第45話 もう一人の仲間

文字数 2,617文字

 テレビを見終わったようなお茶の間の空気の気の抜けた声で微笑みを返されたとき、もう一人の仲間が帰ってきた。輪千(わち)真奈美だ。

「お疲れ様。こっちはリョウ」


 初対面の俺は軽く挨拶した。輪千にはそんな紹介は耳に入っていない。どこか落ち着かない様子で、目には涙を浮かべている。俺達は直感で輪千を善見ひいらと同類と見なした。輪千にもゲームで変化があったのだ。上ずった第一声がもう決別を表していた。


「あなたはやっぱりただの人殺しだった。私のお兄ちゃんを殺したときもそうだったの?」


 輪千の兄は脱線事故で死んだんじゃなかったのか? 俺のことを何も知らないくせに蔑んだような目線が向けられた。まるであなたは悪七にすがっているろくでもない腰巾着だと言わんばかりだ。カムが俺の気持ちを読み取って肩から前に這い下りてきた。


「待てよ、カム。まだだめだ」

 もう少し堪えないと。理由も分からず精神を抜いてしまっては、悪七が変な関心を持つ。


「もっと過激なセリフを期待したよ。いいよ。言いたいことは言って。自分の言葉で」

 悪七はハミングのような声で問いかける。


「あなたは平和なんていらないとか、醜い連中はみんな死ねばいいとか色々言ってたけど、一番醜いのはあなたよ。この世に死んでいい人間はいない」


「はっきり言って君にもう価値はないよ。一緒にお兄さんを救うんじゃなかったの?」


 輪千の赤らんだ顔は、もう常軌を逸していた。肩で息をしていて立っているのも辛そうだ。


「元はと言えばあなたのせいで兄は死んだのよ! だからあなたが償いの気持ちで、兄を生き返らせるためにこんな生贄を必要としているのなら……。


 私は絶望して言ってみただけ。あなただって御託並べてるけど、言ってみてるだけでしょ。あなたは自分のゲームに結論を出せてない。これ以上は無意味な虐殺といっしょよ」


「おい悪七。お前が脱線事故を引き起こして殺したってのか?」


 あの脱線事故の原因は確かシステム系統のトラブルが原因だった気がするが、いや、待てよ。あのとき置き石の目撃情報もあってその石を置いた少年っていうのも話題だったが、直接の原因とは考えられなくて、賠償は全て鉄道会社が行ったとか、そういうニュースだった気がするが。


 悪七は分かりきったことを質問するなとでも言うように冷ややかに輪千を見つめている。

「脱線事故は偶発的に起こったよ。ミカエリの気まぐれでね」


「あなたのせいって言ったじゃない」


 俺は固唾を飲んで悪七を見つめた。俺の視線を捕らえて、不適に笑った。答えはイエスだ。だが、俺は半ば信じられなかった。悪七がミカエリを制御できない事態が起こったことに対してだ。


「それで降りるの? 一つ言っとくけど警察には信用されないよ。俺達がこれだけの人数をどうやって誘拐したのかとか、証明できない。それに不思議なできごとを君も見てるけどその説明は化学でもつかない」


「そ、それは。でも私は感じてるわ。何か傍にいるって」

 俺は思わずにやけてしまった。輪千はミカエリの気配は感じても見えていないのだ。ずっと見えていない演技かと思ってた。これならこいつの始末は早く片づきそうだ。


「リョウはダメだよ。今日はこれからまだ一仕事ある。片づけだね」


 手は出すなってことか。悪七が裁く必要があるのなら喜んで譲ろう。ここで確実に人が死ぬことが分かってアドレナリンが全身を巡った。輪千は俺をまた足の先まで見下ろしたように見えた。そんな目で見るな。


「本当に残念だよ、輪千。ただ殺すのもつまらないね。君には最期まで見えないのも残念で仕方ないよ」

「一体、何がいるの」

「背中に憂鬱とか憎悪を棲まわせてるだけだよ」


 突然現れた悪七の狐のミカエリがそっと輪千の耳元で息を吹きかけた。悪寒がするのだろうか。それとも悪夢でも見ているのだろうか。輪千は身震いして辺りを見回した。だが、何もいない。そして、何か聞いたのか。驚いて声を張り上げる。

「何で知ってるの」


「ほかにも色々分かるよ。今調べてあげようか。そうか。君の生まれは千葉県なんだね。それに、ふられてる。あ、もっと興味深いのは、君は兄想いだけど、ときどきわずらわしく思ってた。だから事故の日も喧嘩してたんでしょ」


 輪千は戦きながらも部屋を飛び出し逃げ出した。そんな奴が俺をさっきまで見下していたと思うと我慢ならない。


「最期に教えてあげるよ。俺は君の兄、零士を生き返らせるつもりだけど。本当は生き返らして会話がしたいんだ。生前に決着がつかなかったからさ」


 もう耳をかさないつもりで輪千は走り続ける。俺は耳を疑った。悪七が標零士のことを親しげに呼んだ。直感で分かったことだが、悪七の欠けたパズルのピースは零士だ。


「だから、生き返らしても和解できるか分からない。そのときは、もう一度殺すから。君があの世で先に待っててあげて」


 狐のミカエリが輪千の足をひっかけた。前に激しく転倒する輪千。ビデオカメラが前方に滑って飛び出た。隠し撮りしていた。もしかしたらゲームに参加していたときから隠し持っていたのかもしれない。


 これを持ち帰ることを最優先したのか。俺も手をかそうかと思ったが、追いついた悪七が輪千の太ももに思い切りナイフを降ろす。


 つんざく叫び。悪七が輪千の喉笛にナイフをゆっくり運ぶ。が、輪千はどさくさに紛れて拳を突き上げる。悪七の頬を打つ乾いた音。思わず俺は身を乗り出した。


 大したことはない力だが悪七が女に殴られたという滑稽な現象。怒ったか? 気になって気が気じゃない。後ろ姿しか見えない。動きの止まっていた悪七を振り払い。足を引きずりもがいて逃げる輪千。


 悪七の無情な刃が今度は輪千のかかとをかすめる。それでも二歩前進する。今度はミカエリが輪千の行く手に先回りする。鋭い小指が輪千の額から左目、頬まで、ざっくり切り裂いた。


 悲鳴とともに柵にもたれかかる。悪七はミカエリに簡単に殺させるようなまねはしない。これからが本番だと言わんばかりに歩みを緩めて近づく。だが、そこで予想もしないできごとが起こった。


 悪七のミカエリが輪千の足にからみつくより先に、輪千の寄りかかっていた古びた柵が崩れた。輪千はそのまま一階まで落ちていった。


 悪七の顔が青ざめていた。輪千の情報を引き出しただけでなく、少々遊びが過ぎた。ミカエリが関わっているのだからとどめは悪七がナイフで刺さないといけない。だが、輪千は事故で絶命してしまった。
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