第7話 桜、菊を語る

文字数 3,313文字

 向日葵と葵が台所へ向かうと、桜は橘平に「昔話」を始めた。

 桜には双子の兄がいた。名は「菊」。

 菊は一を聞いたら十も百も知るような、いわゆる天才と呼ばれるような子。一宮の跡取りして、早くから期待されていた。そんな兄を桜は誇らしく思い、兄妹仲はとても良かったという。いつも菊の後ろを付いて回っていた。
 跡取りではないとはいえ、桜にも幼少から、菊と同等の教育が与えられた。一宮の人間として、どこへでても恥ずかしくないように、という方針である。

 その一つが、家庭教師の「先生」の授業だ。
 初めての授業は双子が3歳の時だった。先生はまず、小さな双子と毎日のように村を散歩した。その中で見かけた樹木や植物、虫、畑の前を通れば野菜のことなど、なんでも丁寧に教えてくれたという。
 そして、双子の好奇心にも根気強く応えた。「あれなに」「これってどういうこと」と聞く双子、とくに菊は先生を質問攻めにした。
 菊の質問量と世界を知りたいという強い気持ち。普通の大人なら投げ出してしまいそうなしつこさであったが、先生は菊が納得するまで付き合ってくれた。桜にも同様で、菊の方が賢いから、跡取りだからと差別することはなかった。

「素晴らしい教育者でした。私の通う学校に、あそこまで生徒に寄り添ってくれる先生はいません。私もお兄ちゃんも、先生とお散歩するのが楽しみになっていました」

 菊の呑み込みの早さは異常と言ってよく、次第に授業は複雑になっていった。4歳になるころには、村の特徴や歴史、そして一宮家、お伝え様の役割など、村を統治する側になった際に必要なことなども、菊は理解していった。
 その頃すでに、桜は菊のレベルには付いていけなくなっていた。

「でも、なんでもお兄ちゃんと同じが良かったので…分からなくても、いつも隣にいました」

 先生の授業は、双子だけのものではない。一宮を補佐する二宮家、三宮家から選ばれた双子の遊び相手たちも、一緒に先生の講義を聞くことがあった。
 それが、向日葵と葵。双子が生まれた時、二人はまだ小学生に上がったばかりのような年齢だった。自分たちの役割もよくわからず、言われるままに、一宮の赤子たちのお守りをしていた。

「生まれた時からの付き合いか。妹みたいなものだから、一宮さんのこと大事に思ってるんですね」
「二人には本当に、申し訳ないほどお世話になっております…ありがたいです…」

 ありがたいとは言いつつも、感謝よりも謝罪の気持ちが強く感じ取れた。森に一人で行ってしまったことだけではなく、これまでに多くの「迷惑」をかけてきた。そのように受け取れる。
 彼らを本質的に知るには、まだまだ時間がかかりそうだと橘平は思った。

 
 桜たちは街の小学校に通い始めた。母や親戚が、毎日車で送り迎えをしてくれていたという。
 幼いころは毎日のようにあった先生の授業も、学校へ通うようになってからは週3回ほどに。土日と平日のどこか一日、というスケジュールだった。
 菊に合わせた授業はハイレベルを極め、桜は念仏を聞いているようだったと話す。

「ひま姉さんはいつも寝ておりました」
「そんな感じする…あ、これは本人には言わないでください」
「ふふふ、言いませんよ。逆に葵兄さんは、先生の授業は学校より面白いと言っておりました」
「へー。葵さんも頭いいんすね」
「勉強は得意でしたね。学校の授業では満足できなかったようで、図書館で難しい本をよく借りていました」

 話は双子が10歳になった、ある夏の日のことに移る。

「蝉がいつもより激しく鳴いていた。そんな日だったと記憶しています。『今日の午後は先生の家でお話ししましょう』ということで、私たちは先生の家に集まりました。それがこの家です」

 その時の授業が、桜が橘平に話した「この村はおかしい」ということだった。
 先生も、桜や葵のような底深い真っ黒な瞳を持つ人だった。その瞳で4人それぞれの目をしっかりと捉えながら、村の非常識さについて説き、4人に「気づかせた」のであった。
 同時に、森のこと、満開の桜のこと、悪神『なゐ』の封印のことも、彼らに教えてくれた。

「その後は、さっきの八神さんと一緒ですよ。自分の抱いていた村への景色が、お伝え様への見方が、根本から覆ってしまいました」

 彼らも脳がぐらぐらし、視界がぐるぐるし、桜と葵は盛大に戻してしまった。向日葵も気持ち悪くて仕方なかったらしいが、橘平同様、吐きはしなかった。

「鍛えてたから。と、ひま姉さんはおっしゃってましたね。関係ないと思いますけど…」

 向日葵の名前がでたついでに、と桜はこの頃の彼女について語る。

「ひま姉さん、いわゆる優等生のような外見だったんですよ。地味な感じの」

 橘平が向日葵をきちんと認識した時には、すでに今のような出で立ちだった。地味だった過去が信じられない。

「黒髪でぎゅーっと結んだツインの三つ編み、制服のスカートはひざ下丈でした」

 幼少から明るく活発、言葉遣いも雑。桜を守るために体を鍛えていて、そんじょそこらの男子には負けなかったという向日葵。
 しかし一宮を補佐するものとして、親たちは「黒子であれ」と口酸っぱく彼女を育ててきた。小さいうちは意味が分からず本能のまま生きていた向日葵少女だったが、成長するにつれ大人たちの洗脳が功を奏し「目立ってはいけないんだ」と思い込みはじめた。

「そのせいで、中学に上がったあたりから、大人しくなってしまいました。でも」

 先生に気付かされたあとは、子供の頃のように明るく活発、そして見た目が派手になった。
 同級生たちはその急変ぶりに、しばらく彼女を腫れもの扱いしたという。ただ葵だけが、いつも通りに接していた。

「ああ、そういえば菊さんは?吐いた?」
「いいえ、平気そうでした」

 ただ、瞳孔が異常なほど開いていた。おそらく、3人以上に何かに気付いたのではないか。桜はそう睨んでいる。

「そのせいなのかもしれません。お兄ちゃんが亡くなったのは…」

 桜の視線が自然と手の甲に落ちた。話しづらいのは明らかだったが、それでも話し続けた。

「あの授業から一週間ほどのち。先生は手紙を残していなくなってしまいました」

 手紙の中身は「研究することがある。いつかまた、必ず戻ってくる。その時、研究の成果を披露するので、楽しみにしていてほしい…」そのようなものだった。
 先生がどこへ消えたのか、誰にも分からなかった。一宮の当主で桜の祖父である吉野にすら、行き先を告げずにいなくなった。
 と同時に、菊も行方不明になってしまったのだ。
 当時、一宮家だけではなく、二宮家、三宮家もあげての大騒ぎ。大好きなお兄ちゃんが消えた桜も、眠れぬ夜を過ごした。
 そして数日後。警察から一宮家に連絡が入った。
 村の真ん中にある森の南口で、先生の遺体が見つかった。
 しかも、菊の亡骸も一緒であるという。
 二人の死因も、なぜそこに倒れていたのかも、いまだ不明である。

「先生の死とお兄ちゃんの死。関係があるとしか思えないんです。授業の後、様子がおかしかったんです」

 ぶつぶつと独り言を言い、桜が声をかけても無視。家の書庫にこもり、学校を休み続けた。両親たちがなぜ学校に行かないのか聞いても、無視をしたり、うるさいと声を荒げたりしたという。温厚だったはずの息子の急変に、誰も手を付けられなかった。

「無理矢理、学校に引っ張って行ったりしなかったんすね」
「お兄ちゃんは頭脳だけでなくて、先ほどお話した有術。あれも天才的でしたから、大人も反抗できなかったんです。死人が出ます」
「し、死人…菊さん、すごい人だったんですね…」
「そう、自慢の兄でした。天才過ぎるからこそ、お兄ちゃんは絶対、何かに気が付いてしまった。でもそれは何か。今となっては知るすべがありません…」

 長男の死により、一宮の跡継ぎは長女の桜に変わった。
 桜はその後、「なゐ」を消滅させることを決意したという。

「どうしてですか?跡継ぎが嫌だから?お兄さんの死に関係してそうだから?」
「…お兄ちゃんのこともありますけど…」

 桜が逡巡している間に、向日葵がひょこっと顔を出した。

「ねーねー、きっぺー。リンゴ好き?」
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