第5話  橘平、吐きそうになる

文字数 3,554文字

 桜は橘平と目を合わせ、しっかりした口調で語り始めた。

「まずあの夜のことです。私の目的はお察しかもしれませんが、森に入り、あの小さな神社を破壊することでした」
「お家の近くから入ればいいのに、なんで反対側へわざわざ」
「あの森は南側からしか入れないのです」
「え、森なんてどこからでも入れるんじゃないの?」

 桜はさらにしっかり橘平の瞳を見据え、少しの間を置いて尋ねる。

「…どこからでも、あの森に入ったことはありますか?」

 その質問に、橘平は一度だけ森に立ち入った日の事を思い出す。
 あの時も、桜と出会った日と同じ、南側から入った。

「どこからでも……ないっす」
「そうですよね。そもそも村人たちは、『あの森には絶対近づかない』と思うようになっていますから」
「そうなの?どういうこと?」
「はい。それは…」

 桜はふと目線を下げる。それについて今、話すべきなのか迷っているようだ。「後程お話します」と、桜はゆっくりと視線を戻した。

「とにかくあの日、森に向かうところも入るところも、誰にも見られたくなかったんです。そのため、私は用心して夜を選びました。より人と遭遇する可能性が低い雪という天候は幸運だと思いましたが、まさか八神さんと出会うとは…」

 それは橘平も同じ気持ちだ。誰にもバレないよう、そっと家を抜け出てきたのに、まさか見知らぬ女の子と巨大なバケモノに出会うとは思わなかった。

「私の目的は先ほどの通りなのですが、満開の桜の木の下には…なんといえばよいのでしょう…」

 またも言い淀む桜を次いで、葵が説明する。

「まあ簡単に言えば、この村には大昔に封印された悪神『なゐ』が眠っている。俺たちの目的は、封印を解いて、悪神そのものを消滅させることなんだ。あの小さな神社を破壊すれば、封印が解けると聞いていたんだよ」
「あのバケモノが悪神ですか?十分悪そうでしたし」

 その問いには桜が答えた。

「違います。『なゐ』は人の姿をした化物だそうです。おそらく、あの怪物は封印を守る門番のようなものだと思われます」
「えーと、じゃあ、あれを倒さないと封印が解けないってこと?どうやって倒すんすか?あんなでっかいの」
「…それに関しては」

 桜は本当に申し訳なそうに「葵兄さん、ひま姉さんのお力を借りようと思っています…」と、今にも消え入りそうな声で答える。
 いままで大人しくしていた向日葵が、テーブルにばんと手をつき、その勢いで立ち上がる。

「もー!!何しゅんとしてんの!私らに遠慮しちゃダメでしょ、さっちゃん!!」

 向日葵は桜の椅子の傍らにしゃがむ。ハリのある声から一変して、母親が赤子に話しかけるような柔らかなトーンで語り掛ける。

「悪神は弱体化してるから、私一人で大丈夫って言ってたけどさ」

 桜の手をにぎり、向日葵は潤んだ瞳で桜の顔を見つめる。

「やっぱり一人じゃ無理だったのよ。桜は強くて賢いから、その時は信頼、いや、言いくるめられちゃったけど」

 落ち着いた力強い声で「もう絶対、一人にはさせない」と言い、桜の両手をぎゅっと包み込む。
 葵は諭すように「次は絶対、俺と向日葵も行くから」と、桜に伝えた。

 小さな子供に語りかけるような様子に、桜が二人から大切にされていることが伝わる。まるで、3人は親子のようだった。
 それなのに、なぜ彼女はあの森へ一人でやってきたのだろう。二人はそれを許したのだろうか。その疑問をぶつけたいところであるが、そんな空気ではなかった。

「……ありがとう」

 二人の言葉に、桜は涙声で答えた。
 三人の結束は深まったようだったが、橘平は話を聞く前よりも疎外感を抱いた。
 聞けば聞くほど訳が分からないことを、彼らはしかと理解しているのに、橘平だけ何も分かっていない。封印とか悪神とか、彼らは漫画かアニメの話でもしているのだろうか。
 しかし、バケモノに遭遇した事、冬の桜を見てしまったことは現実で事実である。とすれば、三人の話も嘘ではないだろう。
 それにしても現実離れしすぎていて、簡単には受け入れがたかった。

「あの、悪神ってことは悪い奴なんですよね?消滅させると何かいいことあるんですか?」

 その質問に、今にも泣きそうだった桜の纏う空気が一変する。
 すべて飲み込むような深く黒い瞳で、桜は橘平を見つめる。
 この目を橘平は知っていた。神社のミニチュアを破壊した時に、橘平を睨んだあの瞳だ。

「八神さんは、高校をご卒業されたら進学ですか、就職ですか?」
「へ?えーっと、就職のつもりだけど」
「ご希望はありますか」
「警察とか」
「ああ、たしかこの村の警察官さんがあと数年で退職ですね。この村生まれの方なんですよ。ほかにございますか?」
「は?ほかに?えーと…県庁」
「そういえば、この村には県庁から派遣されている方がいますが、なぜか長年居座っておりますよね。その方はこの村のご出身で、確かそろそろ退職なのです」

 橘平は、ため息のような声で、はあそうですか、と反応する。正反対に桜はクリアな声でまた質問する。

「外へ行きたい、という希望はないのでしょうか?」
「そと?」
「はい。例えば大都会に住んでみたいとか、海外で働いてみたいとか」
「だからケーサツとかケンチョーとか。外じゃないですか」
「そこに就職されたら、間違いなくこの村に配属されます」
「……は?」
「ほかも同様ですよ。この村に縁もゆかりもない関係のない民間企業でも、外資系でも、国内海外どこに行っても。なぜか、どういうわけか、この村に戻ってきてしまいます。村か村の近くにでしか働けないのです」

 さらに橘平は混乱する。どんな仕事に就こうと、どんな場所に居ようと、村に戻ってきてしまう。どういうことだろうか。

「村の引力からは逃れられないのです」

 その言葉にはまじないのような不気味さが感じられた。桜はさらに続ける。

「おかしいと思いませんか?こんな小さな村、人口減少が起こってしかるべきなのに、遥か昔から人口がほぼ変わらない。増えたら減り、減ったら増える。それが自然に、自動的に行われる村」

 この村の人口について、橘平は何の疑問も抱いてこなかった。言われてみれば、日本中の小さな自治体が人口減少に苦慮している中、この村では人口が問題になったことがない。議会でも、人口を増やそう、移住者を受け入れようなどという議題は上がったことがない。

「この村の人間は、村にかかわる事しかできない、村のことしか考えられない。この村から一生出られないのです」

 村への疑問。村の人たちへの疑問。今の暮らしへの疑問。村と世界への疑問。

「でもさ、結婚は?親戚のお姉さんがお嫁に…隣町に住んでる…旦那さん都会で働いてるはずが…」

 橘平は目をぎゅっとつむる。他に村から出た人はいないか、記憶を探る。 

「あ、担任の息子さんが都会の大学行って弁護士……になってこの村に帰って来たな…?」

 橘平はこれまで、村の何かをおかしいと感じたことはなかった。だが思い出してみると「外へ行って帰ってこない人」がいないのだ。
 外へ出たままの人が、いない。
 どの家も昔から「その場所」にあり、必ず「その家の者」が住み、正しく家が守られている。

「ご自宅の住所、正しく答えられますか?」
「何言ってるんですか、そんなの言え」

 はて、自分の家の住所は何村の何番地だっただろうか。村の南地域にある八神。それしか頭に浮かばない。

「村の名前はご存じですか?」
「村の…」

 住所も分からなければ、もちろん、自分の住む村の名すらも、橘平は口にすることができなかった。質問されて緊張しているにしても、おかしい。

「答えられませんよね。そう、誰も分からないのです。この村がどこにあるのか。不思議ですね」

 年賀状を書いたことがあるし、郵便局もある。宅配だって。
 生きてきた中で、必ず一度は住所を書いているはずなのに。どうしても思い出せなかった。

「それもまた不思議なのです。だれもご自分の住所が分からないのに、住所は記入できる。でも何を書いたか分からない。送った方も同様です」

 ますます、訳がわからなくなった。
 一体なんだ?どういうことだ?
 彼の頭の中で、今までの村の景色と桜から与えられた新しい村の景色が入り混じる。
 いままでの価値基準が、自分が信じてきたものが崩落していき、全て新しいものに入れ替わっていく。
 その過程で橘平の脳は揺れ、視界もゆらゆらする。
 吐き気を催した橘平は手を口に当てた。

「あ、きっちゃんも揺れはじめたね」

 橘平を介抱しようと向日葵は立ち上がるも、それより早く桜が反応する。
 素早く立ち上がった桜は、橘平の隣に座り、丸まった橘平の背に手を置く。

「吐きそうですか?お手洗い、いやバケツ」
「葵、バケツとか桶ってある?」
「外にバケツが」
「お、おかいまなお…うっ!」

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