第70話 全部消してまうとかちゃう?

文字数 2,373文字

 カムというミカエリは伸縮をはじめた。脱皮だ。古い皮がむけて、細い眼がうごめく。三倍、いやもっとでかくなった。前足も伸び、後ろ脚二本で立つ。二股の尾はそのままだが、いでたちは恐竜だった。


 ただ、だらだらとよだれを垂らす歯茎から覗く歯は尖っておらず平らで、人間の歯茎を思わせてその不釣り合いさが気持ち悪い。


 噛まれたらひとたまりもないという恐怖よりも、こいつに噛まれたら力ですり潰すように噛まれるんじゃないかという、それはそれで痛いイメージが貼りついた。


 恐竜は、長い首でこちらを見下ろして笑っている。焦点がどこか合っていないような眼が、ずずっと近づいてくる。


「カム。悪七のことを悪く言うやつは許すな。喰い殺したって足りない。俺は俺の意思でお前を殺しにきたんだ」


「うちは誰も殺すつもりはあらへんわ。あんさんもな」

「俺達を殺さずに止める? どうやって」

「せやなあ。とりあえずミカエリは全部消してまうとかちゃう?」


「仮にそんなことできたとして、悪七はミカエリの憑く体質だから、意味ないな。なんにしても悪七の最後のゲームだ。邪魔させるか」


「そこまで分かってんなら止めるんは、うちやなくて、ライなんちゃうか? こんなけミカエリ使うたらライかて持たへんやろ」


 一瞬押し黙ったリョウは、振り払うように悪態をついて目を怒らせた。

「だからこれ以上悪七にミカエリを使わせたくない! 悪七が執拗にミカエリを使うのはお前が存在してるからだ」


 狩集リョウの落ちくぼんだような漆黒の瞳が、今はぎらついている。どこか、人を信用していない目は、時に一点に集中して力を増す。それが、零士には滑稽に思われて仕方がなかった。


 リョウが単なるライの腰巾着ではないことを認識したが、考え方が偏屈なところがあり、視野が狭いのはライと同じかもしれない。


「それは言いがかりやわ。うちかて、二年墓場で留守しててんから、それでもライは荒れてたんやからしゃーないわ」

「全く違うな。あのCDお前のなんだろ。今も悪七は持ってたぞ」


 確信があるとは言えない顔をしながら、それでも不敵に笑ってみせたリョウはいかにも余裕を気取っている。だが、語気は鋭いままで、悪の根源を断つ使者にでもなったつもりか、指を突きつけて叫ぶ。


「お前が悪七の姉貴を自殺に追いやったんだ。でも、お前が親友だったから、悪七は憎悪を向ける対象が分からねーんだよ」


「待ってーや。なんかおかしいで、ライの姉さんは自殺やったけど、うちは何もしてないで。なんか勘違いしてへんか? ライに何て教えられてんねや?」


「今更言いわけなんて聞くか。生き返ったお前も悪七の知ってる零士じゃない。お前はどうなんだ? 他人の身体で生きるってのは。しかも、妹の輪千は一度俺達の仲間に入ってゲーム中、黙って人が死んでくのを見てるんだぞ」


 真奈美のしたことは、正直許せることではない。全てを知りながら、黙ってゲームに参加した。いくら兄に会いたいと思っても、間違いだ。しかし、その真奈美を責めることも零士にはできない。正直、自分が正しく生きているとは思えなかったからだ。


 他人の人生を借りている心苦しさは、ずっと慣れないだろう、これから先も。それでも生き物は生きるしかない。不憫なのは妹の真奈美だ。ミカエリとして人でなくなった上、使役され、しかもその相手は真の愛情を覚えぬまま、記憶として知っているというだけで、傍にいる偽りの兄。


 零士には自分の歴史がない。その証拠につるつるの人形のような身体、古傷一つない身体だが、これから一ページを刻みたいと思う。


 最初から引かれたレール、最初から傍にいる真奈美、別にうちはかまへん。これからのことはこれから良くしていけばいい。真奈美に少しでも感情を取り戻させてやれたら――。


 ミカエリにこんなこと願ってもしゃーないわと零士は一人、苦笑いした。

 冷気がビルの谷間から吹きすさむ。軽く吐き出した息がさらさらと白くなびく。


「うちは、妹を守るわ。どんな妹でも。あんさんも、ライを守りたいんやったら、怒りばっか赤の他人にぶつけることが守ることになるんとちゃうって理解しーや」


「悪七と俺の目的は最初こそ違ってた。それは悪七が俺より先に進んでる存在だったからだ。結局同類なんだよ。悪七は今日、新たな一線を越える。


 悪七が何かミカエリを出し抜く方法を考えてたとしても、悪七の命がミカエリに奪われかねない。俺は悪七のリスクを減らす。そのために根元のお前を殺す」


 恐竜の尾が空を切る。真奈美は俊敏な方ではない。音圧で跳ね返すが、今度は恐竜の頭突きに対応できず、もろに頭から恐竜と一緒に凍ったアスファルトにつっこんだ。


 真奈美のだらしなく投げたされた足、元々血の通っていない身体が更に白く見える。恐竜が瓦礫からゆっくり頭を振り起こす。真奈美は蒼白なまま目を見開き半分に割れた顔で不思議そうに恐竜を返り見る。


「はよ、よけい」

 零士は真奈美のばらばらに飛び散った顔のパーツをかき集める。真奈美は自分のことではないような顔をして動かない。全部を集める暇はない。また、尾が降ってきた。二人で転がった。


 真奈美の顔のパーツは放り投げた。押し潰されるくらいならまた、かき集めた方がましだ。


 真奈美を起き上がらせて、その場から離れる。だが、向こうは恐竜が本体というわけではない、影だ。足下に素早く伸びてきた。いきなり剣山みたいに針がつき上がる。


 スピードではかなわない。真奈美は機械音をぎいぎい叫ぶ。剣山の一本一本を折るが、きりがない。

「真奈美そいつを止めとけよ」


 真奈美には不利だが、こうするしかない。真奈美の肩や背中から陶器の破片のように身体が飛び散った。何本か剣山が刺さっている。しかも嫌らしくねじ込んでいる。真奈美は眉一つ動かさないが、かえって痛々しく見える。
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