第79話 綺麗に死ねるとでも?
文字数 1,831文字
零士が霧のように消えたとき、入れ替わりのように狐のエスが、零士の残像から歩み出てきた。
「願望から生まれたミカエリが願うことができるものなのですね。少なくとも、彼は人として死を選んだと言ってもいいのかもしれませんね」
こいつの独壇場はいつも突然訪れる。
「御託並べるのは、もういいよ。どうせ時間はないんだしね」
細長い人の指で、爪は鉤爪だが、それをそっとすり合わせて、道化師が驚いたようにわざとおどけた口調で、悪七の肩に寄り添った狐は、慰めでもするように白い唇で吐息を吐きながら話し出す。
「そう、あなたの時間もない。でも引き延ばしてあげたのは、誰のおかげですか?」
処刑を間延びさせられるほど、苛々するものはない。悪七はただ黙って聞いていた。
「あなたも、演技が下手ですね。本当は嘲笑う気分でもないというのに」
「なんで零士に取り込まれたときに内臓を引っ掻き回さないのさ」
語尾は自分でも思ったより強まった。喉の奥でがなる声はまるで別人のように怒鳴った。今日は零士にペースを乱されてばかりだ。何もかも投げやりにして、一刻も早く立ち去りたい。
狐に悟られないよう顔には出さない癖がついている。だが、狐はもう俺を逃さないだろう。確実に今日の俺はやり過ぎた。死が怖いのか? 怖くないのか? 自問自答してみる。
その声は零士の声にもリョウの声にもなって聞こえる。この数ヶ月で人と関わりすぎてしまったのか。何事にも距離を置いてきたつもりだった。もちろん演技で親し気な雰囲気を醸し出すことは常に行っている。
それでも、リョウだけは少し特別ではなかったか?
いつでも切り捨てられる状態を維持しろと腹にくくっていた。リョウは零士におそらくやられているだろう。でも甘い零士のことだ命までは取らないはず。
リョウが目覚めたときには俺はもうこの世にいないかもしれないが、リョウは俺を特別視している。頼むから泣き叫ぶようなみっともないことはやめてもらいたい。あ、やっぱりリョウも変な愛着が湧く前に殺しとかないといけなかったかな。
愛着。そんなものあればの話だけど。でもリョウは俺の何が気に入ってこんなときにも命がけで零士と決闘なんか挑んでくれたんだろう。俺はもう充分幸せなのに。
唇が切れている。全く痛みは感じないが、なんだか不潔でみっともない。零士め、やっぱりもう一度生き返らせて殺してみたい。さっきのはあっけなかった。
「分かっているでしょう。あなたには、もう払える代償がない。残念ですが、人を殺すのにも限度があります。何度も同じ人間を殺すあなたでも、さすがに、これ以上零士を復活させることはできませんよ」
黙りこんで自分を納得させるように長く息を吐いた。顔を上げて、据わった目で微笑む。
「魂でも売りますか? それは自己犠牲が嫌いなあなたには論外でしょう。まして、命は売ってしまったんですから」
いつもの張りついた笑みで愉快げに返す。
「ミカエリが宿主を殺す気になったのは、もうこれ以上は、美味しい汁を吸えないからでしょ。となると、俺が用ずみになるくらいだから、当然リョウや、赤の他人に憑く気もない。君も消滅を選ぶわけだね」
「それは、どうでしょう。来世というものがあるのかもしれない。何故ならわたしたちは、元は人間や、死んだ動物だからですよ」
「ミカエリが来世を語る、か。笑っちゃうね」目じりを押さえて涙でもぬぐう仕草をする。
「これでも、父親ですからね。わたしの子は、わたしが始末をつけねばなるまい。そうでしょう、ライ」
「蛇にでもなれば、よかったのに狐なんて。そうやって粘着質だから、姉さんはあのまま帰らなかったんだよ。まあ、許してあげるよ。今夜二人で消えることは確定したんだ」
狐は、息を殺して笑いだした。
「以前、自分の最期を考えたことはないと言っていましたね。よく考えてみたらどうです? まさか、綺麗に死ねるとでも?」
「どうしても、俺を怖がらせたいみたいだけど。どうなるか予想はしてたよ。今のところ計画外だったのは、零士が自分で消滅したこと。俺の勝ちだけど、負けとも言える」
「おやおや、負けに決まっているでしょう。自分の手を汚しなさいと。それが取り決めでしょう。なんにしても、零士には上手く逃げられましたね。生と死だけではないということです」
ぐっと、身をかがめた狐の息が後ろ髪にかかった。
「あなたが考えているような死は訪れない。死はあなたの想像よりももっと残酷で、苦痛で屈辱的なものです」
「願望から生まれたミカエリが願うことができるものなのですね。少なくとも、彼は人として死を選んだと言ってもいいのかもしれませんね」
こいつの独壇場はいつも突然訪れる。
「御託並べるのは、もういいよ。どうせ時間はないんだしね」
細長い人の指で、爪は鉤爪だが、それをそっとすり合わせて、道化師が驚いたようにわざとおどけた口調で、悪七の肩に寄り添った狐は、慰めでもするように白い唇で吐息を吐きながら話し出す。
「そう、あなたの時間もない。でも引き延ばしてあげたのは、誰のおかげですか?」
処刑を間延びさせられるほど、苛々するものはない。悪七はただ黙って聞いていた。
「あなたも、演技が下手ですね。本当は嘲笑う気分でもないというのに」
「なんで零士に取り込まれたときに内臓を引っ掻き回さないのさ」
語尾は自分でも思ったより強まった。喉の奥でがなる声はまるで別人のように怒鳴った。今日は零士にペースを乱されてばかりだ。何もかも投げやりにして、一刻も早く立ち去りたい。
狐に悟られないよう顔には出さない癖がついている。だが、狐はもう俺を逃さないだろう。確実に今日の俺はやり過ぎた。死が怖いのか? 怖くないのか? 自問自答してみる。
その声は零士の声にもリョウの声にもなって聞こえる。この数ヶ月で人と関わりすぎてしまったのか。何事にも距離を置いてきたつもりだった。もちろん演技で親し気な雰囲気を醸し出すことは常に行っている。
それでも、リョウだけは少し特別ではなかったか?
いつでも切り捨てられる状態を維持しろと腹にくくっていた。リョウは零士におそらくやられているだろう。でも甘い零士のことだ命までは取らないはず。
リョウが目覚めたときには俺はもうこの世にいないかもしれないが、リョウは俺を特別視している。頼むから泣き叫ぶようなみっともないことはやめてもらいたい。あ、やっぱりリョウも変な愛着が湧く前に殺しとかないといけなかったかな。
愛着。そんなものあればの話だけど。でもリョウは俺の何が気に入ってこんなときにも命がけで零士と決闘なんか挑んでくれたんだろう。俺はもう充分幸せなのに。
唇が切れている。全く痛みは感じないが、なんだか不潔でみっともない。零士め、やっぱりもう一度生き返らせて殺してみたい。さっきのはあっけなかった。
「分かっているでしょう。あなたには、もう払える代償がない。残念ですが、人を殺すのにも限度があります。何度も同じ人間を殺すあなたでも、さすがに、これ以上零士を復活させることはできませんよ」
黙りこんで自分を納得させるように長く息を吐いた。顔を上げて、据わった目で微笑む。
「魂でも売りますか? それは自己犠牲が嫌いなあなたには論外でしょう。まして、命は売ってしまったんですから」
いつもの張りついた笑みで愉快げに返す。
「ミカエリが宿主を殺す気になったのは、もうこれ以上は、美味しい汁を吸えないからでしょ。となると、俺が用ずみになるくらいだから、当然リョウや、赤の他人に憑く気もない。君も消滅を選ぶわけだね」
「それは、どうでしょう。来世というものがあるのかもしれない。何故ならわたしたちは、元は人間や、死んだ動物だからですよ」
「ミカエリが来世を語る、か。笑っちゃうね」目じりを押さえて涙でもぬぐう仕草をする。
「これでも、父親ですからね。わたしの子は、わたしが始末をつけねばなるまい。そうでしょう、ライ」
「蛇にでもなれば、よかったのに狐なんて。そうやって粘着質だから、姉さんはあのまま帰らなかったんだよ。まあ、許してあげるよ。今夜二人で消えることは確定したんだ」
狐は、息を殺して笑いだした。
「以前、自分の最期を考えたことはないと言っていましたね。よく考えてみたらどうです? まさか、綺麗に死ねるとでも?」
「どうしても、俺を怖がらせたいみたいだけど。どうなるか予想はしてたよ。今のところ計画外だったのは、零士が自分で消滅したこと。俺の勝ちだけど、負けとも言える」
「おやおや、負けに決まっているでしょう。自分の手を汚しなさいと。それが取り決めでしょう。なんにしても、零士には上手く逃げられましたね。生と死だけではないということです」
ぐっと、身をかがめた狐の息が後ろ髪にかかった。
「あなたが考えているような死は訪れない。死はあなたの想像よりももっと残酷で、苦痛で屈辱的なものです」