第72話 紅の葛藤 後編

文字数 1,676文字





おのれぇぇぇぇぇぇっ!


このイラ立ちの矛先をどこへ向ければよいのだ~~~っ!?




 みなぎる怒り、怒り、怒り。 



 燃えあがる感情、震える体、全身の毛が怒りの炎につつまれて燃えてしまいそうだ。



 我を忘れ、床板にギギギッと爪を立てたそのとき――



 ふと、心の内からイザベラの言葉が蘇る。



あなた……。

気にしちゃダメよ




 次いで子どもたちの姿も浮かびあがってくる。



お父さーん


お父さーん




 最後にイザベラの顔が、おれの大好きな微笑みへと変わった。



あなた!




 家族のことが浮かんでくると、怒りの炎はおのずと鎮火していった。



 燃えカスがゆっくり水に沈んでいくように、少しずつ安定した気持ちが戻ってくる。



ふぅ……




 たしかにツートンの言うことは不快だ。



 けれども全否定することはできない。



 事実、おれはイザベラに負担をかけている。



 それはまぎれもないことなのだ。



とはいえ、欲求が湧くのはどうしようもないではないか




 そう考えだした矢先、ツートンの発言が再び頭によぎった。



――ボクはすでに去勢済みで、つまらない欲求に振り回されることなんてないんだ!



ぐぬぬっ!


何が去勢だ!

自分で何かを成し遂げたわけでもないのに偉そうにっ!


第一、考えてもみろ!

おれが去勢したら、これ以上子どもが作れなくなるではないか!




 …………………………。



ん……?

子どもが、作れなくなる……?




 おれの血を引く子は、いま妊娠中のイザベラのおなかの中で(はぐく)まれている。



 きっと彼女のことだから、元気な赤ちゃんを産んでくれるだろう。



 子どもを作る目的は、それで充分に果たされたといっていい。



いやいや、まだだ!

おれはもっと子どもが欲しいぞ!




 子作りに励み、その後再びイザベラが妊娠したとする。



 彼女は、せっせとその子どもを産む。



 そして、また妊娠。出産……。



そうなると、子どもは8~10体くらいか。

だいぶ増えたな


だが、もう少し増やしたい気もするぞ!





 また妊娠。出産。



 妊娠。出産。妊娠。出産。妊娠。出産……







無限地獄かっ!




 つまり欲求のままに子づくりをする行為は、相手を逃げ道ゼロの出産地獄へ追いやってしまうというわけか!



なんということだ!

いままで気づきもしなかった……!




 それもそのはず。おれの本能は、いつだって一方通行でこう訴えていた。



 子どもが欲しい。



 できることならたくさん欲しい――と。



思い出してもみろ。

おれの生きる目的は何であったか――




 幼少の頃の切なる願い、それはとにかく強くなることだった。



 力が強くなれば、獲物をうまく狩れるようになるし、他のオス猫にも負けない。



 おれの生存率は飛躍的に上昇する。



 それもすべては適者生存のためだ。ひいては子孫繁栄に直結する。



 しかし当時は本能のままに動いていただけで、確たる目的があったわけではない。




 だが、家族ができた。



 愛しい妻。



 かわいい子どもたち。




 おれに安らぎを与えてくれる、かけがえのない存在――







 愛する者達を守りたい。



 だからおれは、より良い縄張りを求めて戦いを選んだ。



戦いに敗れたが、最大の目的だった安息の地を手に入れるという願いは成就しつつある


あとは家族みんなでおだやかに暮らしていけたらいい。

望むことは、ただそれだけだ




 にもかかわらずおれは、生涯共に添い遂げると誓った相手に、延々と負担をかけるのか?



 負担をかけ続ける行為に、疑問を感じないのか?



――……



アアアアアアッ!

愚か者めっ! けしからんにも程がある!


大切なのは、おれの欲求などではない!

愛おしい存在だ!




 おれはそばにあったダンボールの角に爪を立てた。それから体をグッと伸ばす。



 まずはリラックスしておこう。



 そして天袋の(へり)に立ち、自らの決意をはっきり声に出した。



決めたぞ!

おれは去勢する!




 すると――



ええええええええっ!?

あなた、突然何を言いだすの!?




 いつの間にかイザベラがおれの様子を見に来ていたようだ。



 おれの決意を聞いた彼女は驚いて跳び上がる。



イザベラ。

おれは覚悟を決めたのだ!


今後より良い生活を送っていくためにも、おれは去勢を受け入れ、タマを取る!



タッ、タマを――!?




















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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