第64話 宣戦布告
文字数 1,585文字
「なんだ零士か」
白々しくも親しげな声。話す前から、電話番号で誰からか分かったようだ。
「投身自殺の事件はあんさんなんやろ?」
電話越しにため息ともつかない息が漏れる。ライは単刀直入に聞かれることが嫌いだ。
「どの事件?」
とぼけているのではなく幾らか思案しているようだ。
「ほかにも何かやったんかいな」
「だからどの事件?」
苛々した口調のライ。できればこんなくだらない電話を早く切りたいのかもしれない。ということはあまりライの計画は上手く行ってないのかもしれない。
「川に投身したけど他殺やったあれや。誰を巻き込んでんねんな。うちが気食わんなら自分で会いに来いや」
「まだその時じゃないから」
「待てや。話したいことがあるから電話番号置いといたんやろ。この前はうちもリョウとかいう、あんさんの新しい友達にちょっかい出して悪かったけどな。今なら話せるんやろ」
「新しい友達ね。嫉妬してるの?」
「ふざけんなや。さっさと用件を言わんかい」
ライは残念だと言わんばかりにため息をついた。
「大声で怒鳴らないでよ。急ぐことでもないんだから。話す前にやっぱりもう一度認識したかったんだ。零士じゃないとしてもこれだけ精巧な人間なんだから、偽物じゃないって」
少し気の毒に思えたが、零士は首を振る。
「うちかて一個体やからな」
しばしの沈黙の間、鼻から夜の潮の匂いを大きく吸い込んだ。
「俺が知りたいのは――優しさとか思いやりとか人として持っているべきものを失くして、もっと言えば他人を蹴落としたり殺したりしても何も感じず、それでも生きていたいと思うのは罪になるのかってこと」
夜風が冷たくなってきた。やっと持論を持ち出してきたあたり答えを求めているのだろう。零士は黙って耳を傾けたがそれは仕方なく聞いてやろうと思ったからで和解の余地はない。
「それはもう人ではなくて化物って人は言うかもしれない。それでも俺は自殺したいって感情が沸かないんだ。仮に壊れた心と名付けよう。
壊れた身体で生きている人はたくさんいる。自殺志願者もたくさんいるしね。だけど俺は壊れた心のままでい続けたいし周囲も壊し続けたい。これは果たして罪かな」
「罪やな」
「即決だね。法律で見たら罪だけど。生きていたいと思うこと自体は正しいと思ってるんだけど。俺が間違ってる?
化物のまま生きていくのも正しいって信じてるんだけど。確かに喜怒哀楽が働かない心だけど、これって強みじゃないかな」
「人として生きることやめたんか? せやったら生きることに意味はあらへんで」
鼻息一つ。怒ってるでもなく、何かに途方にくれたようだったが、考えさせるつもりはないので言葉を畳みかける。
「心を持てへんことが強みや言うんわ間違いやで」
開き直ったかのようにライは流暢に話しだす。
「確かに芸術的センスは持ち合わせてないのは認めるよ。だけど破壊者としては合格でしょ」
冗談めかした調子の演技ぶった声。
「それで自己満足してんか知らんけど、ほな一つ聞いたるわ、何でライは幸せを気取ってんや?
薄ら笑いばっかしくさって。不幸なくせに、さも自分は関係ないって顔してんねんであんさん」
逆鱗を逆撫でしたのは明らかだった。無言のライはきっと青ざめている。ライは幸福を望んでいない。何故不幸な状態で居座り続けるのか。
零士にはだんだん沈黙が滑稽に思えてきた。ライを取り巻くのは身動ぎ一つしない静かな激昂だろう。いつだってライは指の先に震えが来てもおかしくないはずの怒りも指はきれいに揃えて耐える。ようやく聞こえたライの声が歌うように告げた。
「そんなに死に急ぎたいわけ。分かったよ。ちゃんと殺してあげる」
「うちがいる限り打開策はあらへん。せやからうちを殺そうとすんや。ガキみたいな理屈やな」
ライの半ば疲れたように息を吐き出すのがかすかに聞こえた。黙り込んだと思ったら、電話が切れた。
白々しくも親しげな声。話す前から、電話番号で誰からか分かったようだ。
「投身自殺の事件はあんさんなんやろ?」
電話越しにため息ともつかない息が漏れる。ライは単刀直入に聞かれることが嫌いだ。
「どの事件?」
とぼけているのではなく幾らか思案しているようだ。
「ほかにも何かやったんかいな」
「だからどの事件?」
苛々した口調のライ。できればこんなくだらない電話を早く切りたいのかもしれない。ということはあまりライの計画は上手く行ってないのかもしれない。
「川に投身したけど他殺やったあれや。誰を巻き込んでんねんな。うちが気食わんなら自分で会いに来いや」
「まだその時じゃないから」
「待てや。話したいことがあるから電話番号置いといたんやろ。この前はうちもリョウとかいう、あんさんの新しい友達にちょっかい出して悪かったけどな。今なら話せるんやろ」
「新しい友達ね。嫉妬してるの?」
「ふざけんなや。さっさと用件を言わんかい」
ライは残念だと言わんばかりにため息をついた。
「大声で怒鳴らないでよ。急ぐことでもないんだから。話す前にやっぱりもう一度認識したかったんだ。零士じゃないとしてもこれだけ精巧な人間なんだから、偽物じゃないって」
少し気の毒に思えたが、零士は首を振る。
「うちかて一個体やからな」
しばしの沈黙の間、鼻から夜の潮の匂いを大きく吸い込んだ。
「俺が知りたいのは――優しさとか思いやりとか人として持っているべきものを失くして、もっと言えば他人を蹴落としたり殺したりしても何も感じず、それでも生きていたいと思うのは罪になるのかってこと」
夜風が冷たくなってきた。やっと持論を持ち出してきたあたり答えを求めているのだろう。零士は黙って耳を傾けたがそれは仕方なく聞いてやろうと思ったからで和解の余地はない。
「それはもう人ではなくて化物って人は言うかもしれない。それでも俺は自殺したいって感情が沸かないんだ。仮に壊れた心と名付けよう。
壊れた身体で生きている人はたくさんいる。自殺志願者もたくさんいるしね。だけど俺は壊れた心のままでい続けたいし周囲も壊し続けたい。これは果たして罪かな」
「罪やな」
「即決だね。法律で見たら罪だけど。生きていたいと思うこと自体は正しいと思ってるんだけど。俺が間違ってる?
化物のまま生きていくのも正しいって信じてるんだけど。確かに喜怒哀楽が働かない心だけど、これって強みじゃないかな」
「人として生きることやめたんか? せやったら生きることに意味はあらへんで」
鼻息一つ。怒ってるでもなく、何かに途方にくれたようだったが、考えさせるつもりはないので言葉を畳みかける。
「心を持てへんことが強みや言うんわ間違いやで」
開き直ったかのようにライは流暢に話しだす。
「確かに芸術的センスは持ち合わせてないのは認めるよ。だけど破壊者としては合格でしょ」
冗談めかした調子の演技ぶった声。
「それで自己満足してんか知らんけど、ほな一つ聞いたるわ、何でライは幸せを気取ってんや?
薄ら笑いばっかしくさって。不幸なくせに、さも自分は関係ないって顔してんねんであんさん」
逆鱗を逆撫でしたのは明らかだった。無言のライはきっと青ざめている。ライは幸福を望んでいない。何故不幸な状態で居座り続けるのか。
零士にはだんだん沈黙が滑稽に思えてきた。ライを取り巻くのは身動ぎ一つしない静かな激昂だろう。いつだってライは指の先に震えが来てもおかしくないはずの怒りも指はきれいに揃えて耐える。ようやく聞こえたライの声が歌うように告げた。
「そんなに死に急ぎたいわけ。分かったよ。ちゃんと殺してあげる」
「うちがいる限り打開策はあらへん。せやからうちを殺そうとすんや。ガキみたいな理屈やな」
ライの半ば疲れたように息を吐き出すのがかすかに聞こえた。黙り込んだと思ったら、電話が切れた。