第10話 橘平、舎弟になる

文字数 3,088文字

 この古民家は3部屋で構成されており、玄関から入って左がソファやテーブルのある居間。右が台所だ。水回りは家の右側に固まっており、台所の隣に風呂やトイレがある。
 奥に進むと、葵の寝室、そして先生が書斎としていた6畳ほどの部屋がある。
 書斎の襖をあけ、桜が電気をつける。
 橘平の目には本が飛び込んできた。本、本、本。視界は本でいっぱいになった。

「ええ!?なんか怖い。本しかない」
「隙間をみつけるのが難しいほどですよね。何の本があるのやらで」

 奥と左右、つまり襖側以外の壁は本棚になっており、地面から天井まで本でぎっしりだった。本棚の前にも本が積まれている。学校の図書館よりも「本」というものを感じる空間だった。
 先生は各地の伝説の類を調べていたそうだ。部屋の書物も分類できないほどに、さまざまなジャンルが林立している。その研究の過程で、村の秘密にもたどり着いたらしい。
 書斎らしく、歴史を感じさせる文机もあった。

「お、文豪っぽい」
「確かに。ここで物書きをしている姿は作家さんのようでした」

 そうした文化の香りがするこの部屋に、似つかわしくない置物を見つけた。
 机の後ろにある資料棚の上に、日本刀が置いてあるのだ。

「これカタナ?ちょっと短い気もするけど」
「ああ、それは葵兄さんのものです。脇差と短刀です」
「葵さんの?あれ、時代劇でみるような長いのは?」
「それは葵兄さんの部屋にあります」
「へー。剣道?する人なんだ」
「そうです。とてもお強いんですよ、剣術は」

 橘平は先ほどの会話を思い出す。確か向日葵は「素手ならアオなんて瞬殺」とのことだった。

「じゃあ葵さん、素手は弱くて剣は強いと」
「格闘も決して弱くはありません。それに関してはひま姉さんが別格なだけ」

 桜は刀掛けから脇差を手に取り、橘平に示す。

「ただ、日本刀は有術を使用するときのものです。私には相手の目が必要、葵兄さんには刀が必要なのです」
「向日葵さんも、なんか必要なんすか?」
「いえ、ひま姉さんは有術を使うのに何も使いませんよ」
「あ、まさか怪力だから?」

 桜は手を口に当て、くすくすと笑いながら「いえいえ、能力の問題です」と否定する。

「それにひま姉さんは武具の扱いが不得手なんですよ」

 桜は脇差を台の上に戻した。

「剣術も一応習ってはいましたが、早々にリタイアしました。その代わりに、己の拳を磨いたのです。もし八神さんがお強くなりたいということでしたら、きっと、喜んで教えてくださいますよ」

 桜を守るには、強くあらねばならないだろう。しかし今日、件のバケモノを倒しに行く。橘平の修行編もなさそうだった。
 仮に向日葵に修行をつけてもらうとして、明るく優しく教えてくれるのか、実はかなりスパルタなのか。どちらであろうかと想像してみた。きっと、あれだけの腕力を身に着けるまでには、血のにじむような努力を重ねてきたに違いない。ゆるい陸上部の自分が付いていけないほどの。つまり。
 スパルタだ。向日葵から教わるのは怖そうだ。そう結論付けた。
 普段優しい人ほど、裏では厳しいかもしれないし。と橘平は心の中でつぶやく。それならば、逆に葵は優しいかもしれない。
 この本面白いですよ、と彼女が手にしようとしたとき、橘平が「そういえばさ、一宮さん」と問いかけた。

「はい、なんでしょう」
「なんで一人で森に入ったの?あの二人が強いんだったらさ、3人で行けばいいのに」

 桜は本を取ろうとした手を引っ込める。
 悪神を倒す動機。あの質問をしたときのような硬い表情になった。

「すいません、言えないことがあるなら言わなくても」
「…お二人私は生まれた時からずっと、どんなことでも私に付き合ってくれています。だからこそ、私は悪神を消滅させたいのです」
「…つまり、悪神を倒すのは二人のため?」
「そうです。二人を私から自由にするため。それが……動機」

 橘平に一層硬くなった表情を向け、続ける。

「これ以上二人には迷惑をかけたくないのです。だから、最後は私一人で始末をつけるべきだと判断しました」

 向日葵と葵。桜が生まれた時から彼女の側にいる二人。3人は親子のように見えると感じたが、そう単純な関係ではなさそうだ。
 子供のころから、3人で悪神の封印について調べてきた。でもその実、桜はたった一人、二人のことを心から思って行動してきた。
 3人一緒のようでいて、彼女は孤独だったのかもしれない。

「それに」

 桜はぎゅっと拳をにぎる。漆黒の瞳に、明るい光は見えない。

「『なゐ』は私の有術でしか消滅させられないから」
「え?一宮さんにしか倒せない?」
「先生が言うにはそうらしいのです」

 小柄で愛くるしい子猫のような女の子に、悪い神などという恐ろしいバケモノを倒す力がある。にわかには信じられなかった。

「でもあの巨大なバケモノは、本当に想定外だったので…あればかりは二人
の力が必要となります…」

 握った拳を緩め、桜は文机に視線を移す。
 小さな体に、悪神を消滅させられるほどの力を秘め。
 子供のころから世話になる青年たちのために、危険を顧みない勇気を持ち。
 誰にも言えない本心も、まだまだ心の奥にしまっていそうな。
 そんな女の子。
 会うのはまだ2回目だけれど、橘平は彼女を守ってあげたいと思った。孤独から救ってあげたい。
 その理由は具体的はには説明できない。彼女を見ていると、隣にいると、そう思うのだ。
 顔を上げられない桜に、橘平は気持ちを伝える。

「ねえ、一宮さん。俺にはいくらでも迷惑かけていいんだよ」
「え…?」

 桜は声の方を振り返る。暖かな光を宿した薄茶色の瞳が、彼女を見つめている。

「今日もさ、もし二人に申し訳ないなーって思う場面があったら俺を頼ればいい。有術は使えないけど逃げ足は速いから」
「そんな、会ったばかりの方に」
「さっき仲間になったじゃん。それに同い年くらいでしょ?今何年生?俺、高1」 
「高校2年生です」
「え、年上?同い年か、もしかしたら中学生かと…」
「そんな変わりませんよ」
「いやー大きいって。一つでも下の学年は、先輩の雑用だもん」

 と、橘平は部活での理不尽な扱いを桜に面白おかしく聞かせる。硬く思いつめたような表情だった彼女が、くすくす笑い始め、可愛らしさを取り戻していった。
 それから間もなく、「ご飯できたよ!!」と髪の毛が逆立つような大声とともに、向日葵が部屋にやってきた。

「うわ、びっくりした」
「あら、いい雰囲気ね。何のお話してたの~?」
「え?あー、一宮さんの方が俺より一つ年上なんだな~って」
「あーそー。桜っちのが年上か。だったらさ」

 向日葵は桜の肩を抱き、顔を覗き込む。

「きっぺーのこと、もっとこき使っちゃおうよ。一番年下じゃん」
「こ、こき使うなんて!」

 桜のためなら何でもやりたい橘平は、「はいぜひ、俺のことは舎弟とでも思って!雑用でもなんでもやります!!」と喜び勇む。

「そーだよー、私らの舎弟にしよ!あ、舎弟なんだからさ、八神さん、なんておかしくなーい?きっぺーでいいっしょ」
「あ、そうっすよ、きっぺーでいいっすよ、一宮さん!」
「橘平もお仲間になったんだからさ、『さっちゃん』でいいっしょ」
「あ…ああ、そうですね!桜とお呼びください、やが…き、橘平さん!」
「はい、さ…」

 さっちゃん。
 橘平は前歯あたりまで出かかっていた。
 しかし、まだそこまで呼ぶ決心はつかず「…桜、さん」と呟いた。
 
 彼の何が、どこがどうだとは説明できない。
 でも向日葵には、橘平が桜を変えてくれる力があると感じていた。
 そして、桜の初めてのお友達にもなってくれたら…そう願うのだった。
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