第62話 自殺

文字数 1,642文字

 いじめられていた人間がいじめていた人間を刺殺するニュースや鋭利な刃物で片思いの相手を刺す事件は、今はもうありふれてしまったのか。当人にとっては非日常なことで、人生の転機、取り返しのつかないことを覚悟の上での一大行事なわけだが、ニュースは淡々と事実だけを伝えていく。


 そこに感情移入をしようものなら毎日が悲痛でならなくなるからみんな聞き流す。今日もそういったニュースが淡々と流れて、耳にもよく残らなかった。刃物が氷だったということ以外。


 スマホでわざわざニュースをチェックするようになったのは新たな習慣だった。


 零士の一カ月はあっという間に過ぎた。勉強ばかりで一気に老けるわと友達に冗談を言い合っていたが、絶対嘘だろうとたしなめられた。実際、零士は老けるどころか生き生きしていた。


 左右均等な眉は、わざと個性を出すために傷をつけて、端のところが途切れている。日焼けサロンに行って、ひ弱な感じは払拭し関西人らしく大声で話す。


「だって、うちはな。遅れを取り戻したいだけやあらへんねん。おもろうてしゃーないんや」

 友達はガリ勉だと小馬鹿にするが、それは違うと熱弁を振るった。


「ええか、うちはな。まだまだ遊び足りんわけや。だって目に入るもん全部新しいって思うんやわ。赤ちゃんみたいなもんやわ」


「じゃあ早く彼女作らないとな」

 にやけて言ったそいつの頭を零士は筆箱でばしっと叩いた。ボケとツッコミ、どっちでもどんとこい。


 通信学校は年齢もばらばらでこれほど面白いところはない。学校の帰り道、大勢でぎゃーぎゃー騒いで酔っ払いに間違われたこともある。今日もそんな調子で三、四人でよたよた、わいわい、押しあったりへしあったりして帰っていた。


 それでも無言のミカエリ、真奈美は顔をパズルのように回しながらずっと背後についてくる。ときどき、友達と折り重なって真奈美と零士を押し潰すのだが、真奈美は霊と同じですり抜けてしまう。友達は寒気を感じるとかときどき言うが、それだけだ。


 今日は真奈美が顔のない顔でずっと後ろを振り向いている。そろそろライが動き出したのかもしれない。


「せや、すっかり忘れてたわ。今日ばーちゃんの誕生日やったわ。プレゼント忘れてたわ。走って帰るわ」


 逃げるように走る零士を友達は馬鹿だあいつとか、思い思いに笑うが、零士も自分の嘘がおかしくて忍び笑いが、途中からゲラゲラ声に変わった。


 しかし笑っている場合ではない。明らかに誰かがつけてきている。てっきりライかと思ったのは、ひんやりとした冷気に、突然、刃物のようなものが飛んできたからだ。ライが氷のミカエリを使うのは、大昔から知っている。


 電柱の陰に隠れてやり過ごした。氷だ。でも、ライならもっと確実に狙ってきたはずだ。一体誰だ。

「誰やねん。出てきたらどうなんや」


 声を荒げると小さな人影はこそこそと逃げ出した。その逃げ足の速さに一瞬出遅れた。向こうも随分怯えているような足の速さで惜しいことに見失った。


「ま、ええわ。真奈美頼むで」

 真奈美は顔面のパズルを完成させる。静かに光を放つ真奈美の顔に、逃げた少年の顔が映し出される。面識はない。強張った様相で、まだ逃げるのに必死なようだ。わき目もふらない。ふつう追ってを確認するだろう。少年は何かをきつく握りしめている。


 携帯電話だ。画面に何が映っているかまで突き止めるには、真奈美に血をあげなくては見せてもらえないだろう。


 そこまで落ちぶれていないつもりだから零士は真奈美にできることまでしか要求しない。真奈美は所詮妹といってもミカエリなのだから。


 よく見ると少年は携帯を手放そうと握っている手を引き剥がそうとしていた。だが、吸いつくように携帯が手から離れない。少年は人とぶつかりながら橋の方に走って行った。そして、橋の上で何やら奇妙な声で叫び出した。

「できない! できないよ!」


 今度は携帯に謝りだした。声は怯え、とうとう橋の手すりに手をかけた。そして川に飛び込んだ。

「まずいで、自殺かいな」
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