第9話 橘平、嘘をつく

文字数 3,045文字

「じゃあ、マジでこ、今夜。こんや?コンヤ?本日の夜??ええ、親になんて言えば」

 周囲に大きな言い訳や嘘をついてこなかった橘平。「仲間に入れてください」などと宣った時とは別人のように、手を首に当てて掻いたり、頬をむにむにつかんだり、立ち上がっては座ったりと落ち着きがない。

「八神さん、ご無理は」
「無理じゃないです!行く!ちょっと、親に電話してきます」

 橘平はダウンコートを掴み、ばたばたと部屋を出ていった。

「ちょろっと、テキトーなウソつけばいいだけなのに。ずいぶんアワアワしてたねえ」
「素直そうな子だからな。向日葵みたいに適当はできないんだろうよ」

 葵は言いながら、部屋の隅にある小さな戸棚から本を取り出す。

「ケンカ売ってるう?」
「買ってくれるなら売るけど」
「買いません」
 向日葵はぬるくなったココアを一気に飲み干した。

 10分、20分、30分…いつまで経っても、橘平は戻ってこなかった。

「八神さん、遅いね。寒いけど大丈夫かな」
「なかなか親が納得してくんないとか~?」
「まだ何を言おうか考えて、その辺ぐるぐるしてるんじゃないか」

 結論から言うと、葵の推測がおおむね正しかった。
 橘平は歩き回りながら、頭の中で言い訳を考えては消し、考えては消しを繰り返していた。
 これでいける、よし電話だ。と決めても、通話ボタンが押せずに時ばかりが過ぎていく。

「心配だから、私ちょっと見てくるね~」と、向日葵は部屋を出た。

 玄関にやって来た向日葵は、上着を持ってこなかったことに気づいた。ちょっと見に行くだけだからいいだろうと、年季の入った下駄箱から靴を取り出そうとする。
 ふと、下駄箱の上に目が行く。そこには適当に畳まれた黒のモッズコートが置いてあった。
 葵のものだ。
 向日葵はそれを手に取り、目の前で広げる。

「……これでいっか」と、そのコートを羽織り、外へ出た。

 葵の物に触れる。
 それは、昨日までの彼女なら絶対にしない行動だった。



 熟考の末、橘平は親友の優真に電話をしていた。上擦った声で、変に早口である。

「何も言わずに、とにかくなんでもいいすまん、優真んチ泊まる事にしといて!お願い!」

 ここまでに何十回も深呼吸を繰り返した。電話帳の友人の名前を押そうとしてはやめて、も繰り返した。そして震える指先を押さえつけ、なんとか通話にこぎつけたのだ。
 彼の考えた今回の言い訳は「今日遊んでいる(ということになっている)友人の家に宿泊」であった。
 悩みすぎてもう訳が分からなくなり、「今夜バケモノ倒しに行くから帰れない」と言いそうになったが、実花からつっこまれるのは確実。うまい言い訳もなしに電話せず帰宅しなければ、お巡りさんを呼ばれて…桜たちに迷惑をかけてしまうかもしれない。
 これが今の橘平に考えられるベストの言い訳だった。実際、優真宅には昔から何度も泊っている。何も不自然には思われない。ただ、念には念を重ね、その友人に口裏を合わせてもらうための根回しをした。根回しと言うか、理由は告げずに力で押し切ったのだが。
 そして次は親だ。こちらのほうが緊張する。自分の心臓の鼓動が聞こえてくるようだ。
 ココアで温まった体はすでに冷え切っている。2月の空気を思い切り吸い込み、母親の電話番号を押した。

「もしもし、あのさ…今夜優真んチ泊まる…うん…それじゃ」

 何も疑われず、通話はすんなりと終了した。
 橘平は彼の視界を全部覆うほどの白い息とともに、ひときわ大きなため息をついた。体の力も抜け、しゃがみこむ。
 ダウンコートのポケットにスマホをしまった。まだまだ寒さ厳しい季節。橘平の手はすでにカチカチだった。手をポケットにつっこんだまま、村の真ん中にある森の方を見つめる。
 家族にいままでで一番大きなウソをついた。命の危険もあるかもしれない「危ない」事にこれから挑む。
 罪悪感はあるけれど、それよりも彼にとって今大事なことは、自称・超能力者三人と謎のバケモノを倒しに行くことである。

「電話終わった~?」

 後ろから向日葵が声をかけてきた。

「あ、はい。今終わって戻ろうと」

 橘平が声の方を振り向くと、雪だるまのようなファーコートではなく、黒のモッズコートを着た向日葵が立っていた。

「あれ、そんなコート着てました?」
「葵のだよ」
「へー、仲良しですね」
「ナカヨシ?」
「仲良くないと、人の服なんて借りないですよ」

 橘平の言葉に深い意味はない。ただからかうつもりで
「もしかしてお付き合いしてるんすか~?」と軽く言ってみた。

 バカだなあ、アイツとそんなわけないじゃ~ん。そっすよね。そんなやり取りになるかと思ったからだ。
 予想に反して、向日葵の顔がさあっと青ざめる。

「違うから!きょ、兄弟、兄弟みたいなもんだからアレとは!兄貴の服借りる感じで、まーったく深い意味ないから!!」

 彼女は急いでコートを脱ぎ、「さ、寒いから早く家はいろ!!」と橘平を手招きする。

「ああ、はい」

 向日葵の慌てように違和感を感じながらも、玄関へ向かう。
 電話が終わって安心したからだろうか。ふと別の疑問が湧いた。

「あの!」
「ん?早く中に」
「なんで今夜なんですか?」
「ほら、明日は日曜だから学生にも社会人にもちょうどいいでしょん?私らも仕事してるからさ」

 早口の裏には、別の理由が透けて見える。

「本当にそれだけの理由ですか?」

 真剣な少年のまなざしに、向日葵はどの程度答えようか惑う。経過する時間分、彼女の指先も氷のように冷たくなっていく。

「……というのもあるけど、奴を一日でも早くぶっ殺したいから。超巻きでやってきたいわけ」
「もしかして、悪神の手先の危ない妖怪がわらわらでてきたとか」
「まあ近いことはあるかなあ」

 桜同様、橘平には正直に言えないことがありそうだった。にこにこはしているが、ごまかすためであろう。

「まあ…うん、あのね、タイムリミットがあるから。先生以外に『なゐ』のこと聞ける大人いなくて、子供ながらに調べてきたわけよ。でも全然手掛かり無くてさ。諦めそうになった時、森に入れるようになって…マジで時間ないのよ」
「時間って…」
「桜ちゃんが高校を卒業する、いや、それじゃちょっと遅いかな……」

 向日葵は無意識にモッズコートをぎゅっと抱きしめる。その中に隠された葵への複雑な感情が、少しだけ垣間見えた。
 切ない表情から一転、向日葵は明るい声で「まあね!いろいろあるんだわ!私らも生まれた時からの付き合いだから!いろいろすぎ~!あはは!はい、かえろー」 と、橘平の腕を引っ張った。
 彼女の怪力に抵抗できるはずもなく、そのまま家に引きずり込まれていった。
 一番、軽くて陽気で話しやすい。と思っていたけれど、向日葵は一番、肝心なことは話さない人。これ以上聞いても、すべてのらりくらり交わされるだろう。
 桜の高校卒業。
 そういえば、橘平は桜の年齢を知らなかった。同じくらいだろうが、年上、年下、同級生。どれであろうか。

 夕飯は、向日葵が「腕によりをかけて適当に作る!」、葵が「適当は困るから手伝う」ということになった。
 橘平と桜は何か手伝うことがあれば、と申し出たが「いいから座ってて!」と怪力でソファに押し付けられた。

「何もしなくていいのかな。なんか申し訳ない」
「台所に4人もいると狭いですしね、仕方ないです」
「…夕飯までけっこー時間あるなあ」
「だったら、奥の部屋にいきませんか?先生の集めた書物などが残してあるんです」

 桜は立ち上がり、橘平を奥へと案内した。
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