第29話 輪千真奈美
文字数 2,167文字
悲鳴が近づいて来た。血相変えて顔を真っ赤にした執行がナイフを振りかざして少女を追って、こっちに走って来る。
「携帯よこせって言ってんだろうが。早くここから出たいんだよ」
逃げて来た少女は息もかすれ背中をかすめたナイフに動転し、見事に転んだ。執行が少女の髪をわしづかみにする。朝月レンが駆け出した。馬乗りになろうとする執行に身体で体当たりする。
二人とも共倒れになるが、執行は更に怒りを爆発させ、朝月の肩にナイフを押し込んだ。剣山が刺さった傷口を狙ったのだ。
「あんさん、最低やな」
ナイフに腰が引けたヤマが注意を引こうと靴を投げるが、執行には及ばない。逃げる少女。こっちに来た。私には目もくれている暇がない。間をすり抜けていった。
「危ないからここにおりや」
ヤマが靴を履きながら二人を追おうとする。突然、執行との間を鮮血が遮った。床から鋭い氷の針が出たのだ。執行のかかとをかすめ、ヤマの腕を深くえぐった。悲鳴を上げたヤマだが、数秒後には、息を切らしながら感動の表情さえ見せた。
「さっきまで何もなかった場所やのに。不可能や。こんな通路に氷の針やなんて仕掛けるのは不可能やで」自分の滴る血には気にも留めず興奮気味にヤマは誰に語るでもなくまくし立てた。「動きに反応する仕掛けやったら最初通った時点で反応しとるはずや」
いや、不可能ではないかもしれない。冷気を感じた。たった一本の氷でこれほど通路が冷えるはずがない。きっと近くにミカエリがいる。このゲームはミカエリが仕掛けている。
さっきの女性の姿のミカエリを探して目をこらした。どこにも見当たらない。朝月レンと目があった。不思議そうにこちらを見ている。真剣な顔をして何を探してるのと尋ねられそうだ。
気まずくなって、何か言いかけたとき、さっきの少女が逃げた先にミカエリの姿が見えた。白い狐のような人の姿をしている別のミカエリだ。ここはミカエリの館なんだ。ああ、まずい、少女の後を追うようにしなやかに滑って歩いていく。
「気つけや。こいつ、まだピンピンしてんで」
取り押さえようとしたヤマから逃れるように執行は足を引きずりながら脇道へそれた。曲がり角を利用してあっという間に視界から消えた。
自分で応急処置をはじめた朝月。川口が手伝うと朝月は苦笑いして自嘲気味に言う。
「本日二回目の親切だね。俺なんか誰かのために何かしたことなんてないのに」
照れるわけでもなく、ただ単に感想といった感じだった。川口は何も言わないでどこか物憂げに手だけ動かす。その沈黙を打ち消すように怒りをぶちまけるのはヤマだ。
「ここらであのアホが暴れる思うたわ。デスゲームにはああいう引っかき回すキャラがおるもんやねんよ、ストーリー上。そしたら思うんわ、うちの考えたゲームをパクった犯人はんは、ほんまにうちらを選んでるんやろかって」
「え、何を選ぶの?」
朝月は一人で歩き出した。その後をヤマが早足で歩きながら、ときどきぐるっと回って戻ってきて私に説明する。
「うちのシナリオやねんけど、ゲーム自体はSFやねん。全宇宙に対する戦争にそなえて、日本ではもう一度、帝国主義にしようという政治運動が起きんねんけど、宇宙の惑星を植民地にするってことやねん。ちょっと古いかな。
でもな、それに乗り出すまでには国内から変えていかなあかんってことで、選民思想を国民に植えつけるために全国民にデスゲームをやらすんよ。あー、これも古いネタかもしれんな。今思えば」
「いいから続けて」
「つまりやで、生き残りゲームで生き残ったっていうプライドがうちらの意識を変える。選ばれたってことになるんよ。選ばれたイコール、植民地を巡る戦争に駆り出される兵隊になるんがうちのゲームやけど。
犯人はん、うちらを選んでもメリットがないはずなんよ。だって生き残ったところで俺らは何になる? っちゅー話やんか。そりゃハッピーエンドやけど。犯人からしたらどうだってええやん。
こりゃ、朝月はんの話、一理あるかもしれへんな。うちらのこと生き残ろうが死のうがどっちゃでもええ感じやん」
ひいらにはシナリオはさっぱり分からないが、このゲームはどこか混沌としている。更に、不思議なのはミカエリを使って罠を仕掛けるにしても、私もミカエリを持っていて、ミカエリを使うことは禁止されていない。それってどうなんだろう。
フェアにやるとかそういう問題でもなさそうだし。ピアノ線で執行を締めつけていたのだって、ミカエリがいなかったらそれほど衝撃的な図にはならなかったのではないだろうか。
ミカエリがいなかったら、機械でピアノ線を巻き取るとかして執行をやはり締め上げるのか。どちらにしても残忍だが、ミカエリを見せつけてきているような態度、ほかの人には見えないという事実すら、仕組まれているようにも思える。
突き当たりを左に曲がると袋小路になっていて、少女が一人怯えていた。黄色い床には携帯が投げ捨てられていた。拾って返そうとしたが、少女は首を振る。
「壊れてるって言っても聞いてくれなくて」
「いつから壊れてるの?」
「ここに来てから」
少女は輪千真奈美 というらしい。大人しい印象で、メガネのせいで一回りも大人びて見える。今にも泣き出しそうな寂しい表情をして、ときどき、ほっと息を吐き出すように静かに話す。
「携帯よこせって言ってんだろうが。早くここから出たいんだよ」
逃げて来た少女は息もかすれ背中をかすめたナイフに動転し、見事に転んだ。執行が少女の髪をわしづかみにする。朝月レンが駆け出した。馬乗りになろうとする執行に身体で体当たりする。
二人とも共倒れになるが、執行は更に怒りを爆発させ、朝月の肩にナイフを押し込んだ。剣山が刺さった傷口を狙ったのだ。
「あんさん、最低やな」
ナイフに腰が引けたヤマが注意を引こうと靴を投げるが、執行には及ばない。逃げる少女。こっちに来た。私には目もくれている暇がない。間をすり抜けていった。
「危ないからここにおりや」
ヤマが靴を履きながら二人を追おうとする。突然、執行との間を鮮血が遮った。床から鋭い氷の針が出たのだ。執行のかかとをかすめ、ヤマの腕を深くえぐった。悲鳴を上げたヤマだが、数秒後には、息を切らしながら感動の表情さえ見せた。
「さっきまで何もなかった場所やのに。不可能や。こんな通路に氷の針やなんて仕掛けるのは不可能やで」自分の滴る血には気にも留めず興奮気味にヤマは誰に語るでもなくまくし立てた。「動きに反応する仕掛けやったら最初通った時点で反応しとるはずや」
いや、不可能ではないかもしれない。冷気を感じた。たった一本の氷でこれほど通路が冷えるはずがない。きっと近くにミカエリがいる。このゲームはミカエリが仕掛けている。
さっきの女性の姿のミカエリを探して目をこらした。どこにも見当たらない。朝月レンと目があった。不思議そうにこちらを見ている。真剣な顔をして何を探してるのと尋ねられそうだ。
気まずくなって、何か言いかけたとき、さっきの少女が逃げた先にミカエリの姿が見えた。白い狐のような人の姿をしている別のミカエリだ。ここはミカエリの館なんだ。ああ、まずい、少女の後を追うようにしなやかに滑って歩いていく。
「気つけや。こいつ、まだピンピンしてんで」
取り押さえようとしたヤマから逃れるように執行は足を引きずりながら脇道へそれた。曲がり角を利用してあっという間に視界から消えた。
自分で応急処置をはじめた朝月。川口が手伝うと朝月は苦笑いして自嘲気味に言う。
「本日二回目の親切だね。俺なんか誰かのために何かしたことなんてないのに」
照れるわけでもなく、ただ単に感想といった感じだった。川口は何も言わないでどこか物憂げに手だけ動かす。その沈黙を打ち消すように怒りをぶちまけるのはヤマだ。
「ここらであのアホが暴れる思うたわ。デスゲームにはああいう引っかき回すキャラがおるもんやねんよ、ストーリー上。そしたら思うんわ、うちの考えたゲームをパクった犯人はんは、ほんまにうちらを選んでるんやろかって」
「え、何を選ぶの?」
朝月は一人で歩き出した。その後をヤマが早足で歩きながら、ときどきぐるっと回って戻ってきて私に説明する。
「うちのシナリオやねんけど、ゲーム自体はSFやねん。全宇宙に対する戦争にそなえて、日本ではもう一度、帝国主義にしようという政治運動が起きんねんけど、宇宙の惑星を植民地にするってことやねん。ちょっと古いかな。
でもな、それに乗り出すまでには国内から変えていかなあかんってことで、選民思想を国民に植えつけるために全国民にデスゲームをやらすんよ。あー、これも古いネタかもしれんな。今思えば」
「いいから続けて」
「つまりやで、生き残りゲームで生き残ったっていうプライドがうちらの意識を変える。選ばれたってことになるんよ。選ばれたイコール、植民地を巡る戦争に駆り出される兵隊になるんがうちのゲームやけど。
犯人はん、うちらを選んでもメリットがないはずなんよ。だって生き残ったところで俺らは何になる? っちゅー話やんか。そりゃハッピーエンドやけど。犯人からしたらどうだってええやん。
こりゃ、朝月はんの話、一理あるかもしれへんな。うちらのこと生き残ろうが死のうがどっちゃでもええ感じやん」
ひいらにはシナリオはさっぱり分からないが、このゲームはどこか混沌としている。更に、不思議なのはミカエリを使って罠を仕掛けるにしても、私もミカエリを持っていて、ミカエリを使うことは禁止されていない。それってどうなんだろう。
フェアにやるとかそういう問題でもなさそうだし。ピアノ線で執行を締めつけていたのだって、ミカエリがいなかったらそれほど衝撃的な図にはならなかったのではないだろうか。
ミカエリがいなかったら、機械でピアノ線を巻き取るとかして執行をやはり締め上げるのか。どちらにしても残忍だが、ミカエリを見せつけてきているような態度、ほかの人には見えないという事実すら、仕組まれているようにも思える。
突き当たりを左に曲がると袋小路になっていて、少女が一人怯えていた。黄色い床には携帯が投げ捨てられていた。拾って返そうとしたが、少女は首を振る。
「壊れてるって言っても聞いてくれなくて」
「いつから壊れてるの?」
「ここに来てから」
少女は