第63話 オーハラの苦悩

文字数 2,105文字





 理不尽な夜は続いている。



 おれにかけられた疑いは、いまだ晴れずにいる。



 オーハラはあの後、帰宅したトラヒコに不満をこぼした。



トラヒコさん。

わたし、まいっちゃったわ 



なに、どうしたの?



愚痴なんだけど、聞いてくれる?



もちろんだよ




 トラヒコはソファーに座って、沈んだ顔のオーハラに微笑みかける。



神猫様(かみねこさま)のことなんだけどね……



うん



って、面白い話じゃなんだから、そんなに楽しそうな顔しないでくれない?



じゃあ、こんな顔すればいいの?



それじゃ、なんだか叱られてるみたい



う~ん……



はぁ……ごめんなさい。

お酒も入ってるせいか、いつもより遠慮がなくなってるんだわ、わたし



人間なんだから、そういうときもあるよ


で、どうしたの?



神猫様のことなんだけどね



うん



やっぱり、外に戻すしかないような気がして……



せっかく打ち解けてきたのに、手放してしまうのかい?



だって……、

神猫様がうちに来てから、脱走はするし、網戸は壊すし、グラスは割るし


あんなに問題の多いコは初めてだわ



それだけ元気な証拠だよ。

よくあることじゃないか



よくあることでも、度重(たびかさ)なると(つら)いのよ



まぁそうだよね、片づけとか色々大変だよね



ううん。

片づけくらいなら、まだ我慢できる


けど、先が見えないのは辛い……



だから、外に戻すしかないと?



わたしだって悩んでるのよ


でも、あのコはおそらく根っからの野良猫で、しかもボス猫でしょ


このまま家になじませようとしても、ストレスになるだけなんじゃないかって……



う~ん……




 トラヒコは同意しかねるように、眉根を寄せたままでいる。



トラヒコさんは、外に戻すのは悪い考えだって思っているのね?



いや、悪いとは言わないよ。

けど、実行に移すのは時期尚早だと思うなぁ



どうして?



よくよく振り返って考えてほしいんだ


こうしてボランティアをしていると、世間からはそれくらいの苦労は当たり前だとか、愚痴のひとつもこぼすなだとか、心ない言葉を浴びせかけられることもある


けれど君も僕も犬猫が好きなだけで、聖人君主なわけじゃない


ただ大好きな者達のために、ちょっとは頑張れるっていうだけの人間にすぎないだろ


そんな人間だからこそ、心が折れてしまいそうなときもある



ええ、そうなの。

まさにわたしが苦悩する理由がそれなのよ……



君が辛いのもよくわかるよ。

僕だってしんどくなるときはたくさんあるから


だけど気持ちが不安定なときに決断は出さないほうがいいよ


まずはストレスをはき出して、それからゆっくりと考えみたらどうかな?



ストレスをはき出すっていっても……お酒ならもう飲んだわ




 目元を拭いながらオーハラは答える。



 泣いているのだろうか……?



 酒というキーワードが出たので捕捉すると、オーハラは割れたグラスを片づけた後に、妙なニオイのする飲み物をおかわりしていた。



 おそらく、あれが酒だろう。



 どれくらい飲んだのかは知らないが、おれの耳はコップに二度ほど液体を注ぐ音をとらえている。



そうだ!

いいことを思いついた!

こんなときは声に出して、歌って発散するのがいいよ


さぁ(しおり)さん、歌って歌って♪



えっ、歌うなんて……


もう夜だし、まわりに聞かれたら変だって思われるわよ。

余計に恥ずかしいわ



ハハハ、そうかい。

残念だなぁ



こんなときはやっぱり動物たちに癒してもらうのが一番よね


まわりを気にしないで済むし




 オーハラは室内を見回し、キッチンに向かって声をかける。



ほら、おいで~




 オーハラが呼びかけると、



ようやくお呼びじゃのう


ほいほい、いま行くよ




 キッチンで食事を摂っていたアカリ婆とヒカリ爺が、さっそく反応して駆けつけてきた。



いいコね~。

いっぱい撫でさせて~




 オーハラはふたりをソファーの上に乗せて、それぞれの顔や体を撫でる。



気持ちいいのう


極楽じゃ




 高齢犬たちは、みるみるご機嫌モードだ。



アタシも来たで~



あら、ファーマも来てくれたのね



アタシのおらんあいだに何があったかわからへんけど、元気出してや~




 ファーマは、オーハラを見上げながらゆっくりとまばたきをする。



 親愛の気持ちがこめられた仕草だ。



 それを受けてオーハラは微笑むと、ファーマの額にそっと手を触れた。



癒されるわぁ




 たった少しの触れ合いでも彼女の身体からストレスが消え、癒しの衣につつまれていくのがわかった。







(しおり)さんは、みんなにモテモテだね。

羨ましいな



トラヒコさんも好きやで



僕のほうにも寄ってきてくれるのかい。

いいコだねぇ




 トラヒコは身を乗りだしてファーマの頭をよしよしと撫でると、ソファーから立ち上がった。



せっかくだから、神猫様も呼んでこよう


神猫様や~




 トラヒコがおれを呼びながら廊下の近くにやって来る。



 おれはその廊下沿いにある階段から、彼らの様子を(うかが)っていた。



 しかし向こうからは、おれの姿は柵に隠れて見えていないはずだ。



あなた、呼んでいるわよ



……



行く必要ないよ。

お父さんのこと、信じてくれないんだから


濡れ(ぎぬ)、ニャウ!




 すでに家族には、事情を話して伝えてある。




 行くべきか、行かざるべきか――




 階段に(たたず)んだまま、おれは静かに葛藤(かっとう)していた。



















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登場人物紹介

紅 

ねこねこファイアー組の元ボス猫。

亡き友人であり部下でもあったオス猫に、妻のイザベラとその子どもたちを託され、結婚することになった。

夫婦仲は良好で近々子ども産まれる予定だが、生活は苦しく、落ち着ける居場所を求めている。

ワケあって住処を離れることとなったので、家族と共に町へ向かうが……。


イザベラ 

紅の妻。メデアとイソルダの母猫。

メデアとイソルダは、亡き夫とのあいだにできた子ども。亡き夫はねこねこファイアー組の幹部のひとりだったが、ニャニャ丸組との抗争により深手を負い、他界した。

知性的な猫であり、ドアノブに手を伸ばして開けることもできる。

メデア 

紅夫婦の娘。

生まれたての頃は甘えん坊だった。弟に冷めたツッコミを入れることが多いが、逆にからかわれることも。

紅が父猫になるまではボスとして遠巻きに眺めるだけだったので、なかなか同居になじめなかったが、共に行動することで次第に心をひらいてゆく。

イソルダ 

紅夫婦の息子。

幼いころから体つきが丸く、運動嫌いが拍車をかけ、筋肉量の少ない体形はぷよんとしている。

スコティッシュフォールドのミックスだった父猫の影響を受け、片方だけ折れ耳。

口癖に「ニャウ」を多用する。調子に乗って姉のメデアをからかい、反撃を浴びることもしばしば。

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