第61話 ブランク
文字数 2,081文字
零士はずっと苦笑していた。お茶碗を手に取っただけでイメージが浮かび上がったのは幼い頃の夕食のできごと。お茶漬けにしようとして、お茶をひっくり返して妹の真奈美に「またお兄ちゃん何やってるの」と小馬鹿にされて二人で机をふいている。
零士の記憶であって他人の記憶。かといって不愉快ではなく、俺にも俺の記憶があればええなぁと軽く嫉妬している。
ミカエリの真奈美は茶碗を持って固まった零士の隣に静かにたたずんでいる。珍しく顔のパズルが完成して寂しげに微笑んでいるが零士は見ないようにしていた。
「しっかり食べや。あんたの大好物のサバやのに」
祖母はそういってくすりと笑った。
「あんたは安物ばっかり好物やから助かるわ」
俺の好物はサバやったんかと他人事として聞いていた零士は本当のところ魚より肉が好きだとは言い出せなかった。自分の人生は生前の標零士のレール上しか歩めないことに少しがっかりしている。
少しのがっかりですんでいるのは、零士と自分の差異をまだはっきりと見つけられていないからだ。それに零士の残りの半生を俺が代わりに務めるということに新たな可能性を見出していたからだった。
零士は昔の記憶と照らし合わせて些細な傷を探した。転んで残ったすり傷がなくなっている。肌の色もいくらか白い。つまり身体は粘土みたいにこねくり回して造られた人形みたいなものだ。
さながらCGのキャラクターがいくら実写に近くなったところで実写にならないのは顔が均等すぎたり、肌のしみ、そばかすともほくろともつかない本人も自覚しない肌のかすみとかの有無にある。
零士の眉毛は左がやや右肩上がりだったが、今は左右きれいにいかついている。ライから見た、零士の姿をこしらえた人形だ。まず日焼けサロンにでも行って人間らしさを取り戻した方がいいんちゃうかと零士は思案した。
サバを避けて通れないので仕方なく頬張りながら、親友としての記憶の悪七ライを顧みた。何とも羨ましいぐらい眩しい好青年で、俺はライをいかに喜ばせようか毎日色々思案していた。
幼い頃はその場の思いつきでライを振り回してばかりで困らせていた。
零士はふと頬がほころびたので軽く首を振った。他人の記憶の厄介を引き受けるべきか実は悩んでいた。それに悪七ライは幼い頃の見る影もなかった。何より妹を殺した張本人だ。
記憶として妹が眼前にちらつく以上、とても心穏やかでいられるわけがない。同時にライを野放しにするのは生前の零士が許さないことが分かりきっている。そこだけが唯一、生前の零士と気の合うところなのかもしれない。
真奈美が今もこうして側にいるというだけで零士には悲しかった。死してなお、ミカエリとして留まることは幽霊でいうところの成仏できない自縛霊みたいで哀れだった。まして妹だ。
ライを狂わせているできごとも詳しく知っている。欠席したことのないライが学校を休んだので、その日はいてもたってもいられなかった。
学校が終わってすぐライの屋敷にランドセルのまま走って行ったら何やら車の出入りも激しいし、マスコミもいたし、パトカーもいて尋常じゃない雰囲気に圧倒された。
いくら顔を覚えてもらっていても召使の一人も俺を通してくれなくてライには会えないまま二日が過ぎた。
ライが学校に姿を現したときには顔色の悪さや生気のなさで制服が喪服に見えるほどだった。ライの姉の自殺はその後のライに黒い一点の染みとなって残った。この小さな一点が、後に大きく滲むことになるなんてな。
人の死というのは、時が解決してくれることもなく、思い出す頻度が減る程度なのかもしれない。だからライが笑顔をときどき取り戻すようになったのは生前の零士の貢献じゃないかもしれない。
何にしても零士はライに殺された。生前の零士がライを許しても、今の俺はライに蘇らせてもらったとしても犠牲の上に成り立った生を素直に喜んでいないし、許しもしない。
零士は夕食を済ますとパソコンの前に座った。
きっとマスコミが取材に来たのもライが仕組んだことだ。生前の零士じゃないことを確信して殺しに来るはずだ。
「ほんま、ライはわがままやからなぁ」
自分の名前を検索したが特に変わったことは見つからない。わずか五分ほどのニュース番組の一部に出ただけだから大したことはないのかもしれない。
結局次の日もその次の日も何も起きなかった。それよりも学校の手続きが長引き二日も休んだ。友達はもう卒業している。
中学を卒業した扱いになったものの、二年のブランクがあるまま高校には進めないので通信学校で遅れを取り戻しつつ高校の入学手続きをする。
ライも二つ年上になるが、その二年の差が許されざるもののように感じていた。生前の零士の身長と今の身長一つとっても、今の方が一センチ低い。指の太さを見ても均等で女みたいに細くきれいな指をしていてまだ己が確立されていない。
どこまでいってもマネキン人形だ。ひょっとすると身長が伸びることもないかもしれない、大人になってもひげも生えず、声変わりもしないのかもと思うと零士は空寒さを感じた。
零士の記憶であって他人の記憶。かといって不愉快ではなく、俺にも俺の記憶があればええなぁと軽く嫉妬している。
ミカエリの真奈美は茶碗を持って固まった零士の隣に静かにたたずんでいる。珍しく顔のパズルが完成して寂しげに微笑んでいるが零士は見ないようにしていた。
「しっかり食べや。あんたの大好物のサバやのに」
祖母はそういってくすりと笑った。
「あんたは安物ばっかり好物やから助かるわ」
俺の好物はサバやったんかと他人事として聞いていた零士は本当のところ魚より肉が好きだとは言い出せなかった。自分の人生は生前の標零士のレール上しか歩めないことに少しがっかりしている。
少しのがっかりですんでいるのは、零士と自分の差異をまだはっきりと見つけられていないからだ。それに零士の残りの半生を俺が代わりに務めるということに新たな可能性を見出していたからだった。
零士は昔の記憶と照らし合わせて些細な傷を探した。転んで残ったすり傷がなくなっている。肌の色もいくらか白い。つまり身体は粘土みたいにこねくり回して造られた人形みたいなものだ。
さながらCGのキャラクターがいくら実写に近くなったところで実写にならないのは顔が均等すぎたり、肌のしみ、そばかすともほくろともつかない本人も自覚しない肌のかすみとかの有無にある。
零士の眉毛は左がやや右肩上がりだったが、今は左右きれいにいかついている。ライから見た、零士の姿をこしらえた人形だ。まず日焼けサロンにでも行って人間らしさを取り戻した方がいいんちゃうかと零士は思案した。
サバを避けて通れないので仕方なく頬張りながら、親友としての記憶の悪七ライを顧みた。何とも羨ましいぐらい眩しい好青年で、俺はライをいかに喜ばせようか毎日色々思案していた。
幼い頃はその場の思いつきでライを振り回してばかりで困らせていた。
零士はふと頬がほころびたので軽く首を振った。他人の記憶の厄介を引き受けるべきか実は悩んでいた。それに悪七ライは幼い頃の見る影もなかった。何より妹を殺した張本人だ。
記憶として妹が眼前にちらつく以上、とても心穏やかでいられるわけがない。同時にライを野放しにするのは生前の零士が許さないことが分かりきっている。そこだけが唯一、生前の零士と気の合うところなのかもしれない。
真奈美が今もこうして側にいるというだけで零士には悲しかった。死してなお、ミカエリとして留まることは幽霊でいうところの成仏できない自縛霊みたいで哀れだった。まして妹だ。
ライを狂わせているできごとも詳しく知っている。欠席したことのないライが学校を休んだので、その日はいてもたってもいられなかった。
学校が終わってすぐライの屋敷にランドセルのまま走って行ったら何やら車の出入りも激しいし、マスコミもいたし、パトカーもいて尋常じゃない雰囲気に圧倒された。
いくら顔を覚えてもらっていても召使の一人も俺を通してくれなくてライには会えないまま二日が過ぎた。
ライが学校に姿を現したときには顔色の悪さや生気のなさで制服が喪服に見えるほどだった。ライの姉の自殺はその後のライに黒い一点の染みとなって残った。この小さな一点が、後に大きく滲むことになるなんてな。
人の死というのは、時が解決してくれることもなく、思い出す頻度が減る程度なのかもしれない。だからライが笑顔をときどき取り戻すようになったのは生前の零士の貢献じゃないかもしれない。
何にしても零士はライに殺された。生前の零士がライを許しても、今の俺はライに蘇らせてもらったとしても犠牲の上に成り立った生を素直に喜んでいないし、許しもしない。
零士は夕食を済ますとパソコンの前に座った。
きっとマスコミが取材に来たのもライが仕組んだことだ。生前の零士じゃないことを確信して殺しに来るはずだ。
「ほんま、ライはわがままやからなぁ」
自分の名前を検索したが特に変わったことは見つからない。わずか五分ほどのニュース番組の一部に出ただけだから大したことはないのかもしれない。
結局次の日もその次の日も何も起きなかった。それよりも学校の手続きが長引き二日も休んだ。友達はもう卒業している。
中学を卒業した扱いになったものの、二年のブランクがあるまま高校には進めないので通信学校で遅れを取り戻しつつ高校の入学手続きをする。
ライも二つ年上になるが、その二年の差が許されざるもののように感じていた。生前の零士の身長と今の身長一つとっても、今の方が一センチ低い。指の太さを見ても均等で女みたいに細くきれいな指をしていてまだ己が確立されていない。
どこまでいってもマネキン人形だ。ひょっとすると身長が伸びることもないかもしれない、大人になってもひげも生えず、声変わりもしないのかもと思うと零士は空寒さを感じた。