第82話 エピローグ

文字数 1,809文字

 フードを深くかぶって街の交差点に一人立ちつくす。背後にいた悪七が顔を出すが、ミカエリなど誰も見えてなどいない。いや、見えていたとしても世界は変わらず俺達を視界に入れない。


 復興された街は、俺達の事件など何も覚えていないかのようだ。少しSFのように科学が進歩していればいいと思ったが、俺達のいた時代と大差ないビル群が並ぶ。


「相変わらずだね。ここが五十年後だよ。リョウ」


 まだ氷の中にいたときのように手がかじかんでいた。俺は蘇生した。正確には、まさに氷が棺の役割をして五十年も眠っていただけだ。凍っている間に悪七は、タワーから俺を運び出して、人気の少ない場所に埋めていたというから、どこまでが冗談か分からないが、現にこうして五十年経ったことから、冷凍睡眠は成功といってよかった。


 悪七は、年を取らないし、五十年も何をしていたのかと聞けば、はにかんで、もったいぶった口調でリョウが掘り出されないか見張りながら、自分も眠っていたとか言う。


 今になってはどうでもいい話だと悪七が、ぽつりとこぼしたのは、脱線事故そのものが悪七のせいではなかったとのことだ。俺も、もうどうでもいいことだと思った。なら、何が悪七を悪七たらしめた一大事件だったのだろうか。


 おそらくは、やはり脱線事故だ。俺の推察だが、脱線事故は朝月レンの仕業じゃないだろうか。なんにしても悪七の人生は早い段階で狂ってしまったことには変わりない。


 それがあったからこそ、俺達は生に固執していける。ミカエリになってでも、生きる悪七は、死んだことにはならないだろう。そして、それを願った俺も。


 もしかしたら、俺が悪七の過去について無関心になるように仕向けられたのかもしれないなと、心の隅で思った。雪がはらはらと舞い降りてくる。悪七も氷の力を使えるようだ。この雪はその実、アスファルトに触れた途端に赤い色に変わってしまうことになるだろう。


 悪七が逆さまで、無様に死んだことも狐のミカエリを消すために仕組んだことなのかもしれない。ミカエリが見返りを求めることもできないほどの殺戮によって、悪七は死ぬ。しかし、自身の死でも償えないほどの願い。ミカエリには、矛盾が生じた。


 ミカエリが宿主を殺すに至ざるを得ないほどの願望。エゴ。そして、俺が悪七を永遠の存在にしたいと望むことも、悪七は見抜いていた。自ら退いた零士が正しいのか。零士が消滅したと聞いたときがっかりした。


 俺を殺さずに、決着もつけず。いや、悪七のほうが、零士を失って顔には出さないが、嘆いているだろう。俺の背後で微笑んでいるが、もっといい止めの刺し方はなかったかと考えているようだ。


 昼下がりの雑踏では、アスファルトの照り返しがまぶしいので、頭からフードをかぶった。しばらくすれば、雪も深くなるだろう。


「携帯とか、まだあるみたいだな」

「結局は歴史は繰り返すってことなんじゃないかな。一度運行された歴史に沿って、それとそっくりにしか歴史はなぞれないのかも」


 抑揚のある悪七の声は明らかにはりきっていて、深い執念深いものもまじっていた。これも、零士のせいというかおかげというか。ミカエリになった悪七は、明らかに充足したいと急いていて、俺の影を踏みつつ着いてくるのでときどき踵が擦れあった。


 隣で歩けばいいのに、そうしないのは、すれ違う人間とぶつかって、悪七の身体をすり抜けるのを嫌うからか。それとも、俺への圧力か。


「リョウの嫌う人間、たくさんいるね」


 ああ、知ってる。どいつもこいつも、同じに見える。俺のクラスメイトはいい年した大人になっているだろう。眠りから覚めただけで、年を取らなかった俺には見向きもしないだろう。それでも、壊したいと願うのは俺が、弱い人間だからか。


 こんなことを考えてしまうのは、零士の悪い影響だ。悪七は、安心してというように、俺と肩を並べた。


 街中の携帯電話が一斉に鳴りだす。歩いていた人が、信号が赤になるのも気づかず立ち止まって、ためらいがちに携帯を耳に当てる。それを見届けてから俺は電話口で命令する。

「今すぐ隣にいる人間を殺せ、それができないなら――」


 人々の携帯を握る手が凍りつきはじめる。また一人、また一人。

 張りついた笑みを浮かべてみた。悪七は、俺から血肉を奪うような真似はしないだろう。そして、狐のミカエリのように精神を蝕むこともきっとしない。何故なら俺はいずれ、悪七になるだろうから。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み