第59話 俺が生かしてあげてるって分からない?

文字数 2,943文字

「ああ。俺のことは守らないかもな。でもとにかくお前と輪千を消せればそれでいいんだよ」


 本当は消すなんてもったいないことはしたくない。俺はカムに精神を喰わせてやりたいんだ。人が本性を失くして徘徊する姿が見たいんだ。

 カムは水のカーテンとなって覆いかぶさった。


「無駄やって」零士がそっけなく言う。カムのカーテの真ん中に破裂音と、穴が空く。輪千の顔は激しく回転し、唇しか見る影もない。俺がそれを目視した瞬間、鈍い衝撃で俺は後方に吹き飛んだ。ライブハウスで最前列でベースの重低音を食らった衝撃の何十倍も重かった。


 不思議と痛みよりもひっくり返ったときに見えた雨雲の合間の漆黒の夜空が綺麗だった。


 湿った瞼を開くと雨はまだ続いていた。口の端にアスファルトから跳ねた砂がついていて、つばを吐いた。一瞬意識が飛びかけた。


 カムは俺の背中の上で、でろんと垂れ下がってのん気に首を傾げている。憎々しげにカムを見上げると、ぶよぶよの腕で俺の頭を撫でようとするのでその腕を払った。っといっても、カムの腕は霧になって触れられない。足を踏み鳴らして立ち上がる。


 カムは足を滑り降りて、水溜りに混じって零士の影を踏む。呼吸で肩がわずかに動くことさえ許さない金縛りに、さすがの零士も驚いた顔を見せる。ミカエリの影は踏めないが、零士の動きを止めた。だが、これも輪千の奇声で台無しだ。


 あっちの攻撃は、形のない分、目に見えない。カムは素早く輪を描いてナメクジの姿で飛びのく。カムはそう、やわな攻撃じゃ消滅しない。どこが弱点か知らないが、急所は伸びたり縮んだりして自分でずらして外せる。


 黒い帯状になって輪千の動き回る頭をすっぽり覆う。やはりというべきか、輪千の意識を奪うことはできないが、視界は奪った。ただ、むやみやたらに金属の悲鳴を上げられてはこっちの耳もおかしくなる。


 だが、零士は俺を殺す気はないらしい。俺だったら耳から血が出るまで大音響を響かせてやるのに、それをしない。


 カムは尻尾を伸ばして零士の首に巻きつけた。が、それを歌声が真っ二つに切り裂く。


 カムの二本あるうちの一本の尻尾が落ちる。帯も歌の衝撃波で、びりびりに破れ、カムは仕方なく輪千から離れ、散った。尻尾のところに寄せ集まって、トカゲの姿をとる。


「あんさん、なかなかしつこいな」

「お前だって、本気じゃないんだろ。うっとおしい」


 俺はゲーマーだから勝ち負けをはっきりとつけたい性分だから、じれったいのは我慢できない。カムの質量を増やすしかない。血だ。とにかく血だ。ナイフを腕に突き立てる。

 見かねたかのような困った顔をした零士が、嫌々怒鳴った。


「真奈美。終わらせんで」

 輪千の顔の回転はフルスピードでミラーボールのように激しく光る。輪千の口からまさかレーザー並みの切れ味が飛んでくるとは予想外だった。


 戦慄と痛みは同時に稲妻として走った。口から泡の混じった鮮血がほとばしる。視野が黒澄んで、危うく零士を見失うところだが、意識はどくどくと流れる血に集中して何とか落とさなかった。血と意識さえ最後まで握っていれば全てはカムが片づけてくれる。


 流れ出た血を無駄になどするものか。全てカムが舌で掃いてはぺろりと喉に送り込む。カムが比例してむくんでいく。


 そうだ一滴も無駄にするな。全て復讐に変えろ。カムは熊みたいに大きな身体になった。


 背中から背びれともたてがみともとれない棘が生えている。つるつるの頭と相変わらずの顔で、スナメリみたいに愛嬌がありながら体格だけ猫背のゴジラだ。


 また成長した。にんまり笑った歯茎からは人間の歯が覗いている。牙じゃなく人の歯が生え揃ったことで不気味さも増した。


「待ってリョウ」

 血まみれの俺と、何食わぬ顔をしている零士の後ろから穏やかな声が投げかけられた。零士がわきに半歩寄る。雨水を散らした銀髪。ずぶ濡れで火照った俺達とは対照的に、涼しげな表情で微笑みかける。


「取り調べから抜け出してきたんだ。大丈夫。あれじゃ、証拠不十分で釈放されるのも時間の問題だよ」


 アルビノ姿の悪七は見慣れないのと、安堵したので自分でえぐった左腕が雨に染みるのをやんわりと感じた。


「何でうちが来てんのが分かったんや。うちが来ーへんかったらしばらく捕まっとく気やってんやろ」


 明らかに零士はうろたえていた。悪七のいないときに俺と会うことが目的だったようだ。

「零士を気取るのはやめて欲しいな」


 侮蔑の態度で一歩歩み出た悪七に、零士はただ口を閉ざした。

「死んで混沌に落ちると魂なんて概念がなくなって大地とか自然とか色んなものと混ざるのかもしれないね。君も自覚があるんじゃない? 君は零士であって零士じゃない」


「こっちこそ零士やいうて、あんさんの友達でおるのは願い下げや。生前の記憶かて今はどうでもええねんからな。でもそれが何や。俺は好きなように生きてんねん。


 前と変わったとか言われても分からんし、俺にとって生前のことなんて過去や。別人格になってたって別にええやんかってわけで」


 確かにミカエリの所業によって生き返ったのなら、ミカエリの天秤はやや傾いているから、まともに生き返らなくても不思議はない。五体満足に蘇生できただけで奇跡であることに間違いはない。零士本人も与えられた生をどう生きるか課せられた――。


 ただ生前と別人格かどうかの判断は生前を知る悪七にしか分からないことだろう。蘇生して、魂が異なるということがあるのか俺には分からない。零士は自分で自分のことを分かっていない節がありながら、その堂々たる存在感にヤマと同じコミックリリーフが健在だ。


 そして、零士が敵対し零士であるのに零士ではないことも含めて悪七の受ける代償だ。


「うちは、あんさんの望むようにはなられへんわ。生前の記憶はあんねんけど、記憶のまんまに生きるつもりはないんよ。せやけど生前の零士がやろうとすることに、うちも賛成してんねん」


「俺を止めること? 義務じゃないでしょ」

 零士は跳ね打つ雨にまつげを逆らわせて目を見開いた。威圧的に、核心をつく。


「ライが無差別に殺意を振りかざしてんのはうちを殺されへんからやろ」


 悪七の瞳に一瞬かげりが見えた気がしたが、すぐに眉根を寄せて言い返した。

「俺が生かしてあげてるって分からない?」


「ちゃうな、あんさんはうちを今すぐに殺さんのは、うちが思い通りにならんからや。うちに何を期待してんや」


 悪七はため息混じりに失望を込めて伝えた。どことなく微笑んだままだ。

「本質は変わってないのにまるで別人だね。再会じゃないな。まるで初対面だよ」


 零士も話してもらちが明かないことが分かったのか、悪七から目をそらし、まだ顔面のパズルが回転している輪千を哀れむように見つめる。


「まあええわ。話したないんなら。あんさんには言ったで、言うことは」と、再度忠告するように俺を見る。悪七にはこれから何も言うことはないという態度で背を向けた。


 俺達は後ろから襲うこともできたのだが、悪七が早々に、きびすを返した。もう眼中に零士のことはないといった様子だ。実際はどうだったか、雨音の中で俺には察しがつかない。悪七の濡れてしなびてしまった銀髪が目元を隠して何の表情も見えなかった。

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