第42話 橘平、桜の暗い一面を知る

文字数 2,818文字

 剣術の稽古が行われるのは、中高合同で使う剣道場。

 夕方の部活動の後、剣術の会が開かれているということは、関係者以外はほとんど知らない。

 躰道は地域貢献として広く一般に公開しつつ、実は有術を使える子供や大人たちの合同訓練の場。しかしこちらは、完全に有術が使える家の人間のみが参加している。

 橘平と桜は参加者がみな剣道場に入ったころを見計らって、校庭に侵入した。

 ドレスコードは黒い服。橘平は黒いスウェットにジーパン、いつもの暗い色のダウンを着ている。桜は黒いPコートに黒いズボンという出で立ちだ。

「わあ、緊張してきた!見つからないようにしなきゃね!」

 かつてないほど、少女は活き活きしていた。遊園地に行く前日の眠れない子供のようだ。

「今日、家族になんて言って出てきたの?」

「ひま姉さんの所行くって。だから連絡して口裏合わせしてもらってるんだ。橘平さんは?」

「じいちゃんとプラモ作るって」

 葵の剣道だか剣術の見学などと真実を言った日には、実花から隠し撮りを要求されるに決まっている。言い訳作りにも慣れてきた橘平だった。

「おじい様とプラモ?」

「じいちゃんの趣味でさ、たまに一緒に作るんだ。あ、桜さん作ってみたかったらいつでも言ってね。道具そろってるから」

 雑談程度で話した橘平だったが、意外にも桜は食いついて来た。

「面白そう!作る!今度作ろ!そういえばお部屋にロボットとかあったもんね」

 気付かれていたことに、橘平は頬を赤らめた。部屋に通したのだから気づいていてもおかしくはないのだが、それを口にされると意外と恥ずかしいものだった。

 二人は周囲を窺いながら、校舎の左裏にある剣道場を目指す。橘平は昼間に下見をしたけれど、扉が閉まっていれば見学できないかもしれない。暦の上では春とはいえ、まだ寒さは残っている。せめて、下の換気口が開いていれば、のぞき見ができそうだった。

 剣道場の明かりがみえてきた。足取りも静かになっていく。

 近づくと、換気口が一部開いていた。

 二人がバレないよう、すみからこっそりのぞくと、みな後ろ向きで、足元が見えた。おそらく基本の足運びの練習を全員で行っているのだろう。

「どれが葵さんだろ」

「一番後ろの列の、右の一番端」

 橘平はさらにしゃがみ、右端に注目すると、横顔がちらと見えた。確かに葵だった。

「おお、道着と木刀姿もかっこいい。これ剣道とは違うの?」

「違うよ」

 桜は橘平の方に顔を向け、続ける。

「昨日はひま姉さんみたいにサポート系の有術を使う人たちが中心で、現場で動ける体を養うための稽古。一応スポーツとしてやってるから、地域の子供にも公開してるの。でもこっちは」と、指で剣道場を指す。「妖物を殺す稽古。葵兄さんのように、妖物を仕留められる有術を使える人たち中心なんだ。って言ってもね、どっちも稽古してる人もいるの。葵兄さんも躰道やるし。ひま姉さんのお兄さんもサポート系だけど、剣術やってるんだ」

 桜は向日葵の兄の姿を探すが、大木のように大きな人間は明らかにいなかった。

「今日はいないな」

「躰道、葵さんと向日葵さんの試合見たいなあ」 

「ひま姉さんが勝つか、たまに引き分けるか、かな」

 素振りが始まった。稽古とはいえ、木刀を振る音に静かな狂気を感じる。

「有術が使える子たちは強制的に武道を習わせられる。私も習ってた」

 確か幸次が話していた。武道教室で子供の桜を見かけたと。そのことだろうと橘平は理解した。

「武道を習うことはいいことだと思うけど、向き不向きもあるじゃない?普通の子なら辞められるけど、ここの人たちは嫌でも続けるのよ。しかも、大人になっても」

 「スパイごっこ」とウキウキしていた桜は、今、ここにはいなかった。

「いつまた復活するかわからない悪霊のために、昔から兵隊を作っているの。確かに昔に一度、そして今、妖物は脅威になってきたけれど」

 桜は橘平と始め出会った時に見せた、存在そのものを飲み込み、消滅させてしまうような暗い瞳で剣道場をみやる。

「そもそも、封印じゃなくて消滅させればよかったのよ。それだけの力がなかったのか、封印を選ばなければならない理由があったのか分からないけど…。封印がなければ、みんな、好きなことができるのに」

 橘平は桜の裏の顔を垣間見た気がした。

 剣道場の方は休憩タイムになったようで、参加者たちが稽古場の脇に座って水などを飲み始めた。

「こっち見えちゃうかも、橘平さん、かくれよ!」

 桜は慌てて橘平の手を取り、校舎の方へ走り出した。

 二人は剣道場が見えるギリギリ、校舎の角までやってきた。まだ外気は冷たく、剣道場から人が出てくることはほとんどいないと思われた。

「隠れるってドキドキする。初めてだけど楽しいかも」

「ドキドキはするけど…楽しいかはわかんない。葵さんにあんま見つかりたくないし」

「私も。っていうか、あそこにいる人たちみんな知ってるから、誰にも見つかりたくない。絶対」

 橘平は桜の「絶対」に、強い気持ちを感じた。本当に「絶対」見つかりたくないのだろう。

「土曜日も葵さんち行くの?」

「うん」

「何時から?」

「午後だよ。なんで?」

 親友を取られて気になるから。などとは、恥ずかしくて口が裂けても言えない。橘平はとっさに言い訳を考える。

「俺は何にもできなくて。自分ちのことなのに情けないなあって」

 土曜日、自分も誘ってくれないだろうか。そんな情けないことも期待してしまう。

「そんなことない。橘平さんがいなかったら、ここまで来れなかった」

 桜はしっかりと、顔と体を橘平に向け、

「あの雪の日に出会ってくれてありがとう。私たちのことを理解しようとしてくれて、助けてくれて、本当にありがとう」と感謝を伝えた。

 暗くてはっきりは見えないが、きっと、あの光をすべて吸収するほどの黒い瞳は輝いている。少年はそう感じた。

 橘平も桜に正対し、感謝に対して返答しようとした。

 その時。

「何してんの?」

 突如、橘平の背後から声が聞こえた。桜はとっさにしゃがんで丸まり、橘平は振り向いてそれを隠すように立った。

 声の主は葵、ではなく、橘平の高校の先輩、三宮柏だった。

「あれ、きっぺー君じゃん」

 柏は橘平の背後を覗いて来た。橘平は必死に隠し、桜はもぞもぞともっと必死に隠れる。

「おいおい、女の子じゃね?!暗いとこで何してんの?ヘンな事?え、彼女いたんだ誰?」

「い、いやか、か、彼女じゃなくて、ですね…しんせき、の…」

 彼女は誰にも見つかりたくないと言っていた。助けるにはどうしたらいいか。橘平は頭が混乱する中でも、ここから安全に逃げる方法を探し続ける。

「え、誰々?七社?大六?どこの子?」

 柏が桜の顔をのぞこうとする。桜はさらに丸まった。

「こ、これはその、人間にみえるけど犬っていうか…」と、訳の分からぬことを口しながら桜に覆いかぶさる。

 その時、向日葵から「効く」と言われたお守りのことが橘平の頭に浮かんだ。
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