第96話 葵、職場に大嫌いな先輩が現れる

文字数 1,971文字

 さかのぼる事ひと月ほど前の話。

 強力になり始めた妖物対策の一環として、野生動物対策課に一人、有術者が着任することになった。

 ただ、何宮の何者が来るのかは、二宮課長も知らなかった。

「今日の午後から出勤なんだけどさ、誰かまで教えてもらえなかったんだよね~。使える子だと定時に帰れるなあ。伊吹君、しばらく面倒みてあげてね」

「分かりました。一体誰が来るんでしょうね。男子か女子か? 強いのか?」

「強くないとうち来ないと思うけどねえ」



◇◇◇◇◇

 

 お昼休みが始まる少し前、その人物はやってきた。

「こんにちは」

 課長と伊吹、サボりから帰って来た蓮の前に現れたのは、ぱつりと切りそろえられた艶やかなおかっぱ黒髪と、ふんわりとした薄灰色の瞳が印象的な一宮あさひだった。

「今日からお世話になります。一宮あさひです。」

 性別不詳の不思議な姿を持つあさひは、見た目だけで言えば、男子でも女子でもなかった。

 雪のような白い陶器肌。黄金比の紅い唇。ダークグレーのジャケットに同色のスキニースラックス、ノーネクタイの白Yシャツ、黒のオックスフォードシューズ。そして男性としては中程度、女性としては高い身長のあさひは、彼らに整った笑顔を向ける。

「おお、あさひ君! でも君は神社の人じゃないか」

「だからですよ。お伝え様の周りの妖物だけは、私たち神職が駆除していますから。即戦力になるだろうということです。これからよろしくお願いします」

 役場で対処する妖物はあくまで村人の生活圏であり、お伝え様の周辺だけは、神職らが自前で駆除を行っている。そういう事情もあり、神社にも、有術のレベルが高い人材が集められていた。

 あさひもその一人。課長を定時で帰らせてくれる、研修ほぼなしで即「使える」職員として最適だった。

 席はここだ、作業服のサイズは、蓮君あとで役場内の案内を、などと伊吹が世話を焼いていると、葵と樹が駆除から帰って来た。

「あらあ!あさひちゃん!何、どしたの~」

「今日から増員される職員Aこと一宮あさひです。よろしくお願いします、樹ちゃん」

 樹の後ろにいた葵は、あさひに気付いた瞬間に猟銃ケースを落としてしまった。

「ちょい、どしたのアオちゃん」

「アオイくん、また一緒だね。嬉しいな。よろしくね」

 あさひはまっすぐに手を差し出すも、葵は無視し、ケースを拾ってさっさと席に着いた。

「冷たいなーアオイくん。一緒に都会のキャンパスで机を並べた仲じゃないか」 

「監視だろバカ」

「口が悪いぞ。すぐケンカ腰なんだから。同じ学科だったんだ、仕方ないでしょ」

 彼らは同じ大学出身で、あさひが一つ上の学年である。

 広いはずのキャンパス内でしょっちゅう遭遇するし、遠くからでも見つければよく通る声で呼びかけてくるし、授業はよくかぶるし、図書室や自習室、学食で隣に座ってくるしで、葵はあさひに付きまとわれていた。逃げても逃げても、いつの間にかいた。

 さらにアパートも一緒だった。いきなり部屋に突撃してきて食事を作り始めたり、葵の部屋に先輩たちを呼び込んで夜通しで賭けマージャンや花札を始めたり、いつの間にか合鍵を作って勝手に葵のベッドで寝ていたりと、心休まる暇がなかった。あさひと被らなかった4年次だけが、安心した日々を過ごせた。

 昔から葵によくちょっかいを出していたあさひだが、学生時代は「ふざけんな、消えろ」と、葵が半年に一度静かに爆発していた。もともと、あさひが苦手だった葵は、大学生になってからは大嫌いになったのだ。

 補足すると、ご飯の味はなかなか美味しく、もったいないので食べていた。これだけは、少しありがたかった。

 さらに言うと、葵はアナログゲームはわりと好きで、ポーカーフェイスもある意味得意。対面ギャンブルの勝率が高かった。あさひの有り金を巻き上げることを目標に闘っていたという。

「君たちは大学も一緒だったな!仲良しだなあ!あさひ君、わからないことは僕だけじゃなく、葵君にも聞くといいよ」

「はい。ねえアオイくん、お昼ご飯ってどこで食べるの?」

「知るか」

 あさひは主に剣術の稽古に参加する有術者だが、稽古中はそこまで話す時間もないし、葵は終わればさっさと帰るので、接触は最低限で済んでいた。

 けれど、職場となると難しい。席が隣じゃなかっただけマシだと思うしかないが、同じ空間にいることも本来は避けたい。

 こうなってしまっては無理な話だが。

 救いは、彼が「攻む」であり、仕事で組む確率が低いことであった。

 あくまでも「低い」だけ、である。

 葵は駆除道具を片付けてすぐ逃げようとしたが、向日葵以上の腕力を持つ樹に脇から抱えられ、「も~お子様みたいなイジワルはめっ!あっちゃん、僕とアオイっちと一緒に食べよ」

「ありがとう樹ちゃん」

 逃げられず、デスクで一緒にお昼ご飯を食べる羽目になった。
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