第26話 橘平、自分を殴りたくなる

文字数 3,206文字

 明日は土曜日。3人が八神家にまたやってくる。
 橘平は学校の帰り、村唯一のコンビニに立ち寄った。明日のおやつとお茶を買うためである。
 これまで、友達が遊びに来ても家にあるお菓子や飲み物で済ませていたし、母に事前に話せば買っておいてもらえた。けれど、今回は自分で用意したかった。
 まず、お菓子売り場に足を運んだ。自分の好きなお菓子に手を伸ばすところ、今日は3人の顔を思い浮かべながら買い物をする。
 桜は一口サイズのチョコレートが似合う。
 向日葵はなんでも喜んで食べそう。
 葵は…よく分からない。
 古民家でもおやつが出てきた。彼らは何を好んで食べていただろうか。ちなみに、それらは桜と向日葵が持ってきているらしい。
 20分ほど歩き回ったりお菓子棚を睨んだ結果、橘平は厚焼きの醤油せんべいをかごに入れていた。理由は彼にもよくわからない。なぜかそれに決めてしまった。
 次にお茶の棚をのぞく。せんべいなら緑茶。緑茶なら家に常備されている。その場を去ろうとしたが「紅茶」のティーパックが目に入った。
 その紅茶は、よく家で飲む有名メーカー品ではなかった。この近くのお茶農家が作った、ご当地紅茶だと書いてある。
 緑茶も紅茶も同じ茶葉。せっかくなら、特別感のある方をみんなにふるまいたい。
 彼はレジへ向かった。
 

 彼らを迎えるおやつ類も準備できた。そして今日、期末試験は終わった。
 橘平は久しぶりに勉強する必要がない開放的な時間を過ごし、夜も11時をすぎたころ、電気を消し、ベッドにもぐりこんだ。
 自然と瞼が落ちてくる。
 突如、机の上のスマホが激しくぶぶぶぶぶと揺れた。

「わ!誰だよ、こんな時間に!」

 画面には〈きんぱつ〉。向日葵からの電話だった。明日のことで何かあったのだろうかと、急いで電話に出る。

「はい」
『あー!!!!!!!!』

 耳を刺すキンキン金切り声に、橘平はスマホを思わず投げ出してしまった。

『死にたい!!!!!!』

 死にたい。床に落ちたスマホからそう聞こえた。
 橘平はスマホを拾い上げ、確認するように発した。

「死にたい?どうしたんですか?」
『無能な私を殺して!助けてきーちゃーん!!ふえ~ん』

 声の様子から、どうやら彼女は酔っぱらっているようだ。雰囲気からすると、おそらく末期酔い。
 彼女はあまり酒癖がよくないのであろう。酔っぱらうことで、日常の不満を吐き出しているのかもしれない。橘平はそう推測した。

「何があったんですか?」
『あのね…』

 向日葵の語るところによると、葵にお姫様抱っこで2度も医務室に運ばれ、それが原因で職場内イジメを受けているらしい。母の話から葵は村のアイドルだろうとは思っていたが、橘平が想像する以上にファンは恐ろしいようだ。

『イジメる奴は弱い。私は強い。だからさ、ジメジメしたイジメなんかはどーでもいーけどさぁ…葵に…』

 お姫様抱っこされた姿を多くの職員に見られたことが、一番辛いらしい。
 葵ファンならば、彼にお姫様抱っこされた日には狂喜しそうなものだ。虐められるとしても、だ。

「仕方ないじゃないですか、向日葵さん倒れたんだし」
『分かってるよ!!!!!』

耳から血が出そうなほどの音圧で彼女は答える。

『それでも嫌なんだよ、葵に指一本でも触れられたくない、なんなら近づかないで!!』
「き、嫌いなんすか、葵さんのこと」
『うー、嫌いじゃない!』

 嫌いじゃないけど触れられたくない。彼女の言葉は矛盾している。
 森の中で手首をつかまれていた時の反応。つまりあれは、触れられたくなかったからということであろうか。
 では、彼のコートを羽織っていたのはどういうことか。行動も矛盾している。
 これらの矛盾の裏には何が隠されているのだろうか。

『ってか私に近づいちゃダメなの葵は!あー!!!!あとねあとねー!ー!』

 とその後は、文法が崩壊した愚痴なのかなんなのか、意味不明な話を延々と聞かされた。
 酔っぱらいの話なぞ、真面目に聞いても仕方がない。橘平はベッドに寝そべって話を右から左へ流した。
 ただ、その中で気になる話題があった。

『数か月前?から?突然森に入れてえ』『よーぶつがきゅーに強くなっちゃってさあ』ということ。橘平が森に「好奇心で一度だけ足を踏み入れた」のは3か月前だった。

 電話の最後、向日葵はこう言った。

『葵の奴に関わるとロクなことない』
「イジメのことっすか?」
『とかさー!あーめんどくさ!のにさ!』

 これまでの酔っぱらいの騒がしさから、急に密やかな沈黙に変わった。

『…関わりたーい』

 少年は生まれて初めて、誰かを想う切ない気持ちに触れた。
 橘平はまだ経験していないけれど、切ない気持ちを扱った作品を見たり読んだりしたことはある。
 しかし、知っている感情と「本物」の気持ちは全く別物だった。
 電話越しに鼻をすする音が聞こえてきる。
 通話後も橘平はしばらく眠ることができず、天井を眺めていた。
 彼女の抱える複雑で切ない気持ちを感じ取りながらも、何もしてあげられそうにない。
 軽い気持ちで応援なぞ、できるものではない。
 自身の無力さと軽薄さを、殴ってやりたい橘平だった。


 そして土曜。第2回目の蔵の捜索日がやってきた。
 本日は幸運にも、両親は街まで買い出しへ行っている。弟も友達の家に出かけた。
 何も気にせず動ける絶好の機会だが、橘平は昨夜の電話のことが頭にこびりついていた。
 集合時間も近くなり、橘平は庭へでた。ほどなくして、ピンクの車が見えてきた。

「おはよ~!元気~!」

 いつものように明るい挨拶をする向日葵。橘平は昨日の様子から、二日酔いかつ落ち込んでいるのでは、と思っていた。

「元気っす!向日葵さんも元気そうでよかった。昨日のあれ、大丈夫だったんですね」
「は?何が?」
「え?昨日の夜、俺に電話してきて」
「電話?は?私きーに電話したの?」
「もしやお酒の記憶ないタイプっすか…」
「え、ちょマジ、え?」

 酒を買った記憶まではある。飲んだことは枕元にあった缶で分かっていた。
 ただ、向日葵には飲んでいた時の記憶が全くない。ショルダーバックからスマホを取りだし、通話履歴を確認する。
 〈舎弟のきっぺい〉としっかり記録されていた。

「舎弟って」
「うえあ、の、わ、私、ヘンな事話したり…した?」

 予想外の動揺した様子に、橘平は正直に話すか躊躇した。
 引っ掛かるのは、話題の中心が葵だったこと。向日葵が葵に抱く複雑な感情を無視できない橘平は、昨夜の会話内容を包み隠さず話した。
 話していません。そう言ってもいいだろうが、彼女のためにならないような気がしていた。
 向日葵は一旦真っ青になり、そして次に体じゅうが火傷しそうなほど真っ赤になった。
 彼女は橘平の両肩をがっちり掴み、血走った目で「それ、誰かに言ってないだろうな!?言ったらどうなるか」と恫喝した。
 少年の肩は粉々になりそうなほど痛む。必死に声を振り絞り「あ、う、き、昨日の今日で誰に言うんすか…い、いたっ、し、ししぬ」と訴える。

「なになに?内緒話?」

 向日葵の後ろから、桜がひょこりと顔をのぞかせた。

「ぎゃー!!さっちゃん!!!!何でもないのよ!!!!」
「え、気になるよ、そんな否定されたら」
「きっぺー!?」
「あ!えと、はい!何でもないです!」

 桜は無邪気な笑顔を少年に向ける。 

「えー、橘平さん、私にだけ教えてよ~」

 普段ならば和む表情も、今は苦しさにしかならない。

「や、やめてください、桜さん、俺の命が無くなります!もう聞かないで!」
「何やってんだ」

 橘平の命の危険の種である青年も桜の背後から現れた。
 向日葵の情緒がもうめちゃくちゃであることは明らかだった。このままだと、橘平の肩は割れるかもしれない。
 危険を感じた少年だったが、向日葵は何も言わず橘平の腕をずいと引っ張って、蔵へとむりやり引きずっていった。

「どうしたんだろ、ひま姉さん」
「…さあな」
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