第89話 村人、妖物と係長に恐怖する

文字数 3,109文字

「今日は曇りときどき雨、だけど過ごしやすい気温。絶好の駆除日和ですね!」

 若者を中心とした集団の先頭に立つ、三宮伊吹の爽やかな声が山の中にこだまする。

 曇り空を吹き飛ばして、青空にしてくれそうな伊吹の一声。これが登山やハイキングであれば頼もしいかぎりだが、これから集団が向かう先には―



 土佐犬型の妖物がいた。通常の3倍はあろう体躯、異常に大きな犬歯、いや牙、呼吸の激しさもよだれも3倍。爪が触れただけでも、一瞬で殺されそうだ。

 本日は休日を利用した妖物の駆除見学会だ。会といえば楽しそうだが、実際は命の危険もある仕事を間近で見て、しかもこの後に待っているのは「君たちも駆除してみよう!」のコーナー。さすがに、いきなりこの土佐犬のようなB以上レベルの妖物を当てるわけにはいかないので、C以下レベルの妖物が出たらだ。

「私たちにこんな恐ろしい怪物、倒せるの?」

「げ、スライドで見たやつってほんとだったんだ」

「死んじゃうよこれ」

 高校生以上の学生有術者、普段妖物に対峙することのない若手の社会人有術者たちは口々に言う。具合が悪く座り込んでしまった者もいる。

 恐ろしくて泣き出してしまった女性もいるが、それは今日の感知係である課長の娘である。普段は隣町の中小企業の事務員として働き、感知能力は稽古で使った程度。けれど、父譲りの才能で、なかなかに詳しく感知していた。

「帰りたいよーお父さんのばかあー!」

 自身は絶対現場に足を踏み入れないというのに、娘は勉強と称して送り込む課長。娘からの評価は元々マイナスの上、さらにマイナスになった。ちなみに彼女は1感知につき握り寿司10貫分のカロリーを消費するらしい。

 多くが恐怖におののく中、一宮桜だけは冷静であった。彼女はこれより強大な鬼のようなバケモノと出会っているし、この程度で弱気になっていたら悪神と対峙できない。

 おそらく、お伝え様の大事な跡取り娘に、駆除の当番が回ってくることはない。この見学会も父から「行く必要はない」と言われた。それでも、自分が引き起こしたかもしれない現状や向日葵たちの仕事を見ておきたかったのだ。



 この妖物を駆除するのは野生動物対策課の係長・三宮伊吹、支援に二宮蓮。見学者の保護には、二宮樹と一宮あさひ、そして自然環境課の2名があたっている。

 蓮は土佐犬に素早く近づき、そして一瞬で離れて走り始めた。すると土佐犬はそれと並行して走り始める。彼は自分の気を相手に送り込んで誘導するという有術を持つのだ。一度、対象の気の流れや乱れを把握するために近づかねばならず、この能力に関しては、足が速く軽い体の方が有利であった。向日葵の能力も似たようなことが言えるけれど、彼女の能力の場合は妖物に近づくことが重要なため、襲われても対応できる体と力が必要だった。

 伊吹は土佐犬の後ろを追いかける。

 蓮は「伊吹さん!」そう呼びかけ立ち止まる。土佐犬も連動するように静止した。伊吹は踏み込んで回転し、日本刀を右から切り上げる形で、土佐犬の胴を狙った。青緑色の閃光とともに刃は胴に入ったが、土佐犬は後ろに飛びのいて刃を体から抜いた。

 妖物が一声吠え、伊吹に飛び掛かった。牙の先が伊吹の手首に触れた。

 そのまま食われるかという瞬間に彼は土佐犬の下を潜り抜け、反対側に抜けたが、牙は伊吹の手首から肘にかけて骨が見えそうなほど肉を深く裂いていた。真っ赤になった右腕に、見学者たちから小さな悲鳴が聞こえた。

 蓮がまた妖物に近づき、次は走り出さずに土下座をした。すると妖物も土下座の格好になり、伊吹は飛び上がって首と胴を切り離した。

 それでも体はぴくりと動き始めた。蓮の能力は切れかかっており、伊吹は急いで腹も真っ二つにした。ようやく妖物は溶けていった。

 蓮としては、一か八かの賭け技であった。妖物が彼の実力を凌駕するようなレベルであれば効き目がない。先ほど走って誘導できたことからそれはないとしても、蓮が相手に気を送り込むのが遅ければ、襲われる可能性が高かった。

 伊吹はふうーっと深呼吸し、土下座したままの蓮に声をかける。

「倒したから、もう謝らなくいいぞ!」

 蓮は急いで立ち上がった。

「伊吹さん、腕」

 普段とは正反対の厳しい視線と低く固い声で、伊吹は部下に命令した。

「今日は何があっても『平気』な顔をしていろ」

 上司の意図を理解した蓮は、即座に軽口を叩く。

「……はー屈辱! これだけは絶対やりたくなかったのに! めちゃくちゃ疲れましたよ、焼肉おごってくださーい」

「すまんな。でも君のおかげで駆除もでき、見学者も守れた。相変わらず素晴らしいよ蓮君! 焼肉は小遣いが残ったらな!」

 まさにスポーツマンといった爽やかさと熱いハートを持つ伊吹は、見学者たちに雲一つない夏空と青い海を思わせる声で投げかける。

「我々の駆除業務は、日々このように行っています。ご意見ご感想、ご質問等があればぜひ!!」

 みな沈黙し、感想ひとつ出る雰囲気はない。大人たちまでも、恐怖で圧倒されてしまっている。

「我々も、この間までこんな強い妖物を相手にしたことはありませんでした。ねずみやウサギ、かわいい程度の犬を相手にしていたのです。ご存じのように、このような怪物を相手にするようになったのは最近。しかし」伊吹は日本刀を鞘におさめ、腕を真っ赤にしながら身振り手振りを加えて演説を続ける。「幼少からの鍛練のおかげで、私たちはこうして難なく戦えております。みなさまも幼少より鍛えておられますから、最初は若干の恐怖はあるでしょうが、思いの外できるものです」

 伊吹は見学に来ている三宮青葉を見た。

「そうだ!ほら、私、今ケガしてますよね。血が止まらない!あはは!」

 妖物も恐怖映画から抜け出たように非日常であったが、骨が見えそうなほど肉を裂かれて無邪気に笑う彼もさながらサイコ映画の登場人物のようだった。参加者のほとんどは引いている。これには桜も、おかしな人だとおもってしまった。誰かが「レクター博士…」「それ殺す方」「殺してる…」と呟いていた。

「でも、本日は三宮青葉先生もいらっしゃいますから、すぐ治療してもらえるんです。治療お願いできますか?」

 青葉は前に歩み出て、その場で伊吹を治療した。1分ほどで傷口も血も消えた。

「おお! 魔法のようだ! 頼もしいですね。さあ、次は皆さまで駆除しましょう。我々がサポートしますから安心してください! 怪我をしても大丈夫! 思い切り動きましょう!」

 安心できるわけがない。

 有術者とはいえ、普段は平穏に過ごす参加者たち。見たこともない怪物を目にしただけでなく、伊吹の怪我まで目撃してしまった。普通ならば病院で治療するような負傷だ。バケモノを相手に死闘し、そして怪我まで負ってあのまま笑顔でしゃべり続けた彼は、参加者から見れば異常者にほかならなかった。

 妖物を駆除するというのは、一種、異常にならねばならないのかもしれない。参加者たちは本当に自分たちに彼らのような働きができるのか、不安でいっぱいになった。

 補足すれば、他の職員では伊吹のような対応はできない。今回のような怪我をすれば、真っ先に治療に向かい、治癒してから参加者に説明する。

 伊吹は常に元気で爽やか。そういう人間だからこそ、課長はこの場を彼に任せた。どんなことがあっても深刻にならないように、場を明るくすることに努められる。伊吹も自分の役目はよくわかっており、腕の痛みに耐えながらの演説だった。蓮と間近で治療した青葉だけが、彼の額と生え際にたまる脂汗、そして辛そうな呼吸に気付いた。

 

 参加者たちが恐れる、「その時」がやってきた。
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