~!



イザベラまで容赦ないな……



ごめんなさい。

わたしもここまで強烈とは思ってなかったものだから、慣れなくて……


そのニオイ、例の手術の影響なのよね?



ああ、そうだ。

手術の際よくわからんモノを体に塗りつけたり、あてがったりしたせいで、すっかり体のニオイが変わってしまったのだ


じき緩和するとは思うがな



えっ、いま手術って言った!?


まさか……去勢、ニャウ!?




 ついに、子どもたちに知られてしまったか……。



 去勢という言葉が出てきてしまったので、おれは覚悟を決めて、堂々と子どもたちに正しい情報を伝える。



そうだ。

おれは今日、去勢した!



去勢――!?


ホントにやったんだ……!



まるで事前にわかっていたような口ぶりだな



前にお父さんとお母さんが話してるのがね、聞こえたんだ


ちなみにさっきも玄関から、それっぽい話が聞こえてきた、ニャウ



気を遣ったつもりだったが、聞かれてしまっていたか



体に異常はないの?



ないぞ。

タマが小さくなっただけだ



ちょっと見てみたい


怖いモノ見たさ、ニャウ



構わんが、ニオイは嗅ぐんじゃないぞ。

どうせ臭い臭いって騒ぐだろうからな



いつもの癖で、なんでもニオイを嗅ごうとしないようにね



ウニャ


ウニャウ



ほら、好きなだけ見ろ




 おれは渋々ながら子どもたちのほうへ尻を向けた。







クンクン


クンクン



こらっ、ニオイは嗅ぐなと言っただろう!



ウゲェェェェェッ!


オエェェェェェッ!



くっ……!

臭すぎる~~~~~!



目にしみる、ニャァァァァウ!



わたしも無理ィィィ~~~~ッ!







だから嗅ぐなといったではないか!




 ニオイの刺激に耐えられず、イザベラと子どもたちは後退り、おれから離れていった。



 ケージの中にいる子猫たちだけは動じた様子もなく、スヤスヤと安らかな寝息を立てている。



なんかニオイが別物すぎて、全然知らない猫と一緒にいるみたい!


落ち着かない、ニャウ!



そう言わずにみんなで猫団子になって寝よう!

一緒に寝れば、不快な気分も収まるさ



いや、無理でしょ



なっ……!?



身も蓋もない言い方だけれど、臭いと不快な気分が高まるだけよ



ムゥ……




 別におれ自身が臭いのではなく、外部のニオイが付着しているだけなのだが……



 どのみち家族にとっては悪臭なので毛嫌いされるのも仕方がない、そう割り切って受け止めるしかないようだ。




 人間や、この家の動物たちは、おれをあたたかく出迎えてくれたというのに……。




 愚痴ったところでどうにもならないが、ものすごい対応の差を感じなくもない。



あたし、ちょっとトイレ行ってくるね


ぼくも!




 有無を言わさず、メデアとイソルダはそそくさと部屋を出て行ってしまった。



なぁ、イザベラ。

せめて子猫たちに、帰宅の挨拶がしたいんだが



えっと、それはつまり……子猫に触れたいってことよね?



ああ



触るのは、どうかしらね



ダメなのか!?



なんていうか……、

できれば今日は、部屋を出ていてくれたほうが



部屋から出ていけだとぉ!?



ええ……



さては先日の件、まだ怒っているのだな!?

それなら謝るつもりでいた! 


イザベラ、すまなかった! 

おれが悪かった……



それはもう、いいのよ。

わたしも今日一日あなたのいない辛さを味わって、不安で心が張り裂けそうだったわ


自分の発言を心底悔いた。

きっとあなたが優しいから、甘えてしまったのかもね……



じゃあ、また一緒に子育てをさせてもらえるのか!?



もちろんよ



ありがとう! イザベラ!

ではさっそく子猫に挨拶を――



アーーーーーッ!

それは待ってちょうだい!




 イザベラにストップをかけられ、歩みだした足はピタリと止まる。



 浮き立つ気持ちに砂をかけられた気分だ……。



やっぱり臭いのは、ちょっとね……


子猫に変なニオイがつきそうだし、できれば遠慮してほしいの



そんな……!

ニオイくらい、毛づくろいを熱心にすれば取れるさ



そうかもしれないけど、保証はないでしょう?

それに……



それに?



知らないニオイを嗅ぐと、不安になるのよね……



つまり、おれの存在がストレスだというのか?



そんなの言わなくてもわかるでしょう?



じゃあ、おれはどうすればいいのだ?



子どもたちのことは心配しないでちょうだい。

面倒は、わたしがちゃんと見るから




 イザベラは引きつりがちな表情を顔に張りつかせたまま、視線を出入り口のドアのほうへ向けた。



……


わかった。

おれが出て行けばいいのだな



ごめんなさいね。

あなたも大事だけれど、子どもたちにも気を配らなくてはならないの




 それくらい、わかっている。




 だが――




 せっかく去勢までしたのに、これではちっとも家庭円満にならんではないか。



……!




 ムッと不満がこみ上げるが、堪えるしかない。



 おれは部屋を出て、アテもなく廊下を歩く。



 風通しのよい窓辺にドスンッと腰を下ろすと、股をひらき、せっせと毛づくろいをはじめた。









ども~!

作者の代弁係、アイ・キャットで~す!


うちでは去勢手術の後、

仲の良かったオス猫同士の友情に亀裂の入りかねない事態へと発展しました


揉めたのはオス猫Pくんと、同じのオス猫Mくん。

Mくんが去勢手術より帰宅した直後、PくんがMくんに唸るわパンチするわで威嚇まくりのケンカ腰


術後一週間もすると落ち着きましたが、原因の1つは〝ニオイ〟にあった模様です。

PくんがMくんのニオイを嗅いだ直後に唸りだしたので、やはり猫にとってニオイは重要なキメ手の一つなのだと感じました


念のため帰宅前に、PくんのニオイをMくんにつけるなど工夫はしてみたものの、期待外れの結果に。

Pくんはよほど術後のニオイが気に食わなかったようです


その後Pくんは突然悪い夢から覚めたようにMくんを受け入れ、

Mくんも心ない仕打ちを根に持ってるわけでもなく、ふたりとも穏やかに仲良くしてくれています


一緒にお部屋を駆けまわるニャンコさんたちを見て、ほっこりする作者なのでした~。

めでたしめでたし☆

















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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