第41話 人を生き返らせるためには

文字数 3,120文字

 電気をつけるなんてフーにできるか知らない。これ以上、悲鳴を聞いたり、血を見るのは嫌だった。部屋が白々しく照らされたときに、私の右肩ががくんとはずれ、血も噴出した。


 打撲と切創。フーは丸い身体にべっとりとついた血を見てにんまりと笑う。いつの間にか歯が生え揃っている。今はそんなことを気にしている場合ではない。朝月のうめき声。


 朝月にまとわりついていた氷が花咲くように散る。あえぐ右腕。指先は宙をかく。もつれる足にのせて、前屈みに鋭い刃物でひと掻きされた喉を押さえる。たぎる血はとめどなく指の間から並々と溢れる。泳いだ瞳と出会う。


 それが白目をむき、身体がつられて倒れ掛かる。その拍子にひいらのズボンにも噴出した血がかかった。受け止めたら腕の中で朝月の首がぬるりと滑る。


「ああ、だめ」

 喉から空気が漏れる。朝月はもう意識もなく、血が後から後から溢れてくる。喉元に手を押し当てたところで、せき止めることはできない。ところが不思議とパニックにはならなかった。


 背筋が寒くなることはあったが、それは今、目の前で人が死にかけているという事実のせいだけではなく、それよりも自分に残された選択肢とそれを選ぼうとしている自分の恐ろしさに対してのものだった。フーを使えば助けられるかもしれない。


 だけど、フーは必ず見返りを求める。それはきっと私の命。私はみず知らずの人を救うために自己を犠牲にすることができるだろうか。これまで数多くのボランティア活動をしてきた。


 だけど、それだって自分にできる範囲内でのことだ。虚しい煩悶はわずか数分となかったにもかかわらず、朝月の血が命を留めておける時間を過ぎるには十分すぎた。


 温もりが冷えていく。辺りの白々しい蛍光灯が、鮮血をよりいっそう際立たせた。私にはできなかった。自己犠牲なんてできるほど強くなかった。そんな勇気なかった。


 これまでやってきたどんなことも私の本当の良心じゃない。私なんて所詮、ただのリーダーかぶれだった。何もかも偽善だった。私は人を救えないし、何かを施す資格もない。


 側に残る輪千が、口を開いたのは「ごめんね」というそっけないものだった。

「え?」


 頬をとめどなく涙が伝っていて、耳鳴り程度にしか聞き取れなかった。何が悲しいのかもう分からない。自分の無力さとか、自分の卑劣さに腹が立って、どうしていいか分からない。

「私は何もできないから」


 消え入った声に呼応するように響く足音。朝月ばかりに気を取られていたが、数メートル先に犯人らしき少年が佇んでいる。

「あなたは」


 死んだはずのヤマだった。返り血を浴びていること以外はついさっきまで、ゲーム話に花が咲いたという顔をしている。


「そんな驚くことやあらへんで。だって考えてみいや。うちの死体は見てへんわけやろ。もうこんな話し方する必要もあらへんか」


 そういって、ヤマとは思えない、誰にでも親しく写る、好青年の笑みを浮かべた。知的でどこか名門の高校生といった――少なくとも今まで知っていたヤマではない。

「誰なの。狩集リョウの友達?」


「そうだよ。悪七ライ。よろしくっていっても、意味はないんだけど」


 ヤマの顔からは想像もつかない人づき合いのよさそうな声。先ほどから朝月と話していた声だ。もしかして顔も偽物なのか。そう思った瞬間、そのトリックを暴いてくれた。


 といってもごく簡単なマスクだった。そこから覗いた精悍な顔は警察の息子とか、エリート学生とかそういった正の部類の印象を与えた。笑顔さえ見せれば無垢にも見えるかもしれない。唯一気になるのは唇が薄いことぐらいか。


「俺はこのヤマっていう人の記憶と、姿を盗んだ。ミカエリの力でどこまで他者になりきれるか試した。といっても、ミカエリに血を払うのは嫌だから、このヤマっていう人は俺自身の手で顔をぐしゃぐしゃにして殺したけどね。


 それに俺にとって醜い男に変装するなんていう、羞恥を掻き立てる変装ほど、ミカエリは喜んで手を貸してくれる」


 あのシーソーの死体が本物のヤマだったのか。私は輪千をつかんで逃げ出そうとしたが、輪千は立ち止まって動かない。

「だからごめんって言ったでしょ。私は手出しできないから」


 そんな、まさか。輪千真奈美もこのゲームの裏切り者なのだろうか。

 悪七ライがおどけた調子で告げる。

「二人いたって別にいいでしょ? 手紙には、いるって書いただけで、何人いるかなんて書いてないんだから」


 輪千は、私の手を振り払う。だけど、そこに敵意はなかった。名残惜しさまで滲ませた目で哀れむような声で言った。


「私は何もできないの。今回のゲームでも何もしなかった。信じてもらえないかもしれないけど、行動を共にしただけで、自分でも自分の身を守りきれる確信はなかった」


「じゃあ何で」

 輪千は俯いてそれには答えず悪七という少年の後ろに回る。悪七に道を譲る形になった。


「フェアじゃないってわけでもなかったでしょ。君にはミカエリがいたんだし」

「だけど、あなたのミカエリは複数いたじゃない」


「でも身体は一つだからね。払えるものにも限度はあるよ。ミカエリは仕掛けの一つにすぎないし。俺はこのゲーム。ゲームっていう言い方も本当は嫌いなんだけど、どうしても役作りのためにはゲーマーらしくしないといけなくて。まあ、楽しめたらそれでいいかなって」


 そこで微笑むのだが、何故か寂しげに広がる口元に、楽しみの欠片も見出せない。悪七は一歩歩み出ると、こんなくだらない話なんてやめようというように軽くかぶりをふった。


「感情のない殺人鬼って言われたらそれまでで、そういうレッテルを貼られて終わりだけど、もちろんそう言われるだろうけど。まあ問題は俺をどう社会が扱おうと関係なくて、これから俺と君の間に起こることにかかってるけど」


 どことなく独り言が多い気がするのは、ヤマと唯一似ている点かもしれないが、ヤマと違って演技をしていない時の方がおかしな発言が多い気がする。


「朝月にはがっかりしたよ。ああいうのを一人、味方につけてみたいって思ったからこのゲームにつれて来たんだ」


「朝月君は、確かにちょっと危険だったけど、それでも私達を必死で守ってくれた。あなたとは似てない。あなたがこんなゲームをはじめたのは何故」


 私が知りたいのはそれだけだ。ゲームと銘打っているからにはそれなりの意図があるはずだから。何で無意味に人が死ななくてはいけなかったのか。


「理由ね。それが分かれば大人しく死ぬ? そんなわけないよね。理由なんてないと言えば最近の流行りみたいだし参加者はわりと無作為に選んでるけど」


 考えるそぶりからふと我に返って自己と他者の立ち位置に今しがた気づいたように私に親しげな笑みを向ける。


 その笑みは自然であり作り笑いであり天使か悪魔の陰謀と紙一重で、漏れた吐息は今から起こる幸福な時間を満喫してやろうという屈託のない願望そのものだった。次に放たれたもの静かな言葉がこの少年の決定的な欠落を浮き彫りにした。


「人を生き返らせるためには何人の犠牲者が必要だと思う?」


「生き返らせる?」

 ミカエリに払う代償のことを言っているのだとしたら大きな過ちだ。

「そうだよ。俺は惜しい人を脱線事故で殺してしまったから生き返らせるんだ。そのためにミカエリを使う。そのためには何人殺したらいいかってこと」


 なぞなぞでもするように問いかけられた。そんなこと、できっこない。命の数合わせなんて。

「あなたにも憑いてるのなら、何でもっといいことに使わないの?」


 悪七は眉をひそめた。たった今自分のしてきた行いが偽善と気づいたお前に善を語る資格があるのかと、冷ややかな笑みを投げかけてくる。
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