第105話 時は来た!

文字数 3,085文字





 動物病院に向かう途中のこと――。



 車に乗せられたおれは、ナントカバッグの中に入ったまま後ろのシートに座っていた。



 車が停車するたび、前の座席にいるオーハラと桃寧(もね)が話しかけてくる。



ごめんね、神猫様(かみねこさま)

タマがなくなっちゃうのは辛いだろうけど、そのままの状態で放置するわけにはいかないの


去勢はね、繁殖によって増加する不幸な猫を減らすために、やむを得ないことなのよ



そんなの人間に言われても納得できないよ。

猫が自分で決めたわけじゃないんだしさ



そうよね……



神猫様……。

どうにかしてあげたいけど、何もできなくて……ごめんね


あたしたち、勝手かもしれないけれど……、

人間のこと、嫌いにならないで




 なんだこの重たい空気は。

 深夜の墓場か。



おい、オーハラ! 桃寧(もね)よ!

なぜそのようにしめっぽくなっているのだ?


この空気感は、まるで誰か死んだかというくらいに重たいぞ!



井伏(いぶせ)くんにも来てもらったほうがよかったかしら?



神猫様のこと、すごく気に入ってるもんね



井伏……?

猫オタのことか?


――まさか、猫オタが死んだのか!?


おいっ、どうなのだ!?

答えろっ!




 衝動的にバッグの扉を拳で叩く。



 ガシッ! ガシッ!



神猫様……。

やっぱり去勢が嫌なんだね



まさか自分が去勢されるとは思ってもいないだろうけど……なんにしろ申し訳ないわ



ム? いま去勢といったな?

やはりタマを取りに行くのか?



はぁ……もう信号が切り替わっちゃった。

車を発進するのは気が重い……


もう何回もしていることなのに、今日に限ってすごく辛いわ……



わたしも、辛い……




 車の走行音にまじって、ふたりの鼻をすする音が聞こえてくる。



なぜメソメソしている!?

病院に向かっているのではないのか!?


もしや本当に猫オタは死んだのか!?


ええいっ、扉が邪魔だ! 

暴れないから外に出せっ!




 おれが要求の意を込めて鳴くと、オーハラと桃寧はその都度「うんうん」と頷きながら憐れむような目を向け、瞳に涙を滲ませる。



ぐぬぬ、いったいどういう状況なのだ!?


わけがわからんぞぉぉぉ~~~っ!?





 しばらくして――。



 おれを乗せた車は、ようやく病院らしき建物に到着した。



フン、やはり病院だったか。

まったく、驚かしおって




 動物病院に連れて来られたおれは、医者のもとに預けられた。



 医者と助手は、おれをバッグから診察台の上へ移す。



さすがボス猫。

暴れもせず鳴きもせず、堂々としたもんだわ



落ち着いててエライですねぇ




 医者は診察台に表示された数字に目を留める。



体重は……7,2キロか。

ガタイもいいし、筋肉の張りもいいし、立派な体つきね



 

 笑みをこぼしたまではいいとして――



 いきなりおれの股間に手を入れてくるとは何事だ。



やっぱりタマタマも立派だねぇ



よせ、触るな!



大丈夫、もぎ取ったりしないから


ボリュームダウンすることにはなるけど、うまくやるから安心して


抜糸ナシ、エリザベスカラー装着ナシで、夕方には自宅に帰らせてあげるよ



先生の腕は確かだから、安心してね



安心、か。

おまえたちの言葉はほぼわからんが、去勢はおれが待ち望んでいたものだ


やるなら早くしてくれ




 言ったそばからプスリとやられた。



 体に針を刺されたのはわかったが、何を注入されたのかはわからない。



おい! いまのは何なのだ? 




 ダメもとで問いかけるが、返事はなかった。



 医者は曖昧な笑みを浮かべると、おれの体に布のような網をかぶせ、その中にすっぽり納めてしまった。



 だんだんと意識がぼやけていく。



ふわぁぁぁぁ~




 悔しまぎれにあくびをかまして、おれはその場に丸くなった。



 妙だな。強い眠気を感じるぞ……。



おまえたち!

おれを眠らせたいのか!?




 鳴いて呼びかけると、医者が反応した。



どうしたの? 



フッ、おまえたちの考えは読めたぞ。

おれに騒がれると困るのだな? 


だからこんな袋に入れて、動きを封じようとするのだろう!?



そうニャンニャン言わないで。

まだ術前の準備があるから、ゆっくりしてて



いま手術といったな?

おれの希望は、タマを取って欲求から解放されたいのだ! 


むしろ手術は待ち望んでいたこと


だが、しくじったら承知せんぞ!



このコ、やけに荒ぶってますね。鎮静剤の効きが悪いんでしょうか?



効果は表れてるようだけれど、気が高ぶっているのかもね


とにかく麻酔をかければ眠ってくれるでしょ



麻酔?

よくわからんが、おれの行動を封じ、眠っているあいだに処置したいのだな?


フッ、だったら寝てやろうではないか!


その代わり、手を抜くんじゃないぞ! 

わかったなっ!




 おれはまぶたを閉じ、深呼吸を繰り返す。



 雑念が払われ、頭がカラになると、みるみる眠気が広がっていった。



あら、急に静かになった



薬が効いてきたんですかね




 人間たちの声は、もう遠ざかっている。



 完全に眠りの世界へ落ちてしまうまで、さほど時間はかからなかった。




 …………。


 ……………………。




 ふと、気がつけば……




 おれは闇の中にいた。



暗い……


ここは、どこだ……?




 突如暗闇に、イザベラの姿が浮かびあがる。



 その身にほのかな光を発していても、(まと)う雰囲気は暗く物悲しい……。



あなた……!


あなた、行かないで……!



どうした、イザベラ?

おれはここにいるではないか







 イザベラの左右に、メデアとイソルダも現れた。



お父さぁ~ん!

どこに行っちゃったの~~~!?


ぼくらのお父さんはどこ、ニャ~~~ウ?



何を言っているのだ、メデア、イソルダ。

おれはここにいるではないか


おまえたちの真正面に立っているぞ



違うよ!


お父さんなんかじゃない、ニャウ!



あなたは誰!? 

誰なの!?



誰って……忘れたのか!?

おれはねこねこファイアー組のボス・(くれない)だぞ!



そうだ、おれはボス猫……!



おれこそが最強のボス猫なのだっ!

フハハハハハハハハハ!




 おれは悦に入って、高笑いしまくっていた。







 やがて暗闇が霧散してゆく。



 明るさを感じ、ハッとして目を開けると――



……!?




 見慣れない部屋。異様なニオイ。



 ギョッとして跳び起きようとするが、体の動きがやや鈍い。



 おれはいつの間にか、例のカゴバッグの中に戻されていたようだ。



 起き上がると、もれなくバッグの天井に頭をぶつけてしまうところだった。



あ、目が覚めたみたいです



よく頑張ったね、神猫(かみねこ)ちゃん



ん……?

おまえたちは、医者と助手か


そうだっ! 

おれの手術はどうなったのだ!?



そんなに慌てなくても大丈夫。

手術は無事終わったから



手術……終わった……?



もうすぐおウチに帰れるからね



ウチに帰れる……!?




 ということは――



 急ぎ両股をひらいて確認する。



 そこにドーンと存在していたモノはすっかり縮こまっていて、自己主張する気力も失せているようだった。



おーっ、やったぞっ!

ついに去勢に成功した!



なんだか術後とは思えないほど元気ですね



そうだねぇ、ここまで元気なのも珍しいわー。

ある意味、勢いが去っていない(・・・・・・・・・)証拠ね



ハッハッハッハッハッ!

元気なのは当然だ! 念願が果たされたのだからな!


これもすべて家庭円満のため!

おれみたいな猫は世に少ないだろうが、愛するイザベラに苦労をかけずに済むならそれでいい!


なにせ今日はギクシャクしたまま家を出てしまったからな。

帰宅したらもう一度謝って、機嫌を直してもらおう!


そうしていつものようにみんなで猫団子になって、気持ちよく眠るのだ~!




 早く家族に会いたいと願わずにいられない。



 だが、心のどこかで不安が(くすぶ)ぶっている。




 もしかすると、去勢をした自分は家族に受け入れられないのではないだろうか――?





















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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