第52話 俺モ殺サレルカモ

文字数 3,225文字

 悪七のやりきれない日々は本棚の埃となって実生活にも及びだした。確かに続く穏やかな日が、学校生活のサイクルが牢獄で、周りはそれに何も気づかない。


 なぜならテストで毎回最高得点を叩き出し、先生からはいつも褒めちぎられ、体育もそこそこできるので女子の追っかけもいる。かといって他の男子が嫉妬することもなくほどほどに楽しくつきあっていた。


 もちろん全てが演技で、嘘偽りだらけだとしてもそれが自然な姿でもあった。そうすることが悪七という人間であり、その身体を塗り固める壁であり、偽の幸福を生きていることで生活がある。本当の自分とは何か?


 もう見当がつかない。ある意味で自分が自分に永遠に仕える奴隷。

 悪七は自己が二重人格かもしれないと疑い出したという。


 というのは、一つの考えに対して先に答えがあって、その後で全く正反対の答えが浮かぶことがある。周囲はこの悪七の突然の態度の変化に戸惑いながらも、悪七であるから許した。


 悪七は俺とも渡ったことのある踏み切りの話をした。悪七がけしかけてわざと殴られていた場所である。


 零士はこの踏み切りを塾に通うために通る。悪七は普段は通らないその踏み切りが鳴り出したので走って渡った。あの日は無理にでも渡ってみたくなったという。


 ふと線路の枕木に目を落とし、敷き詰められた茶褐色に変色している石を見て、渡りきった先にある植え込みまでたどり着くと電車が通る間、そこに生い茂っているローズマリーを眺めた。


 その日は宿題が多く早々と塾に行き、一度として零士を思い出したり踏み切りを思い起こすこともなかったという。しかし事件は起きた。悪七が起こした事件でありながら、それを知ったのは翌朝だった。


 ニュースで報じられる映像はどれも悲惨だった。すぐに脱線事故がミカエリの仕業であると気づくのは簡単だった。なぜならテレビをつけてわざわざ悪七に見せたのがミカエリだったからだ。


 悪七にとって命令することなく、ミカエリが自発的に行動に出たのはこれがはじめてだった。


 ミカエリは悪七が無意識に零士をうっとうしく思っていることを知っていた。悪七の抱える問題が、踏み切りという場が、一瞬悪七を取り込んだことを知っていた。そこから簡単に石を線路に置いてみせた。これがあなたのささやかな願いでしょ?


 と言わんばかりに。悪七の知らないところで悪七の望みが叶う。電車は思惑以上の大惨事を引き起こして零士を殺し、輪千を含む百人もの犠牲者を生んだ。実際はシステムトラブルではなかったのだ。


「俺は脱線事故で死んだ人間を生き返らせたい。そのための犠牲がゲーム。死者と生者を入れ替えるんだよ」


 生き返らせようとしていたのは零士ばかりではなかった。


「入れ替えるっていったってどっちにしろ犠牲者は増えるんだろ」

 俺には不毛なことに思える。いくらがんばっても破壊ばかりで実りはない。


「まあね。でもさ、零士は無意識に殺したから。無意識に殺したってことを謝りたいんだ。俺の行動に無意識なんてあったらいけないんだよ。だからまず、零士から生き返らせないと」


 悪七のまた困った理屈がはじまった。ただ、そこまで結論を出しておきながらなおも、追い詰められているのは見ていると忍びない。俺が尋ねたかった真相をやっと話してくれたというのに、俺は悪七をより深淵へ追いやった。


「零士はお前を今でも否定するかもしれないぞ。それでもいいのか」

「そうだね。だから対話してみたいんだ。俺は間違いじゃないって」

「リョウは俺のこと間違いだと思ってるんでしょ」


「それは」

 悪七が間違いかどうかはもうどうでもいい。ただ俺達が間違わなければそれでいい。


「顔に書いてあるよ。確かに俺はどこまでもエゴイストだよ。脱線事故はなかったことにしたいっていう願望しかない」

「本当は零士だろ」


「そうだね。だからリセットする。ただリセットとはいかない。多くの生贄がいる。そのためのゲーム。脱線事故を帳消しにしても、猟奇的殺人ゲームっていう醜悪な事件が残る。何かに置き換えるしかないんだ。それがミカエリの法則」


「ただ、俺達がここまで大勢を殺して、零士たった一人も、まだ生き返らないってことは、生き返る可能性ってのは、限りなく低いんだろ」


「うん。俺もやったことがなかったから。でも、できるって確信してるし、俺は姉とじゃなく世界と滅びたいんだ。俺だけが先に滅んで、ずっと存在し続ける世界を殺してやりたい。零士のいない世界は不均衡の賜物だから俺はそれを正したい。

 俺は崩壊した世界に生きているけど現実の世界はそのままただ存在しているから崩壊した世界にまで引きずり落とす。世界崩壊っていうのは世界の端々が音を立てながら、めくりあがって乾いた炎に焼かれ剥がれ落ちていく。

 それが中心に向かって迫ってくる光景。まあこれは簡単なイメージだからもっと醜悪な光景でもいいんだけど。だから無差別ゲームが必要なんだよ」


 今日やっと悪七のことを本当に理解できた気がした。どこまでも歴史の教科書の朗読のような口調だったが。こいつはもっとこれからすごいことをやらかすだろう。


 俺はついていけるのか分からないが、嫌いになったわけじゃなく、寧ろどうにかしたいという衝動に駆られた。悪七はもうこの話はやめにしようと言った。俺の意見なんていつも聞いてもらえないけれど、今日ばかりは言っておきたい。


「俺達はそろそろ卒業するべきじゃないか」

「何から」

 言葉にするのも少し躊躇いがある。俺自身認めたくないが、俺達がずぶずぶに温泉みたいに浸かっているってことを伝えるべきか悩んだ。馬鹿らしいったらない。


 俺達はどこまで落ちぶれたら気が済むんだ。高校に上がったのに、実際は衰退したみたいな顔して、誰かを憎んで、何かを失って。ここまできて俺が言わないとこいつは分からないのか? そんなことないだろう。


「絶望」

 笑みは浮かばなかった。曇った顔でもしてくれたらいいのに、呆れ顔で、なんだそんなことかと、軽く息を吐き出す。


「俺は不幸じゃないよ。善見ひいらと同じことを言うつもりなら怒るよ」


 こっ恥ずかしくなって赤面しながら俺は叫んだ。「俺はまじめに言ってるんだ」自分のことを他人ごとにして逃げてるのはこいつの方なんだ。なのに、俺自身を恥じた。


「このままでいても俺達は共倒れだ。俺はお前を救いたい」

「要らないよ」

 あっさり。平穏なんていらないという言葉を思い出した。


「お前を救いたいんじゃないな。俺はお前を救えば俺も救えると思う。お前は俺の延長線上にいるから」


 俺と悪七を同一視していることに悪七はきっと怒ると思った。何だっていい、こいつにも俺が感じている怒りってのを分かってもらいたい。


「考えるだけ無駄だね」

「逃げんのかよ」


 ここまできて悪七の語気が強まった。


「じゃあ聞くけどリョウは取り戻せないものがどうすれば戻ってくると思う。リョウは狩りで落とし前をつけている。同じだよ。俺は多数決で決まった虚しい世界を殺したい。


 何でもいいから殺したい。目に入るもの全てが無機質な鉄材と同じで人間なんて物質でしかないんだ。唯一、色彩のあった時間は姉がいたときだけ。


 零士が離れていったとき俺は姉をも再び失った。零士が俺になくしたものを再認識させた。零士はもう俺の敵でしかない」


 畳み掛けた言葉が俺を貫いた。ここまで言わせてしまって、俺はどうしたらいいか分からなくなった。嬉しくもあり、悲しくもあった。悪七の濁った声が澄んだとき、俺を責める炎があった。氷の炎。受け止めきれないほどの感情のこもった瞳。


 かち割れたガラス玉みたいに歪んで、俺を通して全世界を呪い倒している。やっと分かった。


 憎悪、虚無、嫉妬、破壊、絶望、そんな羅列の渦。ミカエリの好む負の世界を統べる悪七だからこそ、ミカエリが集まるんだ。


 俺は零士と同じことをしてしまったんじゃないだろうか。心の隅で小さく呟く。「俺モ殺サレルカモ」


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