第88話 一生の思い出となる出来事⑤

文字数 4,370文字




 ツートンの過去を知って、これまでに受けた嫌がらせは水に流そうと思った。



 だが――



イザベラの出産を邪魔するなら、貴様を八つ裂きにしてやる!




 おれはただちに押し入れから跳び出すと、ツートンの向かい側に立った。



覚悟しろっ!




 薄闇に光る眼とぶつかる。



 けれども妙だ。

 ツートンではないツートンと向き合う感覚が、肌を通じてひしひしと伝わってくる。



覚悟だと?

まだそんな野良猫じみたことをいって、オレを脅すつもりか!




 悪しき気配。邪悪な笑み。



 コイツは……ツートンじゃない!



貴様、ワルだな!?



だとしたら、何だというんだ?


前にも言ったが、オレはオマエより長くこの家にいる先住猫(せんじゅうねこ)なんだぞ! 


先住猫のほうが新入りよりも立場は上!

オレを殴れば、叱られるのはオマエのほうだっ!




 暴論を振りかざし、ワルはこちらへ近づこうとする。



 目の前にある戸は、完全にしまってはいなかった。



 隙間が空いているから、そこに手を差し込んで戸を横に動かせば簡単に(はい)れてしまう。



 すでにワルは閉められた戸を開けて、部屋に体を半分近く侵入させている状態だった。



それ以上近づけばタダでは済まさんぞ!



やんのか? オラッ!




 まるでケンカっ早い猫の代表格のように好戦的な態度だ。



 しかしその裏側には、辛い過去がある。



 彼の背負った悲しみを思うと――



ムゥ……




 戦意はたちまちぼやけて、普段口にしない本音がポロリと()れてしまう。



……おれは、できればおまえと争いたくはない


穏便に解決したいと思うこの気持ち、わかってくれ



フンッ! 

オマエの気持ちなんぞ知るか!


気に入らない者は徹底的に排除する! 

それがこのワル(オレ)なんだよ!




 ワルは鋭い眼光でおれを睨みつけ、イキリ立った顔面を寄せてきた。



オラ、どーした? 

殴ってみろよ!



ムッ……!



ここでは飼い主(ニンゲン)を味方につけた者が勝つんだ!


飼い主を味方につけていないオマエなんか、ケージにぶち込まれる末路がお似合いだ!



っ……!








 さすがに我慢の限界だ……!



 堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れかけた直後、



コラッ、ツートン! 

いい加減にしときっ!




 ヤツの後ろにいたファーマが声を張って叱りつけた。



いくらアンタでも、このタイミングでちょっかい出すのは許されへんよ!


子どもに手ぇ出すのは、もっとアカンわ!



うるさいっ! 

オレに指図するな!




 振り返ってワルが反論する。



 その頭上をひらりと舞うように跳んだのは、みつきだ。



 前方にいた彼の頭上を跳び越し、



 シュタッ!



 と、おれのほぼ真横に着地する。



けしからんヤツめ!


たとえケージに閉じこめられようとも、奥方様の出産の場には立ち入らせぬぞ!



生意気言うなっ!

ここはオマエらの家じゃないだろうがっ!



いまは新たな命が生まれる大事なとき。

誰の家かなど関係ない!




 おれの左手側にある押し入れからは、生まれたばかりの子猫たちの息遣いが聞こえている。



 せっかく生まれ出た命を危険に晒すわけにはいかない。



 なんとしても、守り抜かねば――!



ところで、オーハラはどうしたのだ?



オーハラさんはトイレや。

あの人、緊張するとめっちゃトイレが近くなるねん



ククッ、トラヒコも下の階にいるし、誰もオマエたちのことなんて気にかけてないんだよ!



そんなことあらへんよ。

出産のこと、めっちゃ気にしとるし。

デタラメ言うなや!



フンッ!




 ワルは畳を踏みつつ、前へ進み出ようとしてきた。



よせ! 

それ以上近づくなっ!




 おれは左から、みつきは右から、ワルの侵入を阻もうと前に立ちはだかるが――



騒々しいわね……




 ふいにイザベラが押し入れから出てくる。



 おれの注意は、どうしてもそちらへ向かざるを得ない。



イザベラ! 

いま出てきたら駄目だ!


戻れっ!



だけど……、

あなたのことが……心配で……




 その隙を突いて、ワルがおれのもとに突進してきた。



目を()らしたら、負けだぁぁぁぁぁっ!



親分様っ!



手出しは無用だっ!




 ぶつかり合う体。



 おれはワルの攻撃をいなしつつ後方へ下がり、反撃に転じる。



やりすぎない程度に痛めつけてやる――!




 まずはワルの体を両手で押さえこみ、蹴りを喰らわす。

 毛の薄い腹部に狙いを定めて、両脚を間断なく漕ぐように動かし、ダメージを深めていく。



 ()いで手首をひらめかせ、鉄拳を叩きこむ。



喰らえっ!



フグゥッ!



これでも手加減しているのだぞ!

本来なら、その首筋に牙を立ててもいいくらいだっ




 だが目に見てわかる傷跡が残れば、オーハラたちがショックを受けるだろう。



 ワル以外のキャラたちも、身に憶えのない傷に戸惑うはずだ。



クソッ!




 たちまち劣勢に置かれ、ワルの怒気をはらんだ顔に焦りが浮かぶ。



 だが、ワルは悪びれずに攻撃を仕掛けていた。



 おれの目の前を蠅のようにブンブン行き来する拳、拳、拳……。



闇雲に両手をふるうばかりで、無駄に行動が多いぞ!




 無鉄砲な攻撃はある程度見切れる。



 そもそも威力に欠けるし、仮に一,二発浴びたところで問題はない。



その程度の攻撃でおれを仕留められると思うなよ!




 最後のひと蹴りで、ワルをふっ飛ばす。



くはっ!




 うまく着地できず、ワルは背中から畳の上へ滑りこむ。



 その横倒れた体をみつきが追う。



成敗っ!




 みつきはワルの額を片手でぴしゃりと打った。



この――っ!




 ワルが反撃に乗り出そうとした瞬間、



ウウウウウゥゥッ!




 イザベラが畳に伏せて苦しみだした。



イザベラ!




 戦闘などしている場合ではなかった。おれには自分の命より惜しい存在がいるのだ。



 後ろから噛みつきたければ勝手にしろ!



 おれはイザベラの盾になることだけを考えて、彼女のそばへ駆け寄る。



もう……産まれそう……!




 イザベラの状態は、これまでおれが見た出産の中で一番苦しそうだった。



イザベラ!

大丈夫かっ!?


産むなら安全な押し入れで――



あぁ、無理!

もう、跳べない――!



――!?




 子どもが出てくるはずの入り口から、細長いものが見えている。



これは……シッポと足か!?



それ、逆子(さかご)やん!



逆子とはなんだ!?



頭と足の位置がひっくり返ってるやつのことや!

逆子やと子どもの通り道に体が引っかかって、なかなか赤ちゃんが出てけえへん


すんなりいけば、時間はそないかからんかもしれへんけど……



何か手立てはないのか!?



ないよ! 

人間やったらアレコレするやろうけど、うちらは猫やし


頑張れゆうて、応援してあげることしかできひんわ!



くっ……!




 おれはイザベラの苦痛が少しでも和らぐよう祈りながら、体の毛を舐めた。



 こんなことは気休めにもならないかもしれない。



 けれどほんの少しでも癒されるのなら、いくらでも手を尽くし、彼女の身を楽にさせたい――



 心からそう思ってぬくもりを伝える。



イザベラ。

あまり力を入れすぎず横になったほうがいい



え、ええ……




 イザベラは体を横向きに変えて、股を二、三度舐めた。



 それからバタンと倒れこむ。



 すると、ほぼ足だけしか見えてなかった赤子の体がニュルッと動いて、半分以上が(あら)わになった。



オオッ! あと少しだ! 

もうひと息だぞ!



イザベラちゃん……!



奥方様……!



頑張るのじゃ!




無事生まれてくれ!



フアアアアアアアアッ!


出るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!



どうか赤子もイザベラも無事でいてくれ!




 祈りを捧げ、両目をギュッと閉じ、次にその瞳をひらいたときには――




ニィニィ





 目の前に、待望の赤子が出現していた……!




やったぁぁぁぁぁぁ! 


4体目も無事生まれたぞーーーー!



おおおおっ!



おめでとうございまする~~~っっっっ!



ふぅ……。

これで、最後よ……



ありがとう、イザベラ!

よくここまで頑張ってくれた!



お礼を言われるまでもないわ。

あなたも協力してくれて、ありがとう


うれしかった……




 イザベラの瞳に涙が光る。



 おれも感動して、視界がじわりと(にじ)んでしまいそうだった。



こんなに最高の気分が味わえるのなら、何度だって協力するよ



ニィニィ




 合いの手を打つように赤子が鳴く。



 イザベラは早々に子どものケアをはじめた。



 おれもそれに加わりたかったが、ワルがいるので警戒に当たらなくてはならない。



ごっついな、子どもが生まれるって。

この世の出来事やないみたいや



まさに一生モノの感動でございまするな!



うむうむ、じつにめでたいのう



よきカナ、よきカナ




 感動も束の間。



 背後から「チッ」と舌を打つ音が聞こえてくる。



忌々(いまいま)しいっ……!




 振り向けば、ワルは生まれたばかりの子を射すくめるように睨んでいた。



あ~~~イライラ!


イライライライラッ!



そんなに他者の幸福が許せないのかっ!

懲りないヤツめ!




 おれはワルを部屋から追い払おうと決心し、歩み出す。



 が――



 おもいがけないことが起ころうとしていた。




ヴヴヴッ……!




 唐突にワルが苦しみはじめ、その場にうずくまる。



 かと思うと、今度は起き上がって頭をブンブン振り、



フガァァァァァーッ!




 怒りと焦りの混ざったような声で叫びだした。



なんや、急に騒ぎだして



不審な動き……。

成敗いたしまするか?



いや、少し様子を見よう




 おれの(かたわ)らでは子猫が甘えるように鳴いている。



ニィニィ



やめろっ!

オレのほうを向くなぁ!



ニィニィ



わあぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁっ!




 ワルが大絶叫する。



 すると、ありとあらゆる行動が停止したように、顔や体、尾の毛先に至るまで沈黙状態になった。



……


……………………



この感じは、キャラ変か?



なんでいきなり……?




 ファーマの言うとおりだが、状況は明らかに別キャラの出現を示唆するように変化している。



 佇む白黒猫からは、それまでのワルらしい邪悪さがキレイさっぱりと消えていた。



 そして彼が瞳を開けたとき――



 また違う一面が花ひらいたように、空間に謎のきらめきがあふれていた。



まぁ、なんてかわいらしい赤ちゃん猫なのでしょう……!


あまりの愛らしさに、わたくし、心をズキューンと打たれてしまいましたわ



は?



わたくし?



オッホホホホホ!

わたくしは深淵の令嬢、その名をエンドレア


生まれたての子猫の純朴さに心動かされ、気づけばここに誕生していたのです


以後、お見知りおきを








つまり、ヤツの言い分をまとめると……


子猫がかわいすぎて、ツートンの中に新たなキャラクターが形成された、というわけか?



にゃっは!

あのツートンにメス猫キャラて……



ツートンでも、子どものかわいさに心動かされるのね



こっちでは出産、あっちは新たなキャラが誕生するなどとは……、

まさにカオスでござる!



ホント次から次へと、おかしなことが起こるものじゃ



しかも令嬢とはのぅ……。

理解に苦しむぞぃ



フッ、まあいい


つまり――

それほどまでにおれの子猫(ベイビー)がかわいかった、ということなのだからな!




 父親としては、悪くない気分だった。


















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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