第80話 永遠なんてない
文字数 2,093文字
降りてくる寒気で目が覚めると、呼応したように夕焼けの残り火を吸い、降りてくる群青の空が見えた。仰向けに倒れていたのと、姿勢が悪かったのか、ふしぶしが痛んだ。
そうだ、外でぶっ倒れているということは、さっきまで零士とやりあっていたんだ。自分の血が黒く固まって、動くと服がぱりぱりと音を立てた。ぼやけた頭に鈍痛がずっと響いている。
止血もしなくて、よく生きていたものだ。だが、起き上がって歩くとなったら、凍った地面に足を取られて用意ではない。待てよ。アスファルトを覆う氷が溶けていないということは、悪七はまだ、無事なのではないだろうか? 夜は静かなもので、警察が着ていてもおかしくないというのに。
人々の氷の彫像はそのままだ。外灯も消えている。ビル群も非常灯を残してほかは、消えている。町は凍ったまま、世界は終わりを告げたか。だとしたら、俺たちはやってのけたのだ。
吐く息は白く、冬が、俺達の季節が続いている。俺達二人だけになったか? 音もしない。車のエンジン音もしないと、都会は山や、森のように静まるのか。悪七に詳細を確かめるまでは、安心ならなかった。流れてきた雲は、昼とは打って変わって、黒ずんで重く空を低くして広がっている。これでは、流星群も見えない。
「カム!」
カムの気配がない。完全にいなくなっている。死んだか? そんな馬鹿な! 俺の願望が消えるわけがない。
俺は、まだ隠し持っていた予備のナイフで指を切って流れた血で、あてもなく足元を濡らしてカムを釣ろうとしたが、もう役に立たない。
いつだって、背中や腕にまとわりつく、あの爬虫類が這う感覚、あれがないといけない。俺はなりふり構わず叫んだ。カムはいない。狩りもなしだ。復讐も、殺人もなしだ。俺は悪七にこのままでは見放される。いや悪七も救えない。
くそ、この世界が、まだ完全に終わっていないからだ。なんでもいい、カムでもなんでもいい。憎しみはここにあるぞ!
「何でも憑け! 憎悪ならここにある」
今更気づいたが、俺の血はまだ、滴っている部分もあるようだ。だが、それがどこから出血しているのかは、もう確かめるのも面倒だった。タワーの電灯は点いている。
いや、そこが悪七の城というわけだから、当然だ。息を整えて、改めて雲に突き刺さるタワーを見上げる。足取りは、口元の笑みについて来ないまま、滑ったり、ぐずったりしている。
ようやくタワーの入り口に着いた。ここまで誰にも会わなかった。中は生温かい。エレベーターで展望階行のエレベーターから、冷機が降りてくる。上層部は冷え込んでいるようだ。
俺が零士を止められなかったから、悪七が直接手を下したか? 何にしろ、大きくやりあったに違いない。悪七もまだ命を持っているかどうか。
後ろから、水の跳ねる音がした。気のせいか。いや、あながち気のせいじゃないかもしれない。カムの黒い水たまりがついてきている。まちがいなくカムだ。零士にやられるわけがない。いつも与えているのは、血じゃない。憎しみだからだ。
カムは返事も何もせず、ずっと水たまりとなってついてくる。言葉ももう必要ない。姿を失った今、分かりあえる。
エレベーターがいくら高速でも、耳が気圧の変化でおかしくなっても、焦った脈の音が早鐘を打っている。展望階に着くまでさすがに貧血で座り込んで待った。エレベーターが開くと白々しい蛍光灯に目を傷めた。俺は夜の静けさが好きだっていうのに。悪七もきっとそうだろう。
遅かった。悪七は氷漬けになっていた。展望台から外を見渡す窓の一歩手前で、氷の柱になっていた。あれだけの厄災を放ち、命が無事であるはずがなかった。
俺は茫然と静かな寝息でも聞こえてきそうな悪七を見上げた。一つの塔のように高い位置に留まるあたり、よほど人を見下ろすのが好きと見えて、なんだか、悪七らしい最期で少し笑えた。
だが、見下ろすなら窓を向いていないといけないのに、悪七はエレベーター、つまり、俺が上がってくる方を向いたまま死んでいた。不思議と涙は乾ききって流れ落ちもしなかったが、俺は激しく内心、抵抗していた。
脳裏に走り書きされるのは「ヒトリニナッタ」という単語で、俺一人でこの後始末をどうつければいいのか、途方にくれるよりも、悪七のいないままで終焉はやってこない気がした。俺は終焉にも取り残されたんだ。せめて零士に殺されていればよかったんだ。俺なんて。
本当に零士が憎らしい。悪七の最高のフィナーレに、俺だけが無様に生き残ってしまうなんて、何て恥さらしで、なんて、まぬけなんだ。俺の指針は折れたのか。
いや、なんとかして悪七が本当に本当に旅立つ前に救急車に代わる何かで、呼び戻せないのだろうか。奥歯の先で、生唾が苦い味を垂らして、喉につっかかりながら落ちていく。鼻から氷の冷気が、かさかさと肺に入り込む。
狐のエスが現れた。悪七の氷に近づき、割ろうとしている!
「やめろ!」
狐を止めたのは、カムだった。ただし狐もろとも、悪七にもカムの長い槍状の針は貫通していた。ああ、これでもう本当におしまいだ。やっぱり悪七に永遠なんてない。
そうだ、外でぶっ倒れているということは、さっきまで零士とやりあっていたんだ。自分の血が黒く固まって、動くと服がぱりぱりと音を立てた。ぼやけた頭に鈍痛がずっと響いている。
止血もしなくて、よく生きていたものだ。だが、起き上がって歩くとなったら、凍った地面に足を取られて用意ではない。待てよ。アスファルトを覆う氷が溶けていないということは、悪七はまだ、無事なのではないだろうか? 夜は静かなもので、警察が着ていてもおかしくないというのに。
人々の氷の彫像はそのままだ。外灯も消えている。ビル群も非常灯を残してほかは、消えている。町は凍ったまま、世界は終わりを告げたか。だとしたら、俺たちはやってのけたのだ。
吐く息は白く、冬が、俺達の季節が続いている。俺達二人だけになったか? 音もしない。車のエンジン音もしないと、都会は山や、森のように静まるのか。悪七に詳細を確かめるまでは、安心ならなかった。流れてきた雲は、昼とは打って変わって、黒ずんで重く空を低くして広がっている。これでは、流星群も見えない。
「カム!」
カムの気配がない。完全にいなくなっている。死んだか? そんな馬鹿な! 俺の願望が消えるわけがない。
俺は、まだ隠し持っていた予備のナイフで指を切って流れた血で、あてもなく足元を濡らしてカムを釣ろうとしたが、もう役に立たない。
いつだって、背中や腕にまとわりつく、あの爬虫類が這う感覚、あれがないといけない。俺はなりふり構わず叫んだ。カムはいない。狩りもなしだ。復讐も、殺人もなしだ。俺は悪七にこのままでは見放される。いや悪七も救えない。
くそ、この世界が、まだ完全に終わっていないからだ。なんでもいい、カムでもなんでもいい。憎しみはここにあるぞ!
「何でも憑け! 憎悪ならここにある」
今更気づいたが、俺の血はまだ、滴っている部分もあるようだ。だが、それがどこから出血しているのかは、もう確かめるのも面倒だった。タワーの電灯は点いている。
いや、そこが悪七の城というわけだから、当然だ。息を整えて、改めて雲に突き刺さるタワーを見上げる。足取りは、口元の笑みについて来ないまま、滑ったり、ぐずったりしている。
ようやくタワーの入り口に着いた。ここまで誰にも会わなかった。中は生温かい。エレベーターで展望階行のエレベーターから、冷機が降りてくる。上層部は冷え込んでいるようだ。
俺が零士を止められなかったから、悪七が直接手を下したか? 何にしろ、大きくやりあったに違いない。悪七もまだ命を持っているかどうか。
後ろから、水の跳ねる音がした。気のせいか。いや、あながち気のせいじゃないかもしれない。カムの黒い水たまりがついてきている。まちがいなくカムだ。零士にやられるわけがない。いつも与えているのは、血じゃない。憎しみだからだ。
カムは返事も何もせず、ずっと水たまりとなってついてくる。言葉ももう必要ない。姿を失った今、分かりあえる。
エレベーターがいくら高速でも、耳が気圧の変化でおかしくなっても、焦った脈の音が早鐘を打っている。展望階に着くまでさすがに貧血で座り込んで待った。エレベーターが開くと白々しい蛍光灯に目を傷めた。俺は夜の静けさが好きだっていうのに。悪七もきっとそうだろう。
遅かった。悪七は氷漬けになっていた。展望台から外を見渡す窓の一歩手前で、氷の柱になっていた。あれだけの厄災を放ち、命が無事であるはずがなかった。
俺は茫然と静かな寝息でも聞こえてきそうな悪七を見上げた。一つの塔のように高い位置に留まるあたり、よほど人を見下ろすのが好きと見えて、なんだか、悪七らしい最期で少し笑えた。
だが、見下ろすなら窓を向いていないといけないのに、悪七はエレベーター、つまり、俺が上がってくる方を向いたまま死んでいた。不思議と涙は乾ききって流れ落ちもしなかったが、俺は激しく内心、抵抗していた。
脳裏に走り書きされるのは「ヒトリニナッタ」という単語で、俺一人でこの後始末をどうつければいいのか、途方にくれるよりも、悪七のいないままで終焉はやってこない気がした。俺は終焉にも取り残されたんだ。せめて零士に殺されていればよかったんだ。俺なんて。
本当に零士が憎らしい。悪七の最高のフィナーレに、俺だけが無様に生き残ってしまうなんて、何て恥さらしで、なんて、まぬけなんだ。俺の指針は折れたのか。
いや、なんとかして悪七が本当に本当に旅立つ前に救急車に代わる何かで、呼び戻せないのだろうか。奥歯の先で、生唾が苦い味を垂らして、喉につっかかりながら落ちていく。鼻から氷の冷気が、かさかさと肺に入り込む。
狐のエスが現れた。悪七の氷に近づき、割ろうとしている!
「やめろ!」
狐を止めたのは、カムだった。ただし狐もろとも、悪七にもカムの長い槍状の針は貫通していた。ああ、これでもう本当におしまいだ。やっぱり悪七に永遠なんてない。