第34話 最後の紹介

文字数 2,582文字





 トラヒコに一撃見舞うと、彼を擁護する猫たちから非難の声が飛んできた。



あぁ~容赦ないわぁ。

トラヒコさんが(ヘコ)んでしもうたやんか



叩いたらダメよ。

人間だって、傷つくんだから



仕方あるまい!

あの男がニャーニャーやかましいせいだ!


あの聞くに()えない歌声を放ったのは、おれたちを威嚇したからに相違なかろう!



ちゃうよ。

あれはトラヒコさんなりの挨拶なんや


トラヒコさんは、ああやって新入りの猫に自分の想いを伝えるのが常なんやで



人間(ヤツ)の想いなど知るか!

暑苦しいっ!



そう言わないであげて


人は不器用なところもあるけれど、あたしたち猫との距離を縮めようと日々努力してくれているんだから


ちなみにああいうときは、

「ニャン」て鳴いて返事をしてあげると、とても喜んでくれるのよ



え……用もないのに鳴くの?


違和感、ニャウ



しかも人間に何を言われているかもわからんのに鳴くなど、ありえん!



せやけど、声のトーンとか話しぶりで大体わかるやろ



まぁ、少しなら



人間もああ見えて、結構感情的な生き物なんや


とくにアタシらの前では素の状態をさらけ出してくれてるから、気持ちがわかりやすいねん


ほら、見てみい




 ファーマはトラヒコのほうへ顔を振り動かす。



ファーマ~……、アミ~……


こっちの猫さんたちに嫌われちゃったよ~




 ふたりはここぞとばかりにトラヒコの会話に応じて、「ニャン」と鳴いた。



元気出して!



アタシはトラヒコさんのこと、好きやで!



おぉ、そうか! 

返事をしてくれるか!




 彼女たちの〝ニャン鳴き〟には、同じ猫なら誰もがわかるメッセージが込められている。



 人間に理解するなど不可能なはずだ。



 それなのに――



 トラヒコの顔がみるみる笑顔に変わっていた。



 まるで彼女たちの言葉の意図を汲んだかのように、ふたりのほうへ両手を伸ばす。



ふたりとも、おじさんのことを励ましてくれるんだね!


優しいコだ~!

とっても良いコだ~!



なんとっ……!


ファーマとアミのメッセージが伝わっているとは……!




 これが驚かずにいられるか。



 トラヒコは彼女たちの顔を手のひらで包み、愛おしげに撫でた。



ほらな



難しいことじゃないでしょ?



猫が人間を理解すれば、相手もそれに応えてくれるというわけか?



せやな



相手のすべてを理解できなくても、あたしたちの気持ちは伝わるわ




 トラヒコに頭や背中を撫でてもらって、ふたりは気持ちよさそうだ。



 ほどなくして、いくつかの壁を隔てたところから、キャンキャンと犬の鳴き声が伝わってきた。



あ、そうだ!

せっかくだからワンコも輪の中に入れてあげよう


みんなは、ここで待っててね




 トラヒコがさっそく行動に移ると、数分後には部屋に犬を連れて戻ってきた。



 白くて小柄な犬だった。



 メスとオス、2匹いる。



アカリと、ヒカリだよ。

ふたりとも今年で18歳のご長寿犬さ



18!?



えっ、ホントに!?



すごいわね……!



チートレベル、ニャウ!




 興奮で背筋の毛がやや立ち上がっている。



 なにせこれほど長寿の者達と向かい合うのは、生まれて初めての経験だ。



どっちもミックスで、兄妹ってわけでもないのに見た目が似てるんだ


オレンジ色のリボンをつけているのがアカリで、黄色のリボンをつけているのがヒカリだよ



アカリじゃ。

アカリばあとでも呼んでくれればよいぞぃ



ヒカリじゃ。

わしのことは、ヒカリ(じい)とでも呼んでおくれ



おれは、(くれない)



妻のイザベラです



あたしは、メデア


ぼく、イソルダ



うむうむ。

みんな、よい名じゃ


わしらは温厚じゃから、そう固くならずともよいぞぃ




 ふたりはまず子どもたちに微笑みかける。



 それから丸い目をおれに向け、ケージ越しにしげしげと眺めてきた。



ホッホゥ~、

猫にしては大きいのう


(すご)まれるとちと怖いが、いい面構(つらがま)えじゃな



ところで、おぬし、年はいくつじゃ?



今年で生まれて3年になると思うが



ホッホ、若いのう


まだまだ死とは無縁じゃなぁ



そうか? 


野良猫の界隈じゃ、寿命はあと数年が関の山といったところだと思うが



何を言う。

うちで過ごせばあと10年は生きるじゃろう



10年も!?



そうじゃ。

その分、愛しい者達と長く暮らせるぞい


よきカナ、よきカナ



……本当に、そんなに長生きできるのか?



なんじゃ、疑うのか?

わしらがいい証拠じゃろ


そこにおるファーマもじゃな



ニャッハ!

ふたりにはかなわんわぁ~




 ファーマは毛量豊かなシッポを軽く振りつつ彼らのもとへ近寄ると、鼻を近づけて挨拶を交わした。



 それを目にして、トラヒコが満ち足りたように微笑む。



うんうん。

ご長寿同士、仲が良いね~



うむうむ


そうじゃな




 動物たちがほんの少しコミュニケーションを取るだけで、飼い主も当事者も幸せそうだ。







わしらは主人のおかげもあって、こうして長く生きておる。

じゃがのぅ……


ただ長く生きればいいというものではないぞ



というと?



幸せに生き抜くために大事なことはたくさんあるぞぃ


第一に、心が満たされているかどうかじゃ



心……?


このような環境で食糧に困らず自由に過ごせても、不満が湧くのか?



世の中には様々な事情があるゆえな。

すべてが思いどおりになるわけではない


しかしながらどれほど不満をかかえようとも、穏やかな暮らしがあれば気持ちは必ず安定するからのぅ



穏やかな暮らし……



そうじゃ。

平和な時間を大切にし、穏やかな日常を送れることに感謝する気持ちを忘れなければよい


さすればきっと、良い生涯を送れるじゃろう



日々の暮らしが、ただ物質的に満たされていればよいというものではないぞぃ


〝心が安らかでいられること〟


それがすべてなのじゃ



……つまり幸せになる秘訣は、自分次第ということか?



そうじゃな。

良き人間に恵まれても、己の心が腐っていては幸福は水の泡のように消えてしまうからのぅ



なるほど。

深いな……



年長者の教えと思って聞いてもらえればなによりじゃ





 ヒカリ爺とアカリ婆は、綿雲みたいに柔らかそうな顔に微笑みを浮かべた。



 この場にいる犬猫たちは、みんなそうやって自然と笑顔になれる。



 人前だろうと、見知らぬ猫の前だろうと、穏やかさの見本のような表情をいともたやすく浮かべることができるようだ。



…………




〝所詮は別世界の者達だ〟




 そう心の中で反発しつつも、やさしい風にそっと背を押されるように、興味を惹かれるのはなぜだろう?




 いつかおれにも、こんなふうに微笑むことのできる日が来るのだろうか……?





















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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