第67話 どこかで見ているはずだ

文字数 2,819文字

 女性の手が凍りつきはじめた。危うく携帯を取り落とすかに見えたが、携帯は手のひらに吸いついて離れない。メール画面を開いたまま凍っていく。

「なに、ちょっと助けてよ」


 女性の携帯を握る指が凍って、氷の爪になる。ミカエリの力は誰にでも簡単に扱える。イメージするだけで手に刃が収まる、魔法のようなものだから人々にはそれがいつしか自分の力だと錯覚する。近くで早速、ナイフを造形している馬鹿な男がいる。


 取りだしただけの刃に刃以上の期待と、自分の可能性を確信する。そして、誰もが一度でも考えたことのある誰かを消したいという衝動に出くわせば、たちまちのうちに、人は変わる。


 走って逃げる人、不安と、期待をないまぜにしたような面々が、周囲に何百人といる。悲鳴が上がった。通り魔だ。周囲の混乱に乗じて逃げていく。居合わせた警察が取り押さえた。


 これだけでも普段のニュースなら一面を飾れるだろうが、それに加えて人々がその警察に助けを求めたり、その警察を殺した人がいたときには、もうこの街は引き返せなくなっていた。


「標零士って誰だー」

 大声であからさまに呼ばれるとは思っていなかった零士は思わずそちらを振り向いた。凍ったスマホで何とか音声検索をかけて調べている。


「ライのやつ。あの取材からやっぱ仕組んでたんやわ。うちが一回でもテレビ出たらネットに載るもんな」


 悪態をつきながら、零士は人目を避けるように走った。

 路地に走りこむ間際、視界の隅にとらえた大型ビジョンに速報が走った。


「街中で混乱が起きています。通り魔が多発しています。取り押さえられた何人かの犯人は、どれもメールを受け取っているか、または電話で、男の声で脅迫されたと答えているようです。


 また、各地で人々が氷づけになっています。原因は不明ですが、身体の一部が突然凍るという怪奇現象とも呼べる症状に、病院は手をつけられない状況になっています」


 今では街中、氷漬けにされた人々の悲鳴が響き渡る。後ろから片手が凍った男が追ってきていた。目立たない黒の服に動きやすいスニーカーで、氷のナイフを二本持ちあらかじめ用意していたような出で立ちだ。


 携帯でライから指示を受けた人間は二種類いるのかもしれない。以前から指示されていた限られた人間とたった今大々的に指示を受け取った人間。そして前者はおそらく自殺志願者だ。


 男はフードを深くかぶり低い物腰で腕を交差して両側に振り開く。真奈美が零士のをかばうように盾になった。いつもなら顔はないのにこのときになって顔のパーツが苦痛を訴える。


 それならば俺が斬られた方が良かったと零士は痛烈に思ったが男の猛攻が遮った。男には真奈美が見えていないのだ。鼻の頭を切っ先が走った。


 その軌道を追ってもう一つの刃も通りすぎていく。男と横にすれ違いざま、膝蹴りを繰り出す。フード下の男の表情が歪む。が、すぐに体勢を立て直してくる。左、右と交互にナイフが降りかかる。


 真奈美が金属音を発した。零士は聞き慣れているが男の頭は割れんばかりの轟音に感じるだろう。男の耳から血が流れる。鼓膜が破けたのか。真奈美やり過ぎだ!


 足早にその場を離れた。真奈美は必死に痛みを堪えるような顔をする。腹が裂けている。痛みを感じるわけではないはずだがこれも代償か。確かに真奈美の顔でやられると見ていて辛い。ひとまず男をまけたようだ。小さな公園に来ていた。


 立ち入り禁止の茂みの奥まで踏み込んだ。こうして追われる身になってみると犯罪者になったみたいだ。本当の犯罪者はライだというのにあいつは平気な顔をしているはずだ。そこまで思考してみて零士はライがまたこんなゲームまがいのことをするのは何故かと疑問にぶち当たった。ライは愉快に楽しんでいる訳じゃない。きっと俺を殺しても満足しない。


 ふと記憶の中でライの笑い声がする。ライとの親しい記憶さえ醜悪に思えた。

 真奈美の傷は何ともなかった。やはりミカエリが大げさに俺を心配させたくてやっていたようだ。だが顔のばらばらのパーツから光が消え、少なからずダメージもあったようだ。ミカエリにも命があるのか。なら、真奈美の姿も意味がない訳じゃない。


 零士は恐る恐る自分の携帯を見た。直接俺の携帯にかけてくれば大勢の人間を巻き込まなくてもよかっただろうに。無差別に殺人を強要している手口に憤りを感じた。


 携帯でテレビを見てみた。たぶん、自分の携帯が一番安全な携帯だ。もしくは、何かコンタクトがあるかもしれない。


「知り合いからの携帯電話が鳴ってもでないで下さい。メールも注意して下さい」

 コメンテーターは気に食わない顔をして言った。

「単純にテロでしょう」


 ゲストには霊能力者まで呼ばれている始末だ。

「これは不の連鎖反応ですね。超常現象は時折、連鎖して同じようなことが起きるんですよ」

 話の噛み合わない滑稽なバラエティ番組のようだ。


「携帯を使っているというのは一種の忌ましめのようですね。私達は携帯に頼り過ぎているという。これが人為的に行われている可能性は十分あるとも、思いますけど、実際インターネットやテレビはこうした乗っ取りがまだ行われていないようですし」


 ネットにアクセスしてみると、自分の名前がすっかりリアルタイムの話題を網羅していた。顔写真はもちろんのこと、誰が調べたのか家の住所まで載っている。

「ばあちゃんやばいやん」


 駆け出しそうになって、もう一度携帯で自分の家の情報がないか調べた。もう遅かった。家の画像がアップされていたが、玄関から氷の結晶が覆い尽くし、窓も割れ、氷山が家に突っ込んでいた。しかも、周囲は人がうろついているようだ。


 警察の画像も上がっていて、氷の刃物を持った人間により負傷していた。道端に横たわる警官の死体、氷漬けのパトカー。アクセスが集中しすぎて繋がらなくなった。別のサーバーは既にダウンしていた。


 真後ろでシャッターを切る音が聞こえた。

「あほか。なに勝手に撮ってくれとんねん」

 異常時でさえ面白半分に撮影する人間いるのは分かっていたが、実際に目の当たりにするとこれほど腹立たしいものはない。


 更に悪いのは、その撮影した若い男の携帯もすぐに凍り始めたことだ。この後どうなるか、知っているらしく、慌てふためいているが、まさか自分もこんな目に合うとは信じていなかったのか。都合のいいように生きてんねんな、こいつ。


 素早くその場を離れ、大通りを抜けた。そのとたん、大勢の人間が氷をかざして追いかけてきた。洗脳された人間がわずか五分程でこれだけ広がっているとは。


 悪七はどこだ。きっとこれだけのことをするのだから、どこかで見ているはずだ。いや、見ていたいはずだ。零士は直感的にビルを見上げた。タワーだ。悪七は見下ろすのが好きだった。天体観測のとき、俺達が上った屋上から、俺は星ばかり追っていて、楽しげに微笑んだライはときどき、手すりから下を見下ろしていた。

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