第50話 殺意
文字数 1,778文字
事故のことは、調べておいた。事故の原因じゃやはり、システムトラブル。ペルセウス座流星群が訪れる一ヶ月前に零士 は二年前の事故でこの世を去っている。
「姉のことで、こじれたんだよ。姉はね。本当につまらない死に方をしたよ」
とても落ち着いた口調で、事実を淡々と言い添えるだけだが、なぜか冷笑している。
「心配しないで。嘘はもう言わないよ。俺だってたまには穏やかでいたい」
姉の話がはじまった。長いストレートヘアーで、彼女に憑くミカエリも同じく女性の姿をしていたという。幼い頃の悪七は泣き虫で(とてもじゃないが信じられない)よく姉に面倒を見てもらったという。
少しだけ笑った悪七は、自分が無邪気にまだ感情をコントロールできない頃のことだと言う。つまり、昔は純真無垢でしかも感情豊かだったと。
「だけどさ、姉って言っても姉っていう機能を慕ってるんだよ。別に姉さん以外の人が姉だとしても俺は姉を慕うはずだから」
どこまでも思い出は記録だった。語るというよりは説明で、俺の食べているチキンもゴムみたいな食感になった気がする。
悪七の姉が自殺したのは、悪七が中学のとき。平日の昼下がりだそうだ。川に飛び込んだとか。死体は見つからなかった。ミカエリは一家を守っていたが、それは主に外的要因に対してであって、姉は守らなかった。
ミカエリが自殺を阻止するのは、その宿木が代償をまだ払っていないときだけだという。姉は自分の私利私欲のためにミカエリを使わなかった。
まるで善見ひいらだ。その頃には既にミカエリが家ではなく悪七に憑きはじめだ。そのせいで、家を守ることも少なくなった。
悪七は、何も知らず学校から帰宅して、姉の帰りが遅いことではじめて、一番のミカエリ「エス」と探しに出かけた。母親が警察に電話をしたのは真夜中だった。
「悪い予感はしたけど。結局ミカエリも役に立たないときは立たないんだ。見つけられなかった」ここにきて悪七は、ため息をついた。「あのときは日に日に不安が確信に変わって自分じゃなくなるみたいに泣いたよ」
悪七が声を上げて泣くなんて想像し難いけれど、湿った声がいつもと違う。感情という旋律を悪七がその日に失った。ミカエリをもってしても救えなかったという事実が悪七に迫ったのだ。
「俺が許せなかったのは、姉が自らいなくなったってこと。俺一人を置いて。そうまでして誰かを好きになるなんて許せなかったな」
姉はミカエリを持たない一般人を好きになったという。悪七の家はミカエリ憑き同士でないと結婚できない。
「お前の家族って、そんなに厳しいタイプか?」
「母さんはギャルみたいなものだけど。問題は父の方でね。俺にそっくりだけど。柔和な顔して中身は厳格だったり、悪知恵だってあるし何考えているか分からない人だからね。そういうルールにはうるさかったな。怒鳴らないけど無言で伝えてくるよ」
「親父さんって、医者を目指すのをやめるって言ったときに殴ろうとしたんだっけ」
「その話、信じてたの?」
「ま、まさか」
信じていたに決まっている。家庭の話をしたがらないにしても、嘘に徹底している。
「父さんはめったに怒らないよ。腕っ節も強くないしね」
とってつけたような言い方だ。悪七は続けた。そもそも悪七にも誰かを恨むということがあった。姉の好いた相手は標零士だった。悪七はそれが許せなかった。
誰かを恨んで憎んで殺してやろうと思ったが、その相手がかけがえのない親友で、行き場のない憤りを感じた。
それからすっと潮の引くような侘しい怒りに見舞われたという。どこに息を潜めたのか分からない怒りは全身を毎日這いずっては、ときどき思い出したように街ではち切れそうになるという感覚はまるで俺とそっくりだ。
「感情ってのは一夜にして消えることはないんだ。破壊は侵食に似てるよ。爆発で吹き飛べばいいのに、人ってのはそういう風には壊れないんだね。ま、俺は壊れたつもりはないよ。
ただ、あの時ばっかりはね。今だから言えるけど。夜風の鋭さが違って見えたり、行き交う人が物質でしかなかったり。俺は誰を責めればいい。零士だけど、零士は俺の窓で、扉だ。
零士を介さなかったら俺はずっとミカエリに囲まれた生活だ。はっきり言うよ。何もない世界だ。全て消し去ればいい。そう思ったよ。最初はこうも考えた。姉が死ぬ原因になった零士を殺す」
「姉のことで、こじれたんだよ。姉はね。本当につまらない死に方をしたよ」
とても落ち着いた口調で、事実を淡々と言い添えるだけだが、なぜか冷笑している。
「心配しないで。嘘はもう言わないよ。俺だってたまには穏やかでいたい」
姉の話がはじまった。長いストレートヘアーで、彼女に憑くミカエリも同じく女性の姿をしていたという。幼い頃の悪七は泣き虫で(とてもじゃないが信じられない)よく姉に面倒を見てもらったという。
少しだけ笑った悪七は、自分が無邪気にまだ感情をコントロールできない頃のことだと言う。つまり、昔は純真無垢でしかも感情豊かだったと。
「だけどさ、姉って言っても姉っていう機能を慕ってるんだよ。別に姉さん以外の人が姉だとしても俺は姉を慕うはずだから」
どこまでも思い出は記録だった。語るというよりは説明で、俺の食べているチキンもゴムみたいな食感になった気がする。
悪七の姉が自殺したのは、悪七が中学のとき。平日の昼下がりだそうだ。川に飛び込んだとか。死体は見つからなかった。ミカエリは一家を守っていたが、それは主に外的要因に対してであって、姉は守らなかった。
ミカエリが自殺を阻止するのは、その宿木が代償をまだ払っていないときだけだという。姉は自分の私利私欲のためにミカエリを使わなかった。
まるで善見ひいらだ。その頃には既にミカエリが家ではなく悪七に憑きはじめだ。そのせいで、家を守ることも少なくなった。
悪七は、何も知らず学校から帰宅して、姉の帰りが遅いことではじめて、一番のミカエリ「エス」と探しに出かけた。母親が警察に電話をしたのは真夜中だった。
「悪い予感はしたけど。結局ミカエリも役に立たないときは立たないんだ。見つけられなかった」ここにきて悪七は、ため息をついた。「あのときは日に日に不安が確信に変わって自分じゃなくなるみたいに泣いたよ」
悪七が声を上げて泣くなんて想像し難いけれど、湿った声がいつもと違う。感情という旋律を悪七がその日に失った。ミカエリをもってしても救えなかったという事実が悪七に迫ったのだ。
「俺が許せなかったのは、姉が自らいなくなったってこと。俺一人を置いて。そうまでして誰かを好きになるなんて許せなかったな」
姉はミカエリを持たない一般人を好きになったという。悪七の家はミカエリ憑き同士でないと結婚できない。
「お前の家族って、そんなに厳しいタイプか?」
「母さんはギャルみたいなものだけど。問題は父の方でね。俺にそっくりだけど。柔和な顔して中身は厳格だったり、悪知恵だってあるし何考えているか分からない人だからね。そういうルールにはうるさかったな。怒鳴らないけど無言で伝えてくるよ」
「親父さんって、医者を目指すのをやめるって言ったときに殴ろうとしたんだっけ」
「その話、信じてたの?」
「ま、まさか」
信じていたに決まっている。家庭の話をしたがらないにしても、嘘に徹底している。
「父さんはめったに怒らないよ。腕っ節も強くないしね」
とってつけたような言い方だ。悪七は続けた。そもそも悪七にも誰かを恨むということがあった。姉の好いた相手は標零士だった。悪七はそれが許せなかった。
誰かを恨んで憎んで殺してやろうと思ったが、その相手がかけがえのない親友で、行き場のない憤りを感じた。
それからすっと潮の引くような侘しい怒りに見舞われたという。どこに息を潜めたのか分からない怒りは全身を毎日這いずっては、ときどき思い出したように街ではち切れそうになるという感覚はまるで俺とそっくりだ。
「感情ってのは一夜にして消えることはないんだ。破壊は侵食に似てるよ。爆発で吹き飛べばいいのに、人ってのはそういう風には壊れないんだね。ま、俺は壊れたつもりはないよ。
ただ、あの時ばっかりはね。今だから言えるけど。夜風の鋭さが違って見えたり、行き交う人が物質でしかなかったり。俺は誰を責めればいい。零士だけど、零士は俺の窓で、扉だ。
零士を介さなかったら俺はずっとミカエリに囲まれた生活だ。はっきり言うよ。何もない世界だ。全て消し去ればいい。そう思ったよ。最初はこうも考えた。姉が死ぬ原因になった零士を殺す」