第54話 向日葵、兄に担がれる

文字数 2,534文字

 幻聴だろうかと思いきや、本人だ。

 ケガを負った向日葵を認め、葵は駆け寄ってくる。が、それよりも素早く彼女に辿り着いた者がいた。

「ひーまちゃーん!!」

 向日葵の兄、樹だった。意識がもうろうとしていた向日葵だったが、兄の村まで響くほどの声とドスドス走ってくる振動で意識がはっきりしてきた。

「げっやば、あにきいい」

 そして樹は妹を軽々と担ぎ上げ、「桔梗さん、病院に!行って!きます!!ひまちゃん、死なないで~!!」

「ちょっと、樹ちゃん!」

 周りの草木を破壊するかのごとく、樹は向日葵を抱えて走っていった。それを呆然と見ているしかない三宮二人だった。

「……この辺で仕事だったの?」

「はい。ここから400mくらいむこうのほうで」葵は向日葵が背負っていたリュックを拾い上げる。

「近くに二人がいてよかったわ。私じゃ運べないし。私の有術がもっと強ければなあ。葵みたいに一発で仕留められてたら、間に合ったんだけど……」

「大丈夫かな向日葵……」

 葵のつま先は、向日葵たちが消えたほうを向く。今すぐにでも診療所に行きたい。その気持ちは仕事より勝るのだが、樹が連れていってしまった手前、自分まで行くわけにもいかない。

 それに、上司である桔梗を無視し、一人残すこともできなかった。

「ひどい出血ではあったけど、幸いここから診療所近いしね。確か今日からだっけ、青葉君の勤務」

 彼が絶対聞きたくない単語、青葉。

 その単語を聞いただけでも葵はらわたが煮えくりかえるが、上司の手前、何とか抑えた。

 先日は抑えきれず向日葵たち迷惑をかけたし、ぶっ叩かれたしで散々だった。今、不機嫌になっても、ぶっ叩いて、さらに受け入れてもくれるパートナーは不在だ。

「そう、らしいですね。とりあえず役場、帰りますか」

「うん、そう」

 帰ろうとしたその時、桔梗の電話が鳴った。〈唐揚げ〉からだった。

「はい桔梗です」

『桔梗ちゃん?電話してくれたみたいだけど、仕事終わったってことだよね』

「いえ、さっきのは」

『じゃあさ次の仕事行ってくれる?はあ、今日さ、唐揚げっていうかもうあれ、カツカレー大盛100皿消費」

「頭にカレーぶっかけてやろうか」

『なに?』

「何でしょうか?」

『ああ、いやね、ちょ~っと強そうなんだけど、平気かな~女子二人で~?』

 桔梗は葵が手にしているリュックを分捕り、地面に叩きつける。

「あ・お・い、と頑張ります」

『ん?葵クン?』

 次の場所を聞いた桔梗は、指でスマホを貫くように、通話終了ボタンを押した。

「唐揚げって登録してるんですか…」

「仕事は有能だけど、それ以外がムカつくから。特にあの腹」

 桔梗はほっそりとしながらも鍛え上げられた筋肉を持つ手で、スマホをぐっと握る。

「画面に〈二宮公英〉とか〈課長〉って出るの、嫌なの。名前を〈唐揚げ〉にすることで私は人間、奴は肉であるという優越感を感じ、課長の顔を唐揚げにすることで、心の中の聴衆の笑いものにしているの。小さい人間なのよ私は」

 葵は「俺も変なあだ名で登録されているのか?」などと一瞬想像したが、すぐに向日葵の無事を祈る方に頭を切り替えた。

「攻む二人、あんまり経験ないわねえ…まあ葵とならいけるか」

「頑張ります」

 向日葵がケガをしても、何もできない自分の無力さを呪いながら、次の現場へ向かった。




 「早く!せんせえ!いもおと死んじゃう!」

 樹は涙を流しながら村唯一の医療機関、三宮診療所の裏口に駆け込んだ。有術関係のケガは裏口から診察を受けるというルールがあり、一般患者とは別扱いされている。

 うっすら意識のある向日葵は「これだから嫌いなんだよお!」と叫びたくて仕方がない。けれど動かない体では、兄に反抗できなかった。

 ほどなく、裏の診察室に青葉がやってきた。看護師に向日葵の上着を脱がせるよう指示し、傷口を確認する。

「結構深くやられたね。じゃあ治療するから」

 幹部に手を当て、有術を込める。1分ほどで傷口はキレイさっぱり消えてしまった。

 青葉は念のため、反対の肩や腕、足など他の箇所にもケガはないか調べる。女性にだらしなく、向日葵と遊びたいと話していた彼だが、仕事中は一切、そういう邪念はない。医師でいる間だけは真面目なのだ。今も、すべてが無駄なくてきぱきと事が進んでいる。

「ケガは肩だけみたいだね。じゃあもう大丈夫かな」

 血の跡は残ってしまっているので、それを看護師が拭いた。これで治療は終了だ。

「ありがとうございます、青葉先生」

「いやー、向日葵ちゃんに先生って呼ばれるの恥ずかしいなあ」

 治療が終わり、幼いころから知る向日葵に声を掛けられた青葉は、「三宮青葉」医師から「三宮青葉」個人に切り替わる。

 てきぱきしていた彼は消え、柔らかく穏やかな顔を見せる。

「治せるのは傷だけで、体力は戻ってないからさ」青葉はむき出しになっている彼女の形のいい肩を見た。「辛かったら、もう家に帰って休んだほうが良いよ。職場行ってもいいけど、無理しないでね」

「わーよかったネ、ひまちゃん!」と、樹は妹に自身の上着をかけた。

「ありがと…」

「青葉ちゃんありがとう!それにしても、ほんとにお医者様~!ドクターの青葉ちゃんかっこいいね~」樹は青葉のスクラブ姿をまじまじと見る。

「有術の治療は医療行為じゃないから、今は医者じゃなくて、能力者としての仕事だけどね」

「治療してくれるんだからドクターには変わりないわよう。あそうそう、久しぶり~!何万年ぶりかなあ」

「久しぶり樹ちゃん。1万2000年ぶりくらいかな。まあ、風邪とかさ、そういう時でも気軽にきてね、向日葵ちゃん」

 青葉は人当たり良く、軽く口角の上がった優しそうな表情を向日葵に向ける。

 葵から裏の顔を聞いている向日葵だが、彼はいつも穏やかスマイルだし、言葉も温かで丁寧だ。本当に葵が言うような女性の敵なのか、疑問に思ってしまうほどだった。

「はい。今日はありがとうございました」

「じゃ、お家かえろう」

「いや報告するから職場行くわ!」

 そう言い合う兄妹の背中を見ながら、「やっぱり向日葵ちゃんはスタイルがいいな…」とつぶやき、ほれぼれする青葉だった。

 看護師が「青葉先生、患者さん」と呼びに来たところで、緩んだ顔が引き締まり、医師に戻った。
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