第27話 橘平、おもてなしをする

文字数 4,614文字

 前回は、比較的新しい荷物が入って良そうな段ボールを端に寄せた。今回はその下に隠れていた年代物の入れ物たちを調べていく。
 大きくも広くもない蔵とはいえ、累積された品々を一つ一つ検めるのは、なかなか骨が折れる作業だ。
 は黙々と作業をしていた4人だったが、桜が「そういえば」と話し始めた。

「村の周りに現れる妖物が強くなってきた、ってお父さんが言ってたんだけど」
「ああ、桜さんにも伝わってたか。そうだよ」

 これは昨夜、向日葵が電話で話していたことに関連しているかもしれない。橘平は詳しく聞きたくなった。

「あの、それってどういうことですか」

 当初は橘平を巻き込むことに反対であった葵だが、ここまで知ってしまっては何も隠すことはない。むしろ、知っておいてほしいと思い、部内で公開されている情報をすべて少年に話した。先日のトラとの戦いも。休日にも仕事が増えそうなことも。

「俺も3か月くらい前、森に入りました」

 橘平以外の3人が、一斉に少年に注目する。宇宙人でも見たかのような顔で凝視され、橘平は異様な居心地の悪さを感じた。

「おい、今なんて言った?」
「3か月くらい前に森に入ったって」
「橘平さん、前、『森に入ったことない』って言ってなかった?」
「言ったっけ?」
「言いました!確か入口の話、どこからでも入ったことはありますか、って聞いたと思う」
「だから、どこからでもは『入ったことない』よ。南からは入ったことはあるけど。葵さんたちが初めて入ったの2か月前でしょ、俺が3か月前だから、少なくともその時には森が開いてたってことか」

 3か月前というと、妖物が凶暴性を帯び始めたころと重なる。
 そもそも、村人はあの森に「近づかない」「興味を持たない」よう思考を操作されている。それが「なゐ」を封印し続ける仕組みだからだ。
 一宮家など村の支配層たちは、この事実を知っている。知ったうえで、彼らも近づかないようになっているのだ。
 桜たちは「先生」の教育を受けたからこそ、森に興味を持つことができたというのに、なぜ橘平は森に近づけたのか。
 3か月前に何があったのだろう。

「橘平さん、どうして森に近づいたの?」
「うーん、理由は特にないけど…興味?」
「本当にそれだけの理由か?」
「そうですけど…」

 誰も、それだけが理由とは考えられなかった。必ずきっかけがあったはずだ。しかし、この少年の様子を見るに、何も覚えていなさそうだ。

「橘平さん、何か…本当に小さなことでいい、森に入る前に何があったか思い出せたら絶対教えてね!」
「ああ、うん。何かあったかなあ。頑張って思い出してみるよ」

 この箱は古い着物だ、と橘平は箱開けを再開した。
 3人も再開しつつ、この少年が森に入れた時に何があったのか、という疑問が残り続けた。
 お喋り担当の向日葵が静かなためか、時間が遅く感じる。もう一時間は作業したかなと時計を確認すると、まだ10分しか経っていなかったり。
 驚くことに、時間感覚はおかしくとも腹減る。 橘平がスマホで時間を確認すると、お昼時だった。体内時計は正確だ。
 今日はこの間より雰囲気が重い。昼ご飯は空気を変えるいいきっかけだと思い、少年は元気よく提案してみた。

「いい時間なんで、昼休憩とりませんか!?」

 桜は腕時計をちらと見る。

「ごめんなさい橘平さん、お昼ご飯の事なんて全然考えてなくて…」
「大丈夫!俺カレー作ったから!みんな食べて!」
「きーくんの手作りカレー?」
「はい。市販のルーなんで、まずくないはずです。葵さんの味噌汁よりは確実に美味しいです」
「ケンカ売ってんのか?」
「す、すいません、ジョークです」

 橘平は3人を居間に通し、座っていて欲しいと告げる。
 彼らは手伝うと申し出たが、一人でおもてなしをしたい橘平は、一つも手出しはさせなかった。
 カレーを温め直していると、向日葵がタッパーを橘平に差し出した。

「きーちゃん、これも一緒に出してくれるかな」

 中には卵焼きと唐揚げ。

「ありがとうございます!じゃあ卵焼き唐揚げカレーにしますね!」

 これまで友達が家でご飯を食べるとなっても、母親が用意してくれた。
 でも今日は、心から自分で作りたいと思った。料理の手伝いはたまにしている、カレーなら何度も一人で作っている。唯一、人に出せる料理だ。
 誰かのためにご飯を作って、食べてもらう。初めての経験、彼なりのおもてなしだった。
 3人に出会ってから初めてのことばっかりだ。橘平はカレーをよそいながら、これから出会う初めてにも期待していた。
 気分を変えるためのランチだったが、向日葵の態度は変わらなかった。これには困った。

「超おいしいね~きっぺーちゃん、料理うまいじゃーん!!」

 といつもの調子で話しているように見えるが、ほぼ橘平にしか話しかけない、橘平しか見ない。桜とはそこそこ。
 葵はいないもののように扱っていた。
 空気が、重い。
 桜と葵もそれは感じていたが、言い出せなかった。
 空気は一切変わらず、初めてのおもてなしはぎくしゃくしてしまった。

 
 蔵検めを再開するも、なかなかこれと言ったものは見つからない。
 ただ、アルバム、着物、そろばん、家具など、八神のお守りの模様は、あらゆるものに施されていることだけはわかってきた。
 模様があるだけで、それが悪神の封印につながるとは思えない品々だ。封印について書かれている文献などは見つかっていない。桜などはこれを期待していのだ。

「うーん、特になんもないなー」と橘平は伸びをする。
「まだ箱はあるから、これからだよ、うん」と桜。
「そーだといいなあ」

 目の端で向日葵を捉える。やはり向日葵の空気は重い。
 彼女を気にしすぎて、自身も重くなりそうだった橘平は「俺、ちょっと厠へ行ってきます」 と、家に戻った。
 春が近づいているとはいえ、まだまだひんやりする外気を思い切り吸い込む。トイレも済まし、多少、気分はリセットされた。
 玄関を出ると、向日葵が立っていた。

「ああ、向日葵さんもトイ」

 突然、彼女は橘平を抱きしめ「ごめんね」とつぶやいた。

「今日の私おかしいでしょ?自分でも分かってるの。普通に戻りたいのに…できないの」

 はあ、と向日葵は息を吐く。

「本当にごめん、次に会うときまでには治すから…今日だけ許して…」

 電話越しよりも心が痛んだ。
 具体的なことは分からないが、向日葵は単純に葵に思いを寄せているわけではない。そう感じた。
 もう少し複雑、もしかしたら好き嫌いではないのかもしれない。
 橘平は自分より少し背の高い女性の背中に手を回す。

「誰だって調子悪いときあるじゃないっすか。俺もこないだ腹痛くて、授業中にトイレ行ったし」

 ははは、と彼女は弱く笑う。

「きっちゃんは本当に良い子だな。みんなが君のように素直で優しいといいのに」

 よりぎゅっと、でもとてもやさしく。
 しばらくの間、向日葵は橘平を、橘平は向日葵を抱きしめていた。
 女性に抱きしめられたらドキドキするのだろうか。橘平は漠然と想像したことがあった。人気の恋愛ドラマをみていた時だ。
 ドラマと状況は全く違うが、今、その場面に遭遇した。全くドキドキしなかった。むしろ橘平まで、切ないような、苦しいような気持ちだ。
 元の元気な向日葵になってほしい。
 その気持ちで抱きしめていた。


 橘平がトイレに立ち、続いて向日葵も外へ出たのをチャンスとばかり、

「今日のひま姉さん、ちょっと変だよね」

 と、桜は言いたくて言えなかったことを葵にこぼした。
 きっと葵も同じことを思っているはずだろうし、おそらく彼が原因だと桜は考えている。

「体調悪いんじゃないか」
「…葵兄さんの事、めちゃくちゃ無視してるじゃない。何かあった?」

 葵ももちろん、気づいていた。きっと橘平もわかっているだろう。高校生たちに気を使わせてしまって、葵は申し訳なかった。
 とはいえ、彼自身、向日葵がなぜ自分を避けるのか思い当たる節がない。

「何もない。よくわからん」
「職場以外でひま姉さんと会った?」
「会ってない」
「じゃあ職場か。さっき言ってたトラ退治とか」
「無事に終わったし、向日葵のおかげで駆除できたんだ。無視する要因はない」
「ほんとに?他に変わったこととか」
「そういや、終わった直後、疲れたからなのかその場で寝ちゃったんだよ。それが恥ずかしかったのか?」

 絶対違う。と桜は睨むも、葵にそれを説明できる証拠はなかった。
 向日葵は理由もなく人を避けたりしない。何かあるはずなのだが、葵は自分を含めてヒトに不器用である。要はにぶい。
 優しくて思いやりはあるけれど、そこが足りない。桜が幼少から抱く、第2の兄への不満だった。

「ただいま戻りました、よと」

 橘平が戻って来たのをきっかけに、二人の会話はそれで途絶えた。

「ごめんね~今日ちょっと具合悪くってさ、トイレ行ったらすっきりしたから、これからバリバリ箱開けちゃうね!!」

 と、向日葵も数分ほど後に戻って来た。

「桜ちゃんも息抜きしなよ」

 いつものような明るい調子に戻っていた。

「あ…葵もお水でも飲んでくれば?」

 そこは少し硬さが残っていた。


 蔵の窓から射す光が鈍くなってきた頃。 

「すいません、そろそろ親が戻ってくるはずだし夕方になるから、今日はここまでかなって思うんすけど」
「そうだな、じゃあ今日はここまでか」

 葵は立ち上がり、軍手を脱ぐ。

「特に収穫はなしか~。どーするー?また来週?」
「古そうな箱はだいたいあけちゃったんで、あとは段ボールっすけど…」
「古いほうが、と先入観に囚われてるのかもしれない。意外と最近の箱に何かまぎれてるかもしれないし、次はそっち見るか」

 次の集合日を決め、解散する流れになった。
 そこで橘平は思い出した。おやつを用意していたことを。

「せっかくだからお茶でも!」と、一生懸命な声で3人を呼び止めた。
「あらお茶まで!ありがと!」

 また居間にあがってもらい、紅茶とせんべいを出したところで、葵の電話が鳴った。

「すまん…課長?」

 葵は通話のために居間から出て行った。戻ってくると「すまん橘平君、休日出勤だ」と帰り支度を始めた。

「あ、さっき言ってましたね、休日出勤増えるかもって…」
「あらまーかわいそ…」

 同僚をからかおうとした向日葵の電話も鳴った。〈感知器おじさん〉。つまり課長からであり、内容は葵と同じであった。

「きっちゃんごめんね、私も出動です…お茶は飲むから!」

 二人はまだ熱い紅茶をあっつ、と無理矢理流し込み、あわただしく玄関を出た。
 せんべいという「最後のおもてなし」も受けてほしい橘平は、急いで追いかけた。

「せんべい持っていってください!仕事の後にでも食べて!」
「うわー、ありがと!」

 向日葵は橘平に駆け寄り、せんべいを葵の分も受け取る。

「橘平、ちょっと」

 彼女は右手のひらを出した。

「書いて、こないだのあれ。なんかね、いいよ、あれ」

 あれ。八神のお守りのことである。

「喜んで」

 橘平は指で模様を描く。向日葵はぎゅうっと少年を抱きしめた。

「ありがとう。もしかしたらまた電話しちゃうかもっ」

 今度は不意にも、ドキドキしてしまった。彼女の吐息が耳に触れる。たぶん、少し顔が赤いだろう。

「…いつでも。あ」

 少年は彼女の耳に手をあて「葵さんと仲直りできるように、お守り書きました」と伝えた。
 向日葵は橘平から体を離し、手の甲をぎゅっとつねって早足で車へ向かった。
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