第77話 相当刺激的だと思うよ

文字数 2,062文字

 ところが、ライも早々に防御に使っていた氷の壁を溶かしてきた。あっちも相当、ミカエリを使い込んでいるはずだ。町中を凍らしているのだから。


「あんさんは、真奈美に五分もやったわけや。やっぱ実の姉は、殺されへん。俺らが怖いんや」

 殴りかかると、ライも氷は使わず、素手で受け止めた。静かな面持ちが、今は顔を赤らめている。


 今度は膝蹴り。だが、仕返しに腹に拳をぶち込まれる。

「怖くはないよ」

「じゃあ、何や? 息荒いで。うちは、死ぬんは怖ないで。あんさん、いつも怖いんとちゃうか? 他人は、ようさん殺すくせに」


「お前に何が分かるの? 俺はずっと失ってきた。これからもそれは続く。戻ってこないものは、戻ってこないし、それでいい。だけど、最初に置いていったのは、お前ら二人なんだよ」

 ライの凄んだ声と同時に、腹を蹴られた。再び、テーブルにぶつかったが、今度は立ち上がる間もなく、胸倉をつかまれる。


 そのまま、窓ガラスの割れた、外界へ、押し倒される。仰向けに赤い空が見える。背中に残りくずのガラスが突き刺さって、あえいだ。容赦なく、踏み降ろされる足。背中のガラスがぐっと食い込んだのが分かった。


 針のような細かい痛みを思い出して、全身しびれる思いがする。なんとか、手を伸ばして、まだ残っているガラスをつかんで、できるだけ深く刺さらないように、体を支える。ライは、すぐに突き落とすようなことはせず、首に手をかけてきた。


「こういうのは、ハードボイルドの映画でようあるで。ここらで大抵の悪人は、真っ逆さまに落ちるんや」


「俺が悪人だって言いたいのかな。間違いじゃないさ。でも、先に死ぬのは君の方だよ。ナイフはなにも、氷である必要はない」


 ライはポケットからナイフを取り出した。当然か。首筋を滑らかに滑っていく。血が伝う感覚があるが、大した痛みではない。今度は、肩にぐっと押し当てられる。


「やっぱり最期は、俺の手で殺さないと。君もこうなることを納得の上でここまで来たんだよね」


 ライはやっとのことで手に入れた幸福な時間を噛み締めるように喉を鳴らして笑った。

「せやな。あんさんなら、うちをすぐに殺さん思うてたわ」


 肩にナイフが突き立てられたのと同時に、頭突きを食らわせた。自分から刺されに行った形だが、ナイフに酔いしれているライには予想がつかなかったに違いない。そのまま、顔面を押し退ける。赤らんだライの顔が、歪んでとても美男子とは言えない状態だ。


 だが、より深くナイフが肩をえぐる。ここにきて、吹き出した自らの汗で節々の針の痛みが錯覚として戻ってきた。ミカエリっていうのも楽じゃない。ライはその辺りをわきまえて、狐のミカエリそのものには攻撃させてこないのだ。となると、狐のミカエリはどこにいるのだろう?


 確信はないが、ここは試してみるしかない。ライの耳元で殴るふりをして、手を止めた。


 ライも、空気の渦が見えるのか顔を強張らせた。空気を圧縮した空気の爆弾だ。それをタワーのあちこちにばらまいたのだ。秘密裏に温存していたがミカエリとして最後にできることだ。これ以上は真奈美の望み、願望なしではできない。


「なんだ、まだ本気出してなかったんだ。で、それから?」


 やはり、ライも体力を温存していただけだ。ライにかかれば、こけおどしでしかない。部屋の、気温が、ぐっと下がる。空気の爆弾の回りが白く煙を上げる。ばしゃりと弾けて、床が瞬時に凍っていく。爆発することなく、空気を液体窒素に変えられた。テレビも、テーブルも、凍った。


 だが、こちらの思惑には気づいていない。今のは狐に仕掛けた。ライが守ろうとするもの、一つだけ凍らなかったものがある。さっき、こぼしたアイスコーヒーだ。部屋中に空気弾をばらまいたのだ、ライが凍らさないのはおかしい。


 両手で、風を送り、アイスコーヒーをすくいあげる。思った通り、狐のミカエリ本体だ。うごめく液体を素早く飲みほした。


 ライは半ばあきれ顔ともつかぬ、拍子抜けしたように表情筋を緩めた。凛とした眼がいくらか、柔和に帰着したが、視点が定まらないように無感情を装い、空間に冷笑して広がる。


 青ざめた頬と、紅潮した唇が、対象的で、音もなく結ばれたとき、不安の影がよぎったのがかいまみえたが、それも苛立ちに押し退けられた。


「それで、ミカエリを殺したつもりじゃないよね?」


 確かにミカエリは、食道を通り胃に落ちた。吐き気がするのは、胃液をかき回されているからだろうか。だが、俺には胃液なんて必要ですらない。


 このまま、身体の中に押し留めるか、狐のミカエリが身体を突き破るか、もしくは、打ち負けて凍らされるのかのどれかだ。

ライの、ふいに口角を吊り上げた笑みが後者であらことを告げていた。


「飲んだら、相当刺激的だと思うよ。俺も飲んだことあるしね。身体の中を鎌でえぐり回されるみたいでしょ」


「そうでもないで。内臓引っ掻き回されるんわ、あんさんやろ? うちはミカエリやからできる。曲芸やわ。早いとこ、終わらせたるわ」喉をつっかえつっかえ、げっぷした。
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